♪ 若者の時代 ♬

遅ればせながら、『お金2.0 ~新しい経済のルールと生き方』を読みました。ペラペラっと目を通しただけだけど。

安堵しました。
こうした構想を持ち、その実現に向けて歩み始めている若者がすでにいることに。

同時に、若干の寂しさを感じずにはいられませんでした。
ぼくのようなオッサンは時代に取り残されて、若者たちが切り拓いてくれるであろう「新しい時代」に乗っからせてもらうことになるんだなぁ、と。


著者が構想するお金2.0とは、時間が貨幣になっていくものです。時間は経過するものですから、お金2.0はそのままにしておくと、なくなっていってしまう。つまり、マイナス金利のお金です。

お金2.0が普及していけば資本主義から価値主義の時代になる。その見通しに賛同すると同時に、そのように時代が進んでいくことを強く望みます。


現行のお金1.0には大きな効用がありますが、同時に非常に大きな副作用もある。本書の「はじめに」には、著者がその副作用を身を以て体験したことが少しばかり綴られている。

曰く、

そこで純粋に思ったのが、 お金をたくさん持つ家に生まれた子供はたくさんの機会が与えられ、 そうでない家庭に生まれた子供には選べる道が少ない、ということでし た。

「人生って平等じゃないんだな」

もはやありきたりになった「経済格差」です。
でも、折れない。

幼少期からずっと自分の人生に影響を与え続けてきた「お金」の正体を掴み、今よりも良い社会の仕組みを自分の手で実現しようと考えました。
 かつて、電気の発明が人間の生活を一歩前へ進め、医学の進歩が疫病から多くの人を救い、身分の解放が個人の一生に多くの可能性をもたらしました。
 同様に「お金」や「経済」もまだまだ進化の途中にあり、人間は今とはもっと違う存在を目指せると、私は信じています。

この「信じます」には感じ入ります。
というのは、お金1.0の最大の副作用は、「信じる」ことができなくなるというものだからです。しかもその副作用は、お金がない人の方に強く作用する。お金1.0の最も不条理な性質です。

お金は誰もが信じる。
だから人間を信じることができなくなる。
お金を信じることは〔信用〕です。
人間を信じることは〔信頼〕です。
〔信用〕は根拠を提示できるが「信頼」は無根拠です。

人間は他人を〔信頼〕します。
〔信頼〕で社会を営むように進化し、環境に適応してきたのがホモ・サピエンスという生物種です。進化の結果として生じた〔信頼〕はアタマは理解できません。それは「そうなっている」としか言いようのないもの。

だからこそ〈無根拠〉。
空が青いのは、
春になると桜が咲くのは、
「そうなっている」としか言いようがない。
どこにも理由は見いだせない。

ところが、「みんなが信頼する」となると、この「みんなが信頼する」という事実が【根拠】になる。【根拠】によって成立するものは、もはや〔信頼〕ではない。〔信用〕です。

さらに具合が悪いことに、技術や観念が発達して「豊か」になった社会で生存するためには〔信用〕のほうが〔信頼〕よりも有利。どれだけ他人を〔信頼〕していても、所詮、〔信用〕の極点であるお金がなければ社会のなかでは生きていくことができない。

そのような社会のなかに生まれ落ちてしまった人間は、自らが生き延びるための〔信用〕すなわちお金を獲得しようと切望します。この切望が、この希望が、〔信頼〕よりも〔信用〕の方が大切だと思い込ませる原動力になる。だから皮肉なことに、お金がたくさんあって「切望」の度合いが少ない人の方が、まだしも〔信頼〕する能力が育つ。

そして、宣うわけです。
お金を稼ぎたかったら〔信頼〕を獲得せよ、と。
実際、〔信頼〕こそがお金を呼び込み込むというのは事実です。でも、一方で、お金1.0が〔信頼〕を損なっているのもまた事実です。つまり、だれかが多く取るほど、ほかのだれかはお金の元になる〔信頼〕を奪われていく。

これは、はなはだ不平等であり、〔システム〕の欠陥です。

ところが多くの人がその欠陥に気がつこうとしない。
お金がたくさんある人は、自分のお金が他者の〔信頼〕を奪っている事実に目を向けない。自らのアイデンティティが脅かされるからです。お金がない人は、とりあえず生き延びるためには死に物狂いで〔信用〕を獲得しないといけないので、そのような気持ちの余裕を持つことが難しい。


お金2.0は、人間から〔信頼〕を損なうことがないお金だろうと考えます。お金が時間とともに減っていくものであるなら、それは〔信用〕がおけるものではありません。〔信用〕が機能しないのなら、〔信頼〕を獲得する方が生き延びるのには有利です。

自然環境のなかでは〔信用〕よりも〔信頼〕のほうが圧倒的に有用です。なので、自然が豊かな環境で暮らす人たちは、現在でも〔信頼〕を重んじる。貨幣経済が支配する文明社会はその逆になる。そして、ホモ・サピエンスという生物種にとっての基本は〔信頼〕。〔信頼〕によって社会を営む能力を獲得することで、ホモ・サピエンスは現在まで生き延びている。

けれど、お金1.0は、ホモ・サピエンスの基本を阻害するように作用します。大きな文明社会を築き、技術を発達させ、個々の生存率を向上させるという効用をもたらす一方で、ホモ・サピエンスらしくない生き方を強いることにもなる。お金で心が病んで自殺にまで至ってしまう人が後を絶たないのは、お金1.0が、進化の末に獲得した能力を押し殺してしまうのが大きな原因の一つでしょう。

けれども、お金も経済も、まだまだ進化します。
人間がホモ・サピエンスとして持って生まれた〔信頼〕を育んで行く能力を阻害しないお金もありえる。技術の発達によって可能性が展望できるようになった。それが「お金2.0」だろうと考えます。

こういった発想は、お金1.0に恵まれていても難しい。かといって、お金1.0への切望に飲まれてしまってもできません。〔信用〕が支配する〔システム〕のなかで、〔信用〕よりも〔信頼〕への切望を保ち続けることができないと湧き上がってくることはないでしょう。


〔システム〕に抗いつつも、自身の感性に従った素朴な疑問を見失わず問い続け、新しい答えを見出すことができる若者が出現したことに、大きな安堵を覚えます。

これからは一人一人が〔信頼〕と〔信用〕の何れか、あるいはその両方を選ぶことになる時代になると思います。そうなっていって欲しいと思います。



〔信用〕がもたらすのが〔幸福〕。
〔信頼〕がもたらすものが〈しあわせ〉。

〔信用〕と〔幸福〕が、〔信頼〕と〈しあわせ〉がどのようにつながっていくのか。あるいは〔信用〕はなぜ〔信頼〕を、つまりは〔幸福〕がなぜ〈しあわせ〉を阻害していくのか。新しい〈システム〉作りは若者に任せて、オッサンは自身が抱えている謎の言語化に挑むことにしましょう。

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愚慫

〈しあわせ〉の哲学

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