「断ち切られた物語」がない世界へ

物語とは、何ごとかと何ごとかの、デタラメなつながりです。

一瞬の夢は幻も、他の何ごとかとつながると、それは〈物語〉になります。

〈物語〉は意味を生み出し、意味が与えられた何ごとかのつながりは、もはやデタラメではありません。


〈物語〉とは創造です。
人間は〈物語〉が大好物で、〈物語〉を糧に人生という意味の旅路を歩む。
〈物語〉が加わることで、創造と人生と物語はしあわせな三角関係に陥る。

人類を救済にするために使わされた人物は言いました。

「人はパンのみによって生きるにあらず」

創造も人生も物語も、〈生きる力〉が発露されていくときの形式。
創造と人生と物語は、三位一体。


が、ときに、〈物語〉は〈物語〉を断ち切る【何ものか】を生み出すことがあります。

その【何ものか】も、〈物語〉から生まれたものであるゆえ、意味がある。しかも厄介なことに、【何ものか】はそこで意味が断ち切られるがゆえに大きな【力】を持つ。「断ち切られた意味」はそこが終着点であるがゆえに多くの人の共通の理解となるからです。


『ホモ・デウス』の著者は、下巻の冒頭で次のように記します。

 現代というものは取り決めだ。私たちはみな、生まれた日にこの取り決めを結び、死を迎える日までそれに人生を統御される。この取り決めを撤回したり、その法を越えたりでききる人はほとんどいない。この取り決めが私たちの食べ物や仕事や夢を定め、住む場所や愛する相手や死に方を決める。
 一見すると現代は極端なまでに複雑な取り決めのように見える。だから、人がどんな取り決めに同意したのかを理解しようとする人は、ほとんどいない。何かソフトウェアをダウンロードし、添えられている、難解な法律用語が何十ページにも並ぶ契約書に同意するように求められたときに、一目見て、最後のページまでスクルロールして、「同意する」という欄に印をつけ、後は気にしないのと同じだ。そころが実際は、現代とは驚くほど単純な取り決めなのだ。契約全体を一文にまとめることができる。すなわち、人間は力と引き換えに意味を放棄することに同意する、というものだ。

無限の何ごとかが生成ししてる世界に人間は〈物語〉によって意味を与える。〈物語〉から生まれた【力】は世界を細切れに単純なパーツに分解し、再構築する。再構築もまた〈物語〉であるがゆえに、再構築された世界も意味をもつ。虚構としての意味。

【力】が大きくなればなるほど、世界はより小さく単純な細切れの再構築物となる。単純化された複雑さ。あるいは神秘的な合理性。


神秘とは創造の別名ですから、物語も人生も、また神秘。細切れ再構築物である虚構は神秘的な合理性を持ちますが、それは人生の神秘とは似て非なるものになってしまっています。


【力】によって断ち切られることなく綿々と続く〈物語〉は、一つの大きな神秘。それは複雑な単純さであり、合理的な神秘。平たくいえば、

 「生きることには意味がある」

生きていてこそ意味が創造されるのだから、生きていることの意味がないわけがありません。


「何十ページにもわたって難解な法律用語が並ぶ契約書」は別の、もっとわかりやすい言葉で置き換えることができます。それは“歴史”です。

歴史を紐解くことは、「難解な法律用語が並ぶ契約書」を読み込むことに他なりません。

「複雑な取り決め」によって奪われている人生の意味を取りもどしたいのなら、取り結んでいる契約を解除しなければなりません。それには難解な契約書を読み解く必要がある。


新たな契約は、意味を断ち切る【力】を生むことがないことが望ましい。【力】に意味を与える【〈物語〉が断ち切られた物語】に拠らない契約。〈物語〉が断ち切られることがない、ネバーエンディング・ストーリーが生成されていく契約。〈生きる力〉との直の契約。

「人はパンのみによって生きるにあらず」と言った過去の人は、きっとそうした契約を望んでいたに違いありません。自身の言葉が【〈物語〉が断ち切られた物語】になっているだなんて、想像もしていなかったことでしょう。

感じるままに。