オキナワンロックドリフターvol.54

2005年夏。久しぶりにアルタイルさんに電話してみた。2004年の8 8の一件からコウさんとワイアードさんを筆頭に常連の大半を失ったが、フランさんとアルタイルさんは中立の立場を取ってくださり、時折メールや電話のやり取りをしていた。
アルタイルさんは8月にコウさん、ワイアードさんたちと沖縄に合流して8 8 Rock dayを観に行くという。
はは、つまはじきにされた私は蚊帳の外ですなと、複雑な気分を抱きながらアルタイルさんに「いってらっしゃい」を告げた後に少し雑談をした。
アルタイルさんに城間兄弟の状態を尋ねられたので、私は正直に話した。
アルタイルさんは全盛期の紫を体感している数少ない人だ。自身のサイトにも紫は俺にとってのヒーローだと書かれている。そんな方に今の城間兄弟について話すのは心苦しかったが誤魔化したところでいつかは綻ぶと思い、正直に話した。
アルタイルさんの長く重いため息と沈黙が矢のように刺さった。
「まいきー、まいきーがオリジナル紫を現役の俺たちと同じくらい好きで、特に城間兄弟を好きなのはよく分かるよ。でももう復活は無理なんじゃないかな?言い方は残酷だけれど、あの二人は世間から淘汰された感じだしさ、あの二人を一般人として見て、距離を置くべきかも?」
沈黙の後のアルタイルさんのこの言葉はかなりきつかった。 アルタイルさんは、沖縄ロックに関わりすぎて満身創痍状態の私を心配してこの言葉を放ったのは口調の労るような柔らかさで伝わった。しかし、何故なのだろう。「でもやるんだよ!」とふつふつと心の中で火が燃える天の邪鬼さは潰えることはなかった。何故そこまで執着したのだろう?未だにその原因がわからない。
アルタイルさんとの電話の後、ため息をつきながら私はココナッツムーン通信を更新した。
ココナッツムーン通信を立ち上げて半年。微々ながらも月を追うごとにアクセス数は増加していった。当時のココナッツムーンは定期的に日替わりライブをやったり、ミカちゃんとマヤちゃんのアイデアでレゲエイベント等をするようになり、益々賑やかになっていたから情報を知りたい方が増えたのだろう。
一方でココナッツムーンの古参だった老夫婦が退職されたり、ミカちゃんがもっと時間の短い仕事に就きたいと退職したりと寂しい話題もあった。
清正さんとはココナッツムーン通信のライブ情報確認を口実に連絡を取り続けた。不謹慎ではあるが正男さんが「壁の向こう」に行ってしまったので正男さんの一挙一動に不安を抱えることがないのは救いだった。
清正さんとの雑談はコザ音楽祭や最近の沖縄の音楽シーン等についてに変わっていった。ネットの普及により、今まで蓋をされていた声が少しずつ出てきたのだろうか、沖縄の音楽シーンやコザ音楽祭についてネガティブな声をちらほら聞くようになってきた。そしてこの頃あたりから沖縄、特にコザの若手ミュージシャンと古株ミュージシャンとの思考の隔たりも可視化されていった気がする。
それについて話をすると時折、清正さんから「あんたは少し辛辣過ぎる。もう少し柔らかく包むように話さないと今に沖縄のミュージシャンたちに嫌われちゃうよ」と呆れられることもしばしばだった。しかし、ピースフル1日目と2日目の動員数が大きな隔たりが目立ってきたのはピースフルを見に行ったコザリピーターの方々のレポや写真からわかった。ローカル匿名掲示板やコザリピーターのブログでも2日目いらないのではという発言が出てきたのもこの頃だった。
それを率直に口にしてしまうと、清正さんからきつくたしなめられるのがわかっているのでオブラートに何重もくるんで話すのを試みたら、それはそれで「あんたの説明はわかりにくい」と清正さんに怒られたのだが。
オキナワンロックについて悩ましい気持ちを抱える一方、mixiのアイランドコミュニティの参加人数が微々ながらも増えていった。中には全盛期のアイランドをライブハウスアイランドに来店して観に行った方やアイランド以前、ダンスクラブ松下(現在のナムラホール)でベースを弾いていた俊雄さんの話をしてくださる方もいて、想い出をシェアしてくださる嬉しさに目を細めた。
さらに、中道さんとユライアヒープやガロと、オキナワンロック以外の話で盛り上がり、互いにトリビアを分かち合ったり、水越さんから旅行の度に新しいコザの情報を仕入れていただけた。
mixiを通して新たな繋がりが生まれた一方、中の町ミュージックタウン構想による再開発で変わってゆくコザの街の様子をイハさんからのメールやコザ在住のブロガーさんたちの記事で知り、大きくため息をついたのも2005年の忘れられない出来事だった。
特に歩道橋の撤去が翌年の2006年に施行されることが決まったのが個人的につらかった。2003年、初来沖の時は俊雄さんに会うべきか会わないべきか迷いながら渡り、2004年2月、2度目の来沖の時はゴヤマートでおにぎりを齧りながら、歩道橋から夜と朝の境目のゲート通りの風景を眺め、8月は休業したゴヤマートを遠目で見ながら、寂れゆくコザの街にため息をついた。想い出の歩道橋。
それがなくなっていくのは身を切られる思いだった。
次、コザに行くのはいつになるのだろうか?その時には既に再開発は終わり、ミュージックタウンというババロアみたいな形の施設が完成しているのだろうか?
そんなことを悶々と考えていた。

4度目の来コザは思ったよりも早かった。 きっかけは、秋に届いた1通のメールである。
その当時の私は、アルタイルさんのブログで沖縄レポを読み、遣りきれない居心地の悪さと疎外感に苛まれ、さらに些細なことで職場の同僚と気まずくなり、仕事への意欲を無くしつつあった。

アルタイルさんやフランさん経由でワイアードさんやコウさんの話を聞くたびに表面は平静を保ちながらも、内心は憎悪でいっぱいになり、休みの日は半ば八つ当たりと逆恨み同然に「仲間、仲間。寄ると触るとその言葉、虫酸が走るんだよ」とひとりごちながら不貞腐れていた。そんな時に舞い込んできたメールだった。内容は要約すると以下のとおり。

「こんにちは、初めまして!! HP拝見しました。実をいうと、本当は『初めまして』ではないのです。 初めてまいきーさんをお見かけしたとき、まいきーさんRainbowの曲を歌っていましたね。 次回お見かけしたときはStay with me を熱唱。 その次の日7th Heavenでの紫のライブで一緒でした。  ほんの少しお話ししたのですが…たぶん憶えてらっしゃらないと思うのですが。 そのとき、まいきーさんが紫などについてホームページを開いているということを知り、そのホームページにひょんなことから辿り着いたのは最近なのです。 ホームページの沖縄レポ見ながら、これはもしかして…?もしかして…?やっぱり、あの女の方かー! 写真を見て、確信しました。 まいきーさん、自分の中でとても印象に残っていたのです」

さらに文を読み進めてみるとなんと、メールの相手はキーストーンでバイトしていたおかっぱ頭の女の子だということが判明。
あのとき、泣きじゃくりながらサイト運営の話をしたがまさか本当にきてくれるとは思わなんだ。

早速返事を書いたところ、2日後に返事が来た。
そして彼女と私はメールのやりとりをし、以来ずっと連絡を取り合う仲になった。

(オキナワンロックドリフターvol.55へ続く……)

文責・コサイミキ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?