見出し画像

誰も「どう生きればいいか」なんて分かってない。

人生で何が一番大事かは人によって違いますよね。

お金、恋人、名誉、権力など色々あると思います。

生きる上でお金は確かに必要で(特に食費や子育てなど)、また自分を安心させるためであったり、自信をつけるために権力や名声を求めたりしてしまう人もいます。

懸命に仕事に取り組んでいけばいいのか、欲を満たすために地位や財を求め続ければいいのか、自信を持つために見た目やSNSでの人気を追い続けるのか。

いずれにしても最終的にそれを手にした後は、また新たな欲求が出現し、それを追い求めます。

死を前にすると欲はなくなる

人間、誰しもいずれは死にます。
その人がいつ死ぬかは誰にもわかりません。
事故に遭えば、もしかしたら明日死ぬ可能性もあります。
大概の人が「そんな可能性かなり低いだろ。0.00…%とかでしょ」と考えることでしょう。
しかし他人事ではないかもしれません。

そんなふうに考えると、やっておくべきことは何だと思うでしょうか。

平然と生きている時には考えもしないことです。
何でもない時はあそこに旅行に行きたいとか彼氏彼女が欲しいとかお金がもっと欲しいとか時間が欲しいとか。
しかしこれから死にますという時は、つまり「未来」が無い状態になる訳です。
そんなとき思う気持ちというのはアレしたいコレしたいといった内容ではありません。
おそらく自分の人生を振り返ることでしょう。

死ぬときに後悔することは?

人が死ぬときに後悔することで多いのは
「もっと友達を大事にすればよかった」
「働き過ぎなければよかった」
「素直に生きればよかった、気持ちを伝えるべきだった」
という内容の後悔が多いそうです。

”もっとお金持ちになりたかった” “もっとテレビドラマを見ればよかった”という後悔はありません。
これから死ぬというのに自分のお金がどこに行くのかを心配しても仕方ないですよね?もう使えなくなるのですから。
やっぱり幸せを感じるのは友達や家族と過ごす時間なのでしょう。
今ある幸せに気づけないと、とにかく欲に負け、お金を稼ぐために必死になったり、無駄に強がったりしてしまいますが、果たしてそこまでお金や人にどう見られているかは大事なのでしょうか。

そして今ある幸せはずっとあり続けるとは限りません。
よく「ある物に感謝しろ」と言いますが、これがなかなか難しい。
そんな時は今の安定した生活、家族などがいつまでもあるとは限らないと考えて下さい。
震災により数時間で家と家族を失った人、事故や病気で一瞬で家族を失った人は山ほど居て、いつあなたに降り掛かってもおかしくない現実です。
友達・恋人・実家にいる家族…

自分の貯金や見た目が一番大事ですか?
そういうことを意識して、いつか思い通りのものを得られても、その時には一人になっているかもしれませんよ。

みんな欲張りで今ある幸せに気づけない

ぼーっとしていると、何かしらの欲が出てくるのが人間。
そんな自然に欲が湧いてくる状況にあること自体、生活に余裕がある状況であることに気づいている人は少ない。
例えば戦争になったとして、実際に自分が兵士になってその立場を体験したり、それによって苦しんでいる人の情報をテレビか何かで見て、ようやく「平凡な日常」が幸せそのものであることに気づく。
親と口喧嘩してても、職場で嫌いな人がいても幸せの内だし、仕事や部活なんかでミスしてもそこからどう立て直すかはその人次第でどうにでもなる。
多くの人が、自分の体を満足に動かすことができているのではないでしょうか。
自分の足で歩いて移動できているのではないでしょうか。
食べたいものは、買ってきたりすればある程度思い通りに食べられているのではないでしょうか。
満たされないまま、ずっと「いまより良い環境」を求め続けて、一体いつ幸せになれるのでしょうか。
大変な生活をしている人は、「幸せ」について考える暇すらない。
明日、ミサイルが降ってきて死ぬかもしれない、そんな人も世の中にはいるのだ。
ある意味で人間は、「生きている」それだけで幸せなのに、暇すぎていろんな欲求が湧き上がってしまう。
その暇を埋めるために仕事や遊びでスケジュールを忙しくする。
今は技術が発展していろんなことができるようになった時代。それゆえに欲も増える。
昔は洗濯なら手洗いで時間がかかるし、米を炊くのも炊飯器なんてないわけですから時間がかかる、農作業も全部手作業、そうこうしているうちに1日が終わっていた。その頃は「もっと便利になれば」が国民全体の欲でした。
でも今は違いますね。食事の用意も洗濯も効率が良くなり、明らかに時間に余裕ができた。その結果どうなったか?
余計なことを考えるから精神疾患は増える、暇な時間があると退屈だからひたすら遊ぶ・働く。
要するに暇なんですね。退屈なんです。
そして退屈というのは人間にとって「不快」になってしまう。
何かを追い求めている人は、それが手に入った後にはまた「別の何か」を求めます。
人生というのは常にその時点で完結している。過去や未来に想いを馳せるよりも、考え方を変えて「今」が幸せであると考えることが大事ではないでしょうか。

最後に

タイトルの「誰もどう生きればいいかなんて分かってない」というのは偉そうに聞こえるかもしれませんし、確かに極論です。
そもそも「どう生きるのが正しいのか」という議論自体する意味がないと思います。
人間が地球に存在していること自体がそもそも正しいかどうかわかりません。
環境汚染は進むばかりで地球にとって人間は害でしかありませんし、人間が生きていることは良いことだというのは、人間がそう主張したいだけです。生物的な本能とでもいうのでしょうか。
でもそんなこと考えたところで我々が日々生きる上では何の役にも立ちません。
ただ個人的には、ゆとり教育や働き方改革などの影響も受けてたどり着いた現在が、道徳のない世界へ進んでいるような感じがしているので、お金や資産などでは測れない「本当に大事なもの」を考えて書きました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?