ナツキスバルをクズだと断じるたったひとつの理由
前回からの続きに入る前に、またもや寄り道を。
ヘッダー画像はネットから適当に拝借しました。
『Re:ゼロから始める異世界生活』の人気キャラクター、レムです。
小説投稿サイト『小説家になろう』にて2012年4月より連載が始まり、MF文庫J(KADOKAWA)より2014年1月から刊行されている。また、『月刊コミックアライブ』において2014年6月号より書き下ろし短編小説『Re:ゼロから始める異世界生活 外伝』が掲載されている。
2019年2月現在、今までに公開された作品はすべて閲覧が可能で、作者により削除の予定はないとされている。
2016年4月から9月までTVアニメが放送された。
Wikipediaの記述です。
ぼくが見たのはTVアニメの配信。AmazonPrimeVideoで。
小説のほうは未読です。
今日、取り上げたいのはアニメのエピソード18。
タイトルは『ゼロから』。
参考記事です。
レムは健気です。
『Re:ゼロから始める異世界生活』のヒロインですけど、メインではありません。主人公ナツキスバルのナンバーワンはエミリアという名で、レムはナンバーツー。スバルに思いを寄せるけれどナンバーツーに甘んじて、それでもひたすらにスバルに尽くすという、スバルにとっては好都合な女子。
いえ、好都合に留まらない。
好都合以上に好都合なヒロイン。
そのことを示すのがエピソード18。
エピソード18は、『Re:ゼロから始める異世界生活』のストーリーとしては経過地点ですが、感銘度という点ではクライマックスに達しています。
ナツキスバルは大きな矛盾を抱えています。自分が置かれた境遇を他人に話すことができない。魔女にかけられた呪いによって。無理に話をしようとすると不幸な出来事が起きてしまう。
スバルは他者からの理解を得ることができないキャラクターという設定になっています。
これはなかなかに秀逸な設定だと思います。他人から理解を得ることができないキャラクターとは、他でもない、ぼくたち自身がそうだから。
だから、次善の策として「成功」を求めるんですね。スキがつくと嬉しくなり、サポートもらうともっと嬉しい。本当の理解は得られない代わりに、誰にでも理解ができる明確な形(数字など)で埋め合わせをするというか、せざるをえないというか。
スバルのキャラクター設定は、ぼくたちを反映している。
エピソード18でスバルがレムに向かって訴えるのは絶望です。
この絶望がまた、わかりやすい。
『Re:ゼロ』の設定で、スバルは幾度も死に戻りします。『Re:ゼロ』は流行のタイムルームもの。死に戻って幾度も困難にトライをすることができる。できるけど、何度トライしても失敗する。残酷な結果にしかならない。そして、視聴者は「結果」を見て知っている。
設定の中のスバルは残酷な結果の蓄積をレムに伝えることができません。ただただ、「オレは絶望している」としか伝えられない。絶望の中身を伝えられない。絶望の中身を伝えることができずに、レムに助けを求める。レムに逃げ場所になってくれと頼む。
絶望の中身を伝えられないなんて、まんま、ぼくたちですよね。スバルの場合は魔法という「設定」ですが、ぼくたちの場合も「設定」。現実はそんな設定になっているとしか言いようないような現実で生きています。
レムは、その中身はわからないけれど、スバルの絶望を察します。けれど、救いを求めて差し出したスバルの手を握らない。スバルの絶望には手を差し伸べない。絶望の逃げ道にスバルがレムを選んだことを喜びながらも、「選ばれた喜び」から絶望に手を差し伸べない。手を握るのは希望のみによってと語る。とても賢明な態度です。
スバルは食い下がります。レムが己が絶望を察してくれているのを察してもいるところに付け入ろうとする。「絶望が伝わらない絶望」を理解してくれと訴えます。
「オマエはわかってないだけだ! 自分のことは自分がいちばんよくわかっている!!」
スバルの言葉はレムへの抗議の形になっていますが、その実、この言葉は訴求です。
オマエ(レム)にはオレ(スバル)はわからない。そのことを理解してオレ(スバル)を受け入れて欲しいという一方的な要求。
レムの答えは
「スバルくんは自分のことしか知らない! レムが見ているスバルくんのことを、スバルくんがどれだけ知っているんですか!?」
セリフに込められる感情を剥ぎ取って言葉が指し示す意味だけを追いかけると、レムの返答はスバルの一方的な要求に対抗する、これまたレムの一方的な要求です。レムもまた、スバルに理解ほしいと訴求する。
ここで「不思議なこと」が起きます。
双方が互いを知らないと言葉にした。言葉のまま順当に流れるならば、接点はないと明らかになったのだから、このまま別れていく流れになるはず。ところがそうはならない。むしろ言葉では接点が見つからないと明らかになったことで、言葉にはならない「深いところ」で理解を求めているということが感じられる。
言葉のレベルでは「不思議なこと」。
言葉にならないレベルでは「自然なこと」。
「不思議なこと」は「自然なこと」であることが明らかになる。
「明らかになる」という書き方は言葉レベルの書き方なので、「強く感じられる」と書くべきでしょうか。
レムはこのことを最初からしっかりと把握しています。だから、絶望から差し出された手は握らならなかった。スバルの「言葉レベルの絶望」に同じく「言葉レベルの絶望」をぶつけて中和し、「(言葉にならない)自然のレベル」を露わにします。
自然のレベルでは、「今、現に生きていること」がそのまま〈希望〉です。レムがレムの言葉レベル絶望の後に語るのは、「今、現に生きていること」を体感した過去の経験です。身体はまだ生きてはいるが、心が死んでしまっていた。心が仮死状態だったことを「時間が止まっていた」とレムは表現し、「今、現に生きていること」を体感させてくれたスバルを「英雄」と呼ぶ。
スバルは、スバルが「レムの英雄」であることを自覚することで仮死状態になることを免れます。レムはスバルの「絶望の手」を受け止めるとスバルを仮死状態にしてしまうことをわかっていました。「絶望の手」を受け止めることは仮死状態になることに許しを与えることになったこと、だからこそ受け止めることができなったことを。
ここまで書き表すと思い返されるのは、レムが言葉レベルのレムの絶望を語る前に語った「レムの希望の形」。仕事を探してお金を稼いで、生活が安定したら子どもを...というありきたりな希望。
スバルが差し出したのが「希望の手」であったのならば。
希望と絶望の落差の大きさは、切なさの強度です。架空のキャラとはいえ、その切なさを想像するだけで切なくなってしまいます。
レムはスバルが「絶望の仮死状態」に陥るのを食い止めて、今一度、〈希望〉へと立ち返らせることができた。止まりそうだったスバルの時間を蘇らせた。
にもかかわらず、再び動きだした「スバルの時間」でレムは、ごくスムースに二番手のキープに留まってしまいます。スバルは何らの躊躇もなく、希望のモードに切り替わった瞬間、差し伸べる相手を絶望モードの時とは切り替えてしまう。
あたかも、絶望時と希望時では別の時間だというが如く。
クズです。
切なさを理解できないキャラは。
ちょっくら余談。
率直に言って、『Re:ゼロから始める異世界生活』が面白いのはこのエピソード18まで。19話以下は希望モードへと復活した「ナツキスバルの大活躍大成功」が展開されます。波瀾万丈のストーリー展開は快感に満ちてはいますが、、、
エピソード18は奇跡的な出来映えだと改めて思う次第。
「言葉にならないレベル」について、高橋恵子さんのnoteを改めて。
ついでに。
感じるままに。