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凹み安く器が小さく格好つけで調子乗りで見栄はりで偉そうで付け焼き刃の知識で頭を良く見せたがり記憶力が乏しく歯を磨かないし朝10時に寝る欠陥だらけ人間【コロナという鏡が映してくれた自分】

コロナで立て続けに仕事が消えていった3月、凹みました。凹んだ、だけならどうにか盛り返せばいいのですが

3月から4月の頭は、2本の書き上げた本が上演中止になりました。

いつもなら書き上げた本は上演されそれが執筆代として支払ってもらえるのですが

上演されないということは、書いた時間だけがお金にならず過去のものとしてただ無駄に過ぎていったということになる。それはまあ、お金は最悪諦めがつくのですが、作品が日の目を見ない、というのは切なかった。

書き上げました!と脚本のデータを送った数日後に、中止にしようと思います!という連絡がくる、これが二本連続で起こった。

「いやいやだったら取り掛かる前に言ってほしかったよ!」この言葉を喉のところでグッと呑み込んだ。その頃は1日1日社会の状況が変わっていっていたのでしょうがないことだ、と今になれば分かる。昨日までは100人キャパの舞台はやっていいと国から言われていたのに、次の日には50人はOK、次の日には5人以上は集まるな、次の日にはイベント自体やるな、と刻一刻と状況が目まぐるしく変わっていってたのだから。

この時期は

時間を掛けて書いた労力も軽んじられたような、作家という仕事を軽視されたような気もしました。

誰のせいでもない切なさと怒りをどこへ向けていいか分からない期間でした。

ここで分かったのは、凹み安くて器の小さい自分でした。

みんなが、追い込まれていた時期に、もっと自分がした仕事を大事に考えて欲しかったんだと思います。

今は、何が起きても、予定されてた仕事が今日消えても、穏やかに対応しよう、そう思えるようになりました。事前に、そういう仕事は断るということもできるのかもしれません。

それからやったのはメンタルを安定させるということに注視しました。

とにかくこれまで寝る時間を削りながら過ごしがちだったのだから、たくさん眠ってやろうと思いました。

僕は普段、睡眠時間が4時間30分くらい眠れたらいいと生きていたので、6時間〜8時間眠ってやろうと頑張りました。8時間寝たら頭痛くなりますね。

今は6時間くらいで勝手に目が覚めるようになってきました。長くて7時間。心はすごく健やかになった気がします。

そして、心が落ち着いた上で、タスクを整理するというより、頭の中にあるやらなきゃいけないこと、やりたいこと、これまでやれてなかったこと、を全部文字にする作業をしました。使わなくなった台本の裏に、マジックで書きまくりました。

いつもなら、タスクがあると、それを頑張って処理していこうとするのですが

コロナ自粛期間はいつ終わるか分からない、少なからず1ヶ月程の時間がある、それが分かっていたので、頑張ることをやめました。これまでは出来る人間振りたかった、そういう自分がいたんだと思います。でも1人の時間が膨大にある、誰に会うわけでもないし、自分が頑張っているのを評価される日常はないわけです

不器用な人間である。自分がそれを認めると、一日一つ、この大量のやることリストに横線を引けたらいいか、そのくらいに気楽に構えるようになったのです。

そしたら、逆に二つやれたときは、「おお、頑張ったじゃん自分」と自分を褒めてやることが増えました。

これまでは、凄く見せたい高い自分のハードルにストレスがあったのかもしれません。こういたいという自分のイメージと、本当の不器用で容量の悪い自分と目線が合ったような感覚になりました。

4月中旬を以降は、インスタライブなど、表に出ることを始めました。

やっぱり、何か、「楽しい時間を、面白いことを、共有したい、エンタメで人を楽しませたい」という根本が自分にあるんだと思います。

表に沢山出たことによって分かったのは

えのもとぐりむ、という存在は、自分が思っていた何倍も認知度がない。という現実でした。

これまでは、小劇場で活動して、演劇界の人間たちとしか関わらないし、ツイッターでも演劇を好きな人たちが周りに沢山いる中で活動していたので、生活範囲、活動範囲内で、えのもとぐりむ、という存在を認知している人としか関わらないので、自分のことは知られているし、顔はわからなくても、僕のこと知らなくても、舞台を見て楽しかったと思ってもらえたら、その舞台の作家が誰だろうと良いと思っていたのです。

でも、いざ、周りにプレイヤーというか表に出ている役者さんたちの仲介無しに自分が表に出た時に「誰?」と言われてしまう訳です。当然です。

僕は全然有名でもない、知名度も人気もないんだな、と

調子に乗っていた分、落差があったのか、凹んだというより、これは何か楽しいことを提供する以前に、知ってもらうことを先にやらないと何もできないな、楽しいことを提供するなんて程遠いな、と呆然としました。

分かりやすく言えば、インスタライブの途中に何度も「誰?」「お前誰?」「この人知らない」とコメントがバンバン入る度に「えー作家の、えのもとぐりむです」と説明を入れないといけない訳です。これからしばらくは、まずは楽しいことを提供する以前に、えのもとぐりむ、という存在を知ってもらうことをしないとな、と思えました。

そして、自分が表に出たことによって分かったことは、本当に格好つけだし、偉そうだし、口が悪い、ということです。

やった配信を見返して「こいつカッコつけてるなー、かっこいいこと直ぐ言おうとするなあ、偉そうに喋るなあ、偉そうな姿勢だなあ、わざわざこの一言言わなくてもいいのに言うなあ」と自分のことを客観的に見れました。

ダサい人間ですね、客観的にみると、僕は、はい。笑

これはネガティブな解釈ではなく

「あなたは、たまに損してる」と言ってくれる人がいたのですが、それの殆どを自分で分かったのかもしれません。

これは損してるな、気をつけよう、と思えた分だけ人間的に成長したということで、表に沢山出ることをして良かったです。

ま、直ぐに成長できる訳ではないし、欠陥だらけの僕を偽ることはしたくないので、欠陥はそのままで、誰かに不快感を与えてしまうことだけ、直していけたらと思っています。

そして、いよいよ、4月末頃になると、8月までの仕事も消えはじめ、「あれ、これ、この家に住めるのも、頑張ってあと3ヶ月くらいかな」と思ってくるようになります。これまでの自分だと不安で仕方なくて焦って大量の仕事を引き受けたりしたと思います。全然大丈夫、とか言って平然を装って見栄をはったかもしれません。

だけど、状況はやばいけどメンタルが落ち着いてる僕は

「これはやばいですね」「収入しばらくゼロです」「助けてください」と自分を偽らずに言えることができました。

そうすると知り合いのプロデューサーが「上演中止にしたけど脚本料を振り込んだから、書け」と連絡がきました。「このままじゃやばいだろ?」と

僕は泣きそうでした。これまでに書く前にギャラをもらったことは一度もありません。「上演されない舞台の本を書いてギャラをもらう訳にはいきません」とお断りを入れましたがその先輩は

「もう払ったから、書け」その一点ばりでした。

そして「えのもとぐりむという才能の延命処置、投資だよ」と言ってくれました。

僕は電話越しに何度も頭を下げました。格好良い人間だ。と感服しました。

僕みたいな格好つけの人間がどれだけ陳腐な格好つけか知りました。

本当に格好の良い人間を見たから。それに作家という価値、僕の書く本が大事にされたようで心が満たされました。

この期間で、これまで学んできたことを深く勉強する時間もできた中で、これまでの自分は、浅い知識で、それをさも理解したように語っていたな、ということも分かりました。恥ずかしいですね。ま、知ったことを直ぐに人に喋ってアウトプットしたがる性格と言えば聞こえはいいですが

悪く言えば、知ったかぶりの博識ぶりの馬鹿ですね

ちゃんと知識は自分に浸透させなきゃいけなし、もっと勉強しないといけませんね。YouTubeで見たことをそのまま喋っている人に会った時に、それこの前あのYouTubeで聞いたことだな、って思うことあるですが、それを自分がやっている訳ですから恥ずかしいですね。

人に会わないと、これまで以上に歯を磨かなくなりました。髭も伸ばしっぱなし、寝癖もそのまま、という自分のダメ人間ぶりも改めて知れました。それはまあ、誰にも今の所迷惑をかけてはいないのでそんなに直すつもりはないです。

インスタライブや人前に出るという最近始めた活動のおかげで、そのタイミングで髭を剃ったり、寝癖を直したりするようにしているので、表に出ることは僕にとって、シャキっとできる良い行事になってます。

いや、これ何の話だよって思われますよね、本当にそうです

ここまで読んでくれてありがとうございます。

僕というダメ人間観察日記でした。

今は、ありのままで自然体でいること、それを大事に楽しく生きていけてます。

noteのフォロワーさんが600人を超えました。ありがとうございます。

今後の、何の身にもならない、このような記事も書いていきますが

読んで頂けたら嬉しいです。

よろしくお願いします。

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