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どれだけ泣いても、涙は枯れないらしい。

今年の1月で26歳になりました。

適応障害と診断されて5ヶ月。騙し騙し働いていたけど、医師に「休みましょう」といわれて先週から休職になった。ホッとするのも束の間、というか『ホッ』となんてしてたぶん一瞬もしていない。今日も今日とて、家で1人パニック発作を起こしてしまい、生きているのが辛くなった。
食べられないと死ぬ気がするし、食べすぎると死にたくなるし、適度な食事の量がわからない。

昔「好きな人、将来結婚する人にも一生言えない秘密があるか」と問われたことがある。その時は「ない」と答えたが、あれは今思えばうそだ、というか、正しくはなかった。ずっとこんな状態であることを、誰かに助けてほしいと思いつつ、誰にも知られたくない。「あんなのかすり傷だった」と、ぜんぶ忘れて、幸せになって笑って死にたい。

そう思いながら、生きてきたけどもうそろそろ限界では?
じゃあどうする?
このさきどうやって生きてく?
生きてくだけでお金がかかるのに「生きてるだけでいいよ」なんて無責任に言える? 

26歳。
1月に、タトゥーを入れた。
2月と3月はどうやって生きていたか覚えていない。
4月に、成人式の写真も大学の卒業式の写真も撮っていなかったから、親孝行になればと思ってスタジオで写真を撮った。
親友(だと思っていた人)と、連絡を絶った。
5月に、今までずっと片想いしてい人にやっと気持ちを伝えた、けど、先月入籍したらしく、15年もの間胸に抱えていた、おそらく大切な『何か』を手放した。

すべてが『最期』に向かっている、と本気で思う。いつか自叙伝を作って死ぬつもりだったが、25〜26歳を綴るページはさぞ読み応えのあるものになるだろう。
ガチのメンヘラになると、昔の文豪たちが若くして自死した気持ちがなんとなくわかる気がする。こんな夜を何度繰り返してきたのか。noteを遡る限り、何年経っても同じことばっかり書いているから、きっと、そういうことだ。


私は「さようなら」がちゃんと言えない。

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