空気は読める?

空気を読むって?

「空気を読む」。空気に何か書かれている?そんなわけはないが、ほとんどの人は空気を読むことはできるだろう。周りの目を気にして空気を読むために、自分を抑える。どこか息苦しい、自分らしさを出せない、そのような経験を誰しも一度や二度はしたことがあるだろう。

世間は日本だけにある考え 

 『「空気」を読んでも従わない -生き苦しさからラクになる-』(鴻上尚史著、岩波ジュニア新書)では、世間と社会の違いを歴史的、文化的な視点から分析して記されている。世間とは自分たちと関係のある人、社会とは自分と関係ない人たちのことである。その世間の名残は、江戸時代までの「村社会」にあった。人々は生き延びていくために、知っている者同士の村人と助け合いながら、ひとつにまとまって生きていた。また、村八分という言葉があるように、村人は村の掟に従っていれば、村は村人を守ってくれた。世間のルールを守れば、自分は生きていける。そのような世間という考えが、いまの日本文化に根強く残っているという。その世間が、日常化したものが「空気」であると著者の鴻上氏は指摘する。 また、世間という言葉は日本にしかなく、外国ではそれが驚かれるという。

空気ばかりには従わない

 いまの自分にとって、空気を読むとは何かを振り返ってみた。仕事で早く帰りにくい空気、会議で自分の意見を言い出しにくい空気…。そんな空気に日々触れていると感じている。「本当は早く帰りたいのに」「自分の思っていることを言いたいのに」とモヤモヤしながらも、「空気」という同調圧力に屈する自分がいる。日本文化特有である、この「空気」という存在。本書を読んで、空気ばかりに従わず、自分の気持ちに素直に従いたいと思うきっかけになった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?