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連載小説「いつもの私の完成だ。」第5話:無料公開 安達健太郎×えのもとぐりむ

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ここまでこの連載を購読してくださっている方々に感謝の気持ちを込めて、第5話は無料で公開にさせてもらいました。本当にありがとうございます。無料なので暴力・エロ表現は控えました。たまたまこの小説を目にしちゃう人がいる場合があると思いますので。

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第5話「M」

 裸の彼が廊下で仰向けに倒れている。ゴオゴーブルブルブルと大きな鼾で眠っている。しばらく目を覚ますことはないのだろう。私の背中は湿っている。後頭部から垂れ流れている血のせいだろう。
ゴッゴッゴッ。
彼の鼾に混じって、何かを叩く音が聞こえてきた。私は耳を澄ませて隣人のいる台所の方の壁を見た。上の住人の足音かと天井を見た。ゴッゴッ、再びその音が聞こえて玄関を見た。玄関の扉が小刻みに揺れている。誰かがあの扉を叩いている、ということが分かった。私たちの喧嘩の声が五月蝿くてこのアパートの住人が苦情を伝えに来たのかもしれない、そう思った。だけど、どうしてインターホンを鳴らさないのか少し違和感を感じた。ゴッゴッゴッゴッゴッゴッ、今度は鳴り止まない、こっちが何か反応するまで叩き続けるぞと言わんばかりに音と扉の振動が強くなっていく、ゴッゴンゴンゴン!
「はい」と私は声を飛ばした。外にいる誰かが動きを止めたようだ。何も言葉がない。玄関まで私は進み、覗き穴から外を確認した。「ぎゃ!」と私は尻餅をついて後ろに倒れた。
覗き穴から見えたのは誰かの目玉だった。瞼を大きく見開いてこっちを覗き込もうとしていた。誰だろう……私は震えた声で尋ねた。
「何か、御用でしょうか?」
「電話、出てくれないから、さっきからずっと掛けてるのに、無視されるの嫌なの私、というか女、どうして女がいるのかな、お前、女?」
怖かった。捲し立てるような早口で、怒りの滲んだ声だった。
「ここ、私の家なので」
「彼の携帯、ここにありますよね?」
「はい」
「彼はここにいますよね」
「います」
「どうして?」
「私の彼氏なので」
「ふふ」
私の回答に鼻で笑う女に、敵意が芽生えた。私も、彼女も、既に理解は出来ている、なのに真実を知りたくなくて、あえて遠回しな会話をしている。この男の「女」が今、二人存在している。どちらもが互いをコイツの浮気相手だと思っている。だけど心の準備の違いはある。コイツには私以外の女がいるということを私は知っていた、知っていたというより気付いていたし、最初からそういう男だろうということを前提に付き合い始めた。可哀想なのは外にいる女だ。きっと一途に想われているとコイツを信じていたのだろう。そうじゃないとここまで敵意を剥き出しにして私に問いを掛けたりしない。ここ最近、浮気がバレるような言動をコイツはしてしまったのだろう。そしてGPSで場所を特定できるような設定を携帯に施されたのだろう。そして私の家に辿り着いた。あの扉の叩き方、こっちにいるのが自分の敵であることを既に確信していた。それは女の勘か、コイツの携帯を見た時に、自分以外の女の存在を知ったからか。とにかく、この扉を開けるのは危険だと思った。何をされるか分からない上に、裸のコイツを見たら女は発狂するかもしれない。外にいる彼女を落ち着かせないといけない、私はそう思った。
次の言葉を選んでいるとトイレから、ブルルーブルルーブルルーというバイブ音が聞こえてきた。私はトイレの水の中に沈められたままの携帯を見た。あの白くて強い点滅で着信を知らせている。水の揺らぎが光を波打たせて、それに照らされたトイレは綺麗な空間だった。私は意を決して彼の携帯を水の中から取り出した。Mという名前の表示だった。浮気する男は本当の名前で女を登録しない。それは鉄則だ。これまでたまたま彼の携帯が通知を知らせる時にディスプレイが目に入ってしまう瞬間は何度かあった。通知は全てアルファベッド一文字かアダ名のようなふざけた名前だった。
 自分の服で携帯のディスプレイを拭き、通話マークを横にスライドさせた。電話の相手はきっと私の家の前にいる女だろう。
「もしもし、どちら様、でしょうか?」
「もしもし、わたし……」


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