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成長という名の「置き換え」

続きです。

申し訳ありませんが、前編からお読みくださいませ m(_ _)m


前回の話の一部の言い直しから。

前回「100万ドルが何度でも廻る」と書きました。決して嘘ではないけれど、正確でもない。正確に記すには複式簿記を知識がが必要ですが、面倒なので、別の言い方に言い直します。

「言い直し」は訂正でも修正でもありませんから、念のため。


登場人物は3名で、

金融業者のサミュエル・グリーディ氏。
建設業者のA・A・ストーン氏。
料理人のジェイン・マクドーナッツ夫人。

架空世界に存在するお金の初期量は100万ドルでした。

成長1

最初はストーン氏の元にあったは100万ドルは、グリーディ氏の銀行へ渡り、次にマクドーナッツ夫人へと融資され、マクドーナッツ夫人は100万ドルをベーカリー建築の費用としてストーン氏に支払います。

お金の動きは上図のようになります。

ストーン氏の元に戻ってきた100万ドルはどうなるのか。

成長2

登場人物3人の、いずれの手元からも消えてしまう。といって、100万ドルが消えてなくなるわけでありません。

成長3

ストーン氏が経営する建築業者はマクドーナッツ夫人のベーカリーを建設するために資材や労働力を調達しなければなりません。100万ドルは資材業者や労働者に支払われて、登場人物3人の手元からはなくなり、3人が暮らす「社会」の中に分散して行ってしまいます。


ここで始めて「社会」なるものが登場してきました。なので、話の設定に付け加えます。これまでは3人でも社会は社会ではありますが、ここでいう「社会」とは少し意味が違います。不特定多数の人間の集合です。

現実にはありえない設定ですが、ここで(ストーン氏の建築業者からさまざまな支払いが行われて)始めてお金が出回ったと仮定をします。それまではこの社会にはお金は存在していなくて、物々交換をやっていた。モノやサーヴィスに価格もついていなかった。

ところがお金が出回り始めると、瞬く間に流通して値段もついた。たとえばパン1個は1ドルと交換されるようになった。そしてここがこの新たな設定で重要なところなのですが、

「社会」に存在するすべての物品・サービス――「富」――は、100万ドルに相当すると考えられるようになった

あくまで仮定ですが、まるでデタラメな設定かというと、そうではありません。ここは経済学の基本設定を踏襲しています。



さて、設定を拡張して、話は次の段階に移ります。

もともとの『サピエンス全史』の話では、ストーン氏に建築依頼したマクドーナッツ夫人のベーカリーは100万ドルでは費用が不足したのでした。

そこでどうしたか。
グリーディ氏の銀行はマクドーナッツ夫人と契約して(←ここ重要)、新たにマクドーナッツ夫人の銀行口座に「100万ドル」と書き入れ、合わせて100万ドル分の紙幣を印刷したのでした。

すると、どうなるか?

成長4

赤の100万ドルは、ストーン氏が稼いだ「過去の労働」です。一方で緑の百万ドルは、マクドーナッツ夫人とグリーディ氏が契約を交わすことで誕生した「未来の労働」

「過去の労働」「未来の労働」という言葉を、もう少し正確に言い直すと

過去に為した労働の結晶
未来に為さなければならない労働契約

ずいぶん意味が違いますよね。

でも、赤の100万ドルと緑の100万ドルは同じお金。本当は中身は「過去の労働」「未来の労働」で違うのだけど、区別されない。一緒くたになって「社会」の中に散らばって行ってしまいます。

汚い言葉でいえば、味噌も糞も一緒になってしまいます。

額に汗して労働して稼いだお金は、お金を稼いだモノにとっては貴重な味噌(債権)に相当するでしょう。一方で、契約に縛られて未来において労働しなければならないお金(債務)は、糞になる。まして、他人の債権ならば。


重要なのは、契約をしたのはグリーディとマクドーナッツ夫人の2人だけということです。建築業者のストーン氏も、「社会」を構成する不特定多数も彼らの契約に何の関わりもありません。

なのに、赤も緑も一緒くたになって「社会」に分散すると、関係のない者も巻き込まれてしまうことになる。経済学の設定に従う、つまりは現実に起きることは、

「社会」に存在するすべての物品・サービス――「富」――は、200万ドルに相当すると考えられるようにな

のです。

この現象をインフレーションと言います。
つまり、物価が上がる。
1ドルで購入することができたパンが、2ドル支払わないと購入できなくなってしまう。

グリーディ氏やマクドーナッツ夫人がそうなるのはいいでしょう。彼らが結んだ「契約」によってそうなるのだから。

では、その「契約」に関係のない者は? 

もういちど、前回引用した『サピエンス全史』の文章を提示してみます。

 これは巨大なポンジスキーム(ネズミ講に似た詐欺の一種)ではないかと思う人がいるかもしれない。だが、もしこれを詐欺と呼ぶなら、現代の経済全体が詐欺ということになってしまう。現実にはこれは詐欺というより、人間の驚くべき想像力の賜だ。銀行が――そして経済全体が――生き残り、繁栄できるのは、私たちが将来を信頼しているからに他ならない。この信頼こそが、世界に流通する貨幣の大部分を一手に支えているのだ。

「現実」とはなんでしょうか?

提示しているのは架空の話で現実ではありません。架空の話するのは、複雑で理解しがたい現実を理解しやすくするためです。グリーディ氏やマクドーナッツ夫人は架空の人物ですが、現実の社会には架空の二人が交わしたような「契約」を交わす個人は法人が山ほど存在します。

と同時に、「契約」と関係のない個人は、それ以上に現実に暮らしている。

現実は、「契約」を交わした者たちにとっては想像力の賜物であるのは間違いないけれど、「契約」に関係のない者にとっては詐欺に過ぎないということです。これこそが正確な現実だと、ぼくは考えます。

いかかでしょう?


耳障りはいいんです。

「人間の驚くべき想像力の賜」
「私たちが将来を信頼しているからに他ならない」

かくありたいという人はおおいでしょう。
かくあるべきだと考える人も多い。
けれど、だからといって、現実に「かくある」かどうかは別問題でしょう。

社会全体、マクロのレベルでは、「かくある」ようになっています。かくあるべくしてシステムが構築され、かくなければ立ち行かないような仕組みになっている。これはこれで現実。

けれどミクロのレベル、ぼくたちひとりひとりが「かくある」かどうかは別問題。かくあるべしと思うかどうかも別問題。かくあるべきかどうかは、個人の自由に属するはずの問題。

でも、そう考えて行動すると、異端者になってしまいます。


令和という時代は、異端だったものが異端でなくなっていくかもしれませんが、それには【システム】を改めないとならないでしょう。

未来が【契約】によってお金に「置き換え」られてしまうような【システム】と、【システム】を支えているマインドセット。

「エートス」と言った方がいいのかもしれません。


『サピエンス全史』の「わかりやすい例」からの話はまだ続きますが、次回は少し寄り道を予定しています。

「未来」というステージの想像を可能とする「時間」について。

感じるままに。