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高橋咲『15歳天井桟敷物語』を読んでみたんだ

十五歳で天井桟敷に入り、二度の海外公演を経験しながらも、違和感と徒労感を抱き、安部譲二の情婦となり、天井桟敷を退団した少女、高橋咲の自伝第一弾。
心を病んだ母を持ち、鬱屈と充満する自意識を抱える少女、咲の視点から見える天井桟敷は劇団内での男と女の複雑な関係がくっきりと描き出される。それは、演劇関係者なら「あるある」と忍び笑いをしていまいたくなるものであるが、寺山修司とその作品群を崇拝、盲信するものには噴飯ものではないかとはらはらしてしまう。
特に際立ったのは女をとっかえひっかえしながらも匂いたつような牡の貫禄で周囲を苛立たせながらも妙に納得させるJ.A.シーザーの佇まいと彼に翻弄される女たちの醜さ、惨めさ、そして哀れさである。それは咲も例外ではなく、シーザーに粘着していた女劇団員に鼻白む彼女がシーザーに抱かれて以来、その轍を踏んでいくさまは滑稽かつ悲しい。他の劇団員の恋模様も暴露しており、特に空回りな一途さとそれに伴う意固地さとうっとおしさをこの本で露にされた蘭妖子と咲への恋慕というよりは執着心を露呈された森崎偏陸は著者に掴みかかってもいいくらいだと思う。
全体的に、いささか上から目線の描写と安部譲二と付き合い、それに比例してあと砂をかけるように劇団を去るラストが鼻につくが、寺山修司の母、寺山はつへの寺山の尋常でない怯えも端的ではあるが明確に描写されていること、そして寺山を取り巻く二人の女、口数は少ないが劇団の緩衝材的存在である前妻の九條映子、寺山の手となり足となり甲斐甲斐しく献身するも「肉じゃが女」臭や自分を阻むものや逃げたものへの冷淡さがこぼれにおう秘書の田中未知の対比描写で見せる著者の観察眼には感服する。
やや暴露本的なところがあるものの、演者から見た邪宗門の舞台の様子や海外公演の様子を鮮やかに記したこの本は天井桟敷の舞台をリアルタイムで知らないものとしては有難く、資料的価値がある。

(文責・コサイミキ)

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