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ポップ・ムラユを聴こう Kuala Lumpur Oh Kuala Lumpur

Kuala Lumpur Oh Kuala Lumpur

クアラルンプール、嗚呼クアラルンプール
歌手:Melak Ridzuan

Aku datang dari desa
Hanya sebatang kara
Meninggalkan kampung tercinta
Dan sanak-saudara

愛する故郷と家族を捨てて ※desa:村
田舎から出てきた孤独な俺

Setiba di kota raya
Ku giat berkerja
Berlumba-lumba mengejarkan
Apa yang dicita

街について働き詰めて
必死に夢を追いかけた

Meskipun badai yang melanda
Aku terus melangkah
Mengharungi hidup kota
Dengan sepotong doa

荒波の中でも俺は
祈りのうちに歩み続ける

Agar penghidupanku
Lebih maju bermakna
Cuba membela nasib
Agama, bangsa, negara

信仰と民族、祖国を誇れ
都市での暮らしはより輝く

Kuala Lumpur, Kuala Lumpur
Menyinari hidupku
Kota yang penuh dengan cabaran

クアラルンプール、クアラルンプール
俺にスポットライトを当てる
未知にあふれる街 ※cabaran:挑戦

Kuala Lumpur, Kuala Lumpur
Menyinari hidupku
Kota yang penuh dengan harapan

クアラルンプール、クアラルンプール
俺にスポットライトを当てる
希望に満ちた街

Si miskin dan si kaya
Semua tiada dibeza
Di kota raya yang mempunyai
Berbilang bangsa

ここはあらゆる人々を集める巨大な街
貧しい者も富める者も関係ない

Bila larut senja menjelma
Sungguh indahnya
Oh bertapa aku terharu
Dan sungguh berbangga

なんと美しい黄昏どき ※larut:溶ける
嗚呼なんと苦しくも美しいことか

Kuala Lumpur, Kuala Lumpur
Menyinari hidupku
Kota yang penuh dengan cabaran

クアラルンプール、クアラルンプール
俺にスポットライトを当てる
未知にあふれる街

Kuala Lumpur, Kuala Lumpur
Menyinari hidupku
Kota yang penuh dengan harapan

クアラルンプール、クアラルンプール
俺にスポットライトを当てる
希望に満ちた街

コメント

 Malek Ridzuanという歌手が1981年という急激な発展を遂げていた時代の歌です。
 マレーポップスの巨匠スディルマンは1984年にアルバム「ある部屋からの歌(Lagu Dari Sebuah Bilik)」でBalik Kampung(直訳:村に帰ろう)や1986年にアルバム「村人(Orang Kampung)」でApa Khabar Orang Kampung(直訳:村の人は元気ですか)などの、田舎から都市に出た若者の心境を歌った曲が次々と発表されていきますが、その走りともいっていいでしょう。

 都市生活に胸を躍らせる曲はあらゆる国・地域で発表されるものですが、マレーシアのこのような曲は田舎への執着、自分たちの住む街はここではないという心情が押し出されているように思えます。
 就職先や進学先を求めて都会に出てその生活に疲れ、思い出すのはマレーのカンポン(村)です。いまでもマレーシアの田舎に行くと、そんなマレー人の原風景のようなカンポンが広がっています。決して電気や水道などが通っていないようなカンポンはいまどき珍しいかもしれませんが、それらがあっても都市とカンポンの生活の違いは一目瞭然です。

 マレー人、華人(中国系)、インド人の三大民族で構成されるとされるマレーシアでは、都市に住むのは主に華人とインド人で、マレー人は主に農村に住む人たちといわれます。もちろん農村に住む華人やインド人もいればもともと都市に住むマレー人もいますが、あくまでマレーシアでの一般的な認識だと思ってください。
 マレーシアでの都市化はかなり乱暴に言えばマレー人の都市進出です。カンポンから都市に出てきたマレー人の若者が目にしたのは聳え立つビル群だけでなく、見た目も話す言葉も宗教も違う他民族の隣人でした。もちろん故郷やその近くに他民族がいたというマレー人もいたはずですが、かつてクアラルンプールは「マレー人が広東語で道を尋ねてきた」という話があるほどで、おなじ国内を移動したはずなのに、まったく言葉も通じない人たちがたくさんいる。
 そんな首都クアラルンプールに降り立った若者のたちの心情が歌われたのがこのKuala Lumpur Oh Kuala Lumpurなのでしょう。スディルマンが後に望郷の念を募らせた曲を歌うのとは数年前、まだ未知なる首都で期待に胸を膨らませた人たちの上京の曲なのです。

 翻訳にあたり日本語でのニュアンスを通すためかなりの意訳をしている部分もありますが、概ね原文のニュアンスは受け止めてもらえるかなと思います。

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