幸福の対義語
ぶた。さんの小説を読みました。
そして、ふたつのことを思いました。
ひとつは、一昨日にアップした自身のテキスト。
もうひとつは、
退屈は、幸福の対義語
だということ。
愛情は反対は憎悪ではなく無関心だと言います。同じように考えれば、幸福の反対は不幸ではなく退屈になるでしょう。
こんな具合。
幸福と不幸は、ヒトとして、線対称。
成功とは、人間として、線対称。
退屈とは、存在として、点対称。
〈探索〉という営為と、人間として線対称なのは〈探究〉という行為です。
アメリカの哲学者でプラグマティズムという思想潮流の出発点でもあるチャールズ・サンダース・パースという人は、〈探究〉を次のように定義しています。
探究とは、ダウト(懐疑)という刺激によって始まって、ビリーフ(信仰・信念)によって停止するプロセスである
成功とは〈探究〉がうまくいくこと。
懐疑(ダウト/doubt)は、言い換えれば不安(uneasiness)。〈探究〉とは不安を紛らわせるための防衛機制であり、それがうまく行くと「成功」になる。成功すれば快楽を得られて楽しいのです。
〈探索〉とはなんなのか。
ぶた。さんの小説では、ここは描かれていません。成功のはずが退屈へと、〈探究〉が絶望へと転回するのを体現するのは小林です。一方の谷川はというと、小説からは想像されるのは、やっり退屈なイメージです。退屈であることが身の丈に合っていて、身の丈に合っていることが幸福なんだ、と。
では、〈成長〉はどこに行ったのか。
好奇心は幸福とは無縁なのか。
ぼくたちが失っているのは、〈探索〉についての想像力です。
「不安」の対義語は「安心」です。これは、言葉としての対称です。ヒトとして対称させると「不思議」です。
懐疑(doubt)の反対は、不思議(wonder)。
子どもの頃は、だれもが不思議を識っていたはずなんのこと。
感じるままに。