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順応に負けるな!

わたしたちは、やがて物事に慣れる生き物だ

至高の味に頬が垂れ下がってしまう高級寿司も、毎日食べれば3日で飽きる(食べたことないが)。

キャリーオーバー中のロト6で高額当選しても、その多幸感は1年と持たない(当たったことないが)。


想像上の、これほどの多幸感も、やがて慣れる。


これはよしとしよう。いずれもポジティブな順応である。我が身に起こって損はない。

やっかいなのはネガティブな順応だ。

窓を開けると鼻先を猛スピードで通過する京急電車の騒音。これも1週間で慣れる(経験済み)。

公園のベンチに捨て置かれたカップラーメン(残汁あり)のゴミも、毎日続けば、やがて慣れる(経験済み)。

サウナ後のグルシンの水風呂も、入水してしまえば得も知れない快感となる(経験済み)。


この順応のおかげで、人はイライラや不快感、さらには痛みを伴う状況に耐えられるようにできている。


快楽順応だろうが不快順応だろうが、人間とは順応していく生物だ。

新年度が始まった。

4月は憂鬱だ。なぜなら前年度の結果発表だからである。

キラキラと輝いて登壇している同僚、後輩を見ると、どうしようもなく落ち込んでしまうのだ。


彼らはキャリアを切り開いている。自分が消えて喜ぶものに自分のオールを任せていない。

その姿が眩しくて、羨ましくて、目がくらむ。


ああ、それに比べて俺は、と恥じ入る一方で、この周回遅れの会社員人生に慣れ切っている自分がいるのも事実である。不快な環境に順応し切っている。


そしてできることといえば、輝く彼ら彼女らの「ダメなところ探し」をして溜飲を下げている。自己肯定感をあげているのだ。

チャンスさえあればあの舞台に立てるはずだと独り言ちながら、漫然と暮らしている。

しかし、待て。
そんなチャンスくるのか。

自分が死んでいることにさえ気づいていない、この亡霊のような状態は、限りある人生において不健全な状態ではなかろうか。


あの舞台でスポットライトを浴び、光り輝く社員たちを見よ。

彼ら彼女らは、光り輝くために仕事してきたわけではない。

複雑で困難でチャレンジングなプロジェクトに挑戦して、臆することなく挫けることなく達成した結果、輝いているのだ。

毎日を一生懸命に生きる。それに尽きる。

あの舞台を目指す必要はない。スポットライトを浴びせて欲しいわけではない。

僕は、毎日を一生懸命に生きるのだ。

それを4月の決意としよう。


夢を叶えることがしあわせではない
夢に向かってがんばることがしあわせなんだ

ぜんぼく


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