見出し画像

中学校の黒歴史

前に私が小学校の時に学級崩壊を体験した話を書きました。

今回はその中学編です。学級崩壊したクラスのメンバーがどうなったか書いていきます。体罰や喫煙など、正直に書いていますが25年前の話ですので、それを念頭にお読みください。

1.中学入学直後

前の記事にも書きましたが、私のいた小学校は学級崩壊をしていました。しかし中学に上がるところで、学級崩壊を扇動していた子たちは中学入試に合格し、軒並み私立中学校に進んでいます。うちの中学に進学してきたのは、煽られて暴れていた生徒と何も考えずに公立中学に進んだ生徒だけです。私は後者でした。

私の担任の先生は英語の男性の先生でした。物静かで真面目な印象の先生です。
同じクラスに真面目だけれど、目立たない感じの女の子がいました。私と彼女は小学校6年の時も同じクラスでした。小学校の時はみんなから「〇〇ちゃん」とあだ名で呼ばれていて、小学校の担任の先生もそう呼んでいました。
中学の入学式のあとです。担任の先生がこの女の子に用事があり、声をかけます。
「〇〇(苗字)、ちょっと来て」
彼女は一瞬、固まります。そして私たちも少しピリつきます。担任の先生も穏やかな口調だったのですが、私たちは彼女が苗字呼び捨てで呼ばれたのをみたことがなかったのです。彼女自身もそんな風に呼ばれたことがなかったのでしょう。ただ名前を呼ばれただけで緊張が走りました。もっと言えば男の先生とこんなに長い時間、接するのもほぼ初めてでした。小学校の先生、特に担任の先生はほぼ女性だったからです。中学はすこし違うなと感じた瞬間でした。

2.衝撃の授業

はじめての体育の授業で、事件は起こりました。まず中学から体育は男女別になりますが、男子の体育の先生は異様に怖い雰囲気の先生でした。最初に先生が話している時、その雰囲気に圧倒され私たちは黙って話を聞いていました。ところが私とは別の小学校出身の生徒がふざけて周りに話しかけだします。もともとおふざけキャラなやつでした。その瞬間、先生のビンタが炸裂し、そのおふざけ生徒がふっとびます。
「なめんなよ、静かにしてろ」
先生が捨て台詞をはき、授業は再開します。
「やばい学校に来てしまった」
この時に私が思ったことです。とにかく小学校との違いに圧倒されていくことになります。

3.徹底した管理

宿題を忘れた生徒が出席簿で殴られる、忘れ物をすると叩かれるなど、当時は体罰も大した問題にはならなかったので、ガンガン管理されました。また先生も強面の男性教師が多く、それにも圧倒されました。今では考えられないですが、職員室で喫煙している先生も多かったです。さてそんな感じの管理が続き、あれだけ荒れ狂っていた私の同級生は一気に従順になります。
また教師以外にも部活や委員会に入ると先輩ができ、彼らからの締め付けが始まります。私も小学校の時に仲良くしていた一つ上の先輩に、小学校の時と同じようにタメ口で話しかけたら死ぬほど怒られるということがありました。
さらにうちの中学は、いわゆる古典的な不良がいました。パーマもしくは金髪に短い学ランプラスボンタンズボンといった昔のドラマや映画に出てきそうな不良が各学年に数人はいたのです。目立つと不良の先輩に目をつけられて、やられます。
ある時、こんなことがありました。休み時間にクラスの女子が全員いなくなったのです。しばらくすると真っ青な顔で女子が全員、戻ってきます。中には泣いている子もいました。どうやらヤンキー女子の先輩が、中一の女子を全員、集めて説教をしたそうなのです。「スカート短くすんなよ」とか「髪は染めてくるなよ」とか、怖い口調でいきなり怒られ、意気消沈していたのでした。なんと、これもうちの中学の伝統行事のようでした(うちの学年から廃止されたと思います)。
そんな感じで荒れ狂っていた私の同級生たちは簡単に制圧され、むしろ少しおとなしい学年へと変貌を遂げたのでした。

4.徹底管理の理由

なぜ、こんなに、しごいてきたのでしょうか。
後で知ったのですか、私の小学校以外のいくつかの小学校も学級崩壊に近い状態だったようです。さらにそれらの小学校の問題児が、何人かうちの中学に来ることがわかっていました。もちろん私の小学校が学級崩壊している情報も筒抜けです。
何とかしないとということで、教師たちも相当、気合が入っていたそうです。同時に不良の方々にも情報がいき、そちらはそちらで妙な気合いが入ってしまったようです。その結果、恐ろしい管理体制ができてしまったのでした。
実は先の体育の先生ですが、中三の時に私の担任になり、卒業間際にだいぶ仲良くなってフランクに話せるようになりました。ある時、先の体育の授業のことを聞きました。
「先生、〇〇をぶん殴った授業、覚えてます?あれ僕にとって衝撃だったんですよ」
すると、真相を教えてくれました。
「覚えてるよ。あいつの兄ちゃんは俺が顧問やってる部活のキャプテンでさ。母ちゃんも含めてよく知ってるんだよ。あいつを殴っても文句を言ってくるような親じゃないことはわかってた。だからみんなの前で殴って、見せしめにしたんだよ。少なくともいきなりお前を殴ったりはしないよ」
この先生、運動系の部活の顧問をやっており、その部は毎年、関東大会に出場するなど全国レベルで活躍していました。練習が厳しく、スパルタ指導で有名でしたが、私自身は受験の時に、この先生から進路指導を受け、策士の一面を多分に見ていましたので、おそらく部活でも選手起用や作戦などをたてるのがうまかったのでしょう。そして先の体育の授業も、生徒を管理するためのデモンストレーションにすぎなかったのです。
そんなこんなで教師たちの生徒管理は、表面上は成功しました。

5.実際、生徒はどうなったのか

小学校の時に暴れ回っていた生徒も、中学校ではきちんと授業を受けていました。不良っぽい子もいて、先生に文句を言ったり、注意されて言い返したりはありましたが、暴れ回ったりはありませんでした。ブレーンを失ったのと徹底管理により表面上は鎮静化されたのでした。一方で、その雰囲気になじめず登校拒否になった子もいました。
またうちの学年は押さえつけが激しかったためか、明らかな不良はいませんでした。しかし裏ではみな色々やっていたようです。タバコを吸ってみたり、酒を飲んでみたり、万引きも噂で聞いたことがあります。教師もわかっていたようです。
体育の授業で明らかに遅い子に対して先生が、「あいつタバコ吸ってるから仕方ないよな」と言ってたくらいです。まだ牧歌的な時代でした。

6.自分の中では黒歴史

更生した生徒たちはどうなったのでしょうか。正直、連絡をとっていないのでわかりません。多くは進学したと聞きますが、残念ながら進学できず、いまだに実家に留まっている人もいるようです。またなんとか進学できたけれど、途中で辞めてしまった人もいるようでした。
同じ高校に進んだ友人を中心に何人かとは卒業後も連絡をとっていましたが、最近は音信不通になっていました。少し前にfacebookで中学時代の友人から連絡が来ました。facebookで輪を広げ、同窓会をやるとのことでしたが、結局、私は行きませんでした。自分で言うのもなんですが、中学時代の私は優等生で、教師からも認められた存在でした。しかし思い出すのは嫌なことが多く、自分の中で中学時代は黒歴史となっているのです。
「わざわざ同窓会で振り返りたくない」
そんな気持ちが強かったのしょう。
もちろんその時、つながった友人とはたまに連絡はとっています。

7.まとめ

中学の先生や先輩たちが、力で半グレ集団を制圧し、更生(?)させた話でした。しかし私の中ではあまりいい思い出ではありません。
いま妻と自分の子供の教育の話をよくしています。私はたいてい中学校時代の辛かった話をし、最後に中学受験はさせた方がいいという意見を言っています。ちなみに妻は中学受験で、進学校に進み、それに満足しているので中学受験には賛成です。ただ本当にするかは子供に、自分で決めさせたいという思いはあるようです。
なお幸い私が住んでいる地域の小中学校は落ち着いた雰囲気です。仮に公立に行くことになっても私のような思いはしなくてすむと信じています。
今回は長くなってしまいました。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?