がんぺー

爽やかイケメン好青年。日本国籍の在日韓国人三世。高校まで韓国学校、大学はインドネシア語…

がんぺー

爽やかイケメン好青年。日本国籍の在日韓国人三世。高校まで韓国学校、大学はインドネシア語科、マレーシアの国立大学に留学。社会人を経て大学院で海域東南アジアの研究をしています。

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  • ぬさんたら学事始

    マレー世界についての記事。

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    在日韓国人三世として見たこと、聞いたこと、思ったこと、感じたこと。

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  • 民族名を取り戻す話

    日本名で親に帰化され、民族名ではなく日本名の使用を強要された在日韓国人三世が、その本名を取り戻すまでのお話

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祖父のソウル賛歌

 1950年6月25日、北朝鮮が北緯38度線を越えて南側に侵攻してきた。日本では朝鮮戦争と呼ばれるこの米ソの代理戦争は、韓国では「韓国戦争」やその開戦日を取って「6・25戦争」と呼ばれることが多い。朝鮮半島に大きな爪痕を残したこの戦争はもちろん民間人も巻き込み、人々の人生を大きく変えた。  勢いをつけた北韓国の人民軍は南部の洛東江(川)まで一気に攻め込んだ。大韓民国政府ごと玄界灘に飛び込み「アカ」による祖国統一か、というときに国連軍が仁川上陸作戦を敢行。戦況は一気に韓国優勢へ

    • 調査地に行きたくない話

       唸るほどの田舎。マレーシアはボルネオ島の山間の町に滞在しながらそんなことばを発していた。四方を見渡すと緑のジャングル。大阪うまれの僕にはあまりにも田舎すぎた。  この国は周辺国と比べると頭ふたつくらい抜けた経済力がある。経済力があるのでこの山奥でもみんな車に乗っているから渋滞が発生する。その渋滞が発生するのは日曜日。教会に入る車の列が目抜き通りを塞いでいる。それだけカトリックの信徒が多い地域で、マレーシアのカトリックを研究する僕にとって調査地になり得るだろうかと予備調査に

      • バックパッカーをしていたあの頃

         ヒンドゥスタン平野を東に向かって駆け抜ける特急列車。スリーパークラスという一番安い三段寝台の最上段のベッドで、盗まれないように天井の扇風機の上に靴を置き、天井にぶつからないようあぐらをかいて寝台に座っていた。向かいあっていたのは当時大学に通っていたお兄さんで、そのときにはつぎの4月から就職だったはずだ。そして僕は大学進学を控えた18歳だった。インドに旅立つ前、第一志望の大学に合格していたらメールを寄越してくれ、と親に言ったが、合格発表の日を過ぎてもメールは来なかった。入試が

        • マレー語ポップスを聴こう!Knock Knock

          Knock Knock Knock Knock 歌:Elizabeth Tan Bulan, bintang kau janjikan Tidak aku teruja Cakap memang mudah Semuanya mampu 天に誓うというけれど期待していないわ なんでもできると言うのは簡単だけど Kata manis kau beri Kuterpikat belum tentu Cakap memang murah Oh, kau pun tahu

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          マレー語ポップスを聴こう!Malaikat

          Malaikat 天使 歌:Hazama Tuhanku Kamu tolonglah hantarkan kepadanya Malaikat tuk jaganya bila ku tiada Tunaikan semua permintaannya Kerna ku cintanya sungguh-sungguh 主よ、あなたの天使を彼女に送り わたしがいないときにも守ってください この願いにすべてをかけます 彼女をほんとうに愛していますから Pagi pet

          マレー語ポップスを聴こう!Malaikat

          付き合って二週間、いまがいちばん楽しい

           このままいっしょに長く付き合えるのだろうかと不安になるときもあるが、まだ付き合い始めて2週間である。まだよくわかっていないけれど、きっと好きになれる。いや、もう既に好きだ。  一日30分ほどしか会えないのがもどかしい。僕はふだん大学院で研究したり食い口を探すのに仕事したりしているので、会うための時間をなかなかとることができない。それでも合間を縫って毎日顔を見るようにしている。ほんとうはずっといっしょにいたいけど、一日10時間はいっしょにいたいけど、物理的にそれができないの

          付き合って二週間、いまがいちばん楽しい

          独裁政権時代がよかったと言う人たち

           大学でインドネシア語を専攻していたとき、インドネシア人の先生が「いまよりもスハルト時代のほうがよかった」とぼやいたのを覚えている。大統領選挙まっただなかで、現在のジョコウィ大統領の対抗馬であったプラボウォはスハルト時代を賛美していた。学部の一回生だった僕はよくわからなかったが、まさかスハルト時代がいいだなんて・・・、とドキッとしたというのか、少し身構えてしまった。  国土が東西5000kmに広がり、1万2千もの島々があり、海を隔てずとも隣村とですら言語も変わるような島々。

          独裁政権時代がよかったと言う人たち

          夢の88オリンピック

           韓国・慶尚北道のある村、田んぼのど真ん中に「愛郷同胞」の記念碑が建っている。生まれ故郷のこの村に日本から多くの寄付をした僕の母方の祖父の名前が刻まれている。かつて韓国を恐怖政治体制を敷き、一方では発展をもたらした朴正熙大統領もこの近くの出身で、いまでも祖父方の親戚の家に行くとかの独裁者の肖像画がかかっている。むこうのおじさんは「この町に高速道路が通ったのは朴正熙のおかげだ」というが、どう見ても村だ。僕を記念碑まで案内してきた、10親等くらい離れている親戚は「家にある肖像画ヤ

          夢の88オリンピック

          インドネシアの空の旅事情

           インドネシア語を専攻していた学部生時代、教員たちから「よほどのことがない限りインドネシアの飛行機はガルーダ以外に乗るな」と言われていた。ガルーダとは彼の国のフラッグシップキャリア、ガルーダ・インドネシア航空のことであり、インドネシアでいちばんちゃんとした航空会社であると言われている。もっとも、そのガルーダですらEUへの乗り入れが禁止されていた時期もあるのだが、いまはもう改善されて安全になったと言ってもいいだろう。  ローコストキャリアことLCCが空の旅の世界を席巻し人々の

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          大学院に入学したこと

           大阪に帰省して小学校の同級生たちと飲んでいたら口をそろえて「羨ましい」と言われた。大学院を受験して仕事を辞めて東京に引っ越したことを言っているのだが、強調されたのは「それほどまでにしたいことがあるというのが羨ましい」ということだった。  たいして高給取りでもなかったが、大阪に住んでずっと仕事をしていれば生活は安泰でいれたはずである。東京の人には失礼かもしれないが、異動や転職であればともかく貯金を叩いてまで二十代の後半に住むようなことろでもない。学部生時代から大学院への進学を

          大学院に入学したこと

          商店街に流れる聖歌

           何もないところにぽつんと教会だけが高々と聳え立っているのが見える。いまでこそ特急も停車するような交通の要衝であるが、1950年頃の写真をみると周囲にそう建物が多くないことがわかる。この教会がある地域一帯はかつて軍需工場で、その跡地を進駐軍からカトリック教会の関係者に続々と払い下げられたらしい。おかげで駅前ではときどきシスターがてくてく歩いているのが見られるし、カトリック学校が丘のほうにある。駅前にビルが建ち並んだいまも、ホームから教会の屋根が見える。  東京に移り住んだ僕

          商店街に流れる聖歌

          楽しい乗り物ぺてぺて

           世の中には様々な乗り物が存在する。古典的な乗り物としては馬やロバが車を曳くというのがあったし、現代では鉄の塊が空を飛んでいる。自分でころころ漕いでいく自転車もあれば、都市の地下には無数の地下鉄トンネルが通っている。  そんな都市のなかで便利な移動手段のひとつといえばバスである。決まったルート上にある停留所で乗客を乗降させ、料金体系もはっきりしている。僕の出身の大阪やいま住んでいる東京であれば都市内での運賃は均一でわかりやすい。電車ほどは大きくないものの、ある程度の詰め込みが

          楽しい乗り物ぺてぺて

          イスラーム的便利な表現

           たいしたものではないのだが、語学教室の講師を務めたことがある。入門クラスなので文字の読み書きと発音から始まって、基本的な表現、新出単語などを攫っていく。多くの場合は会話ができるようになることを望まれており、というわけで挨拶表現なども学ぶのだが、これがまた曲者なのである。挨拶表現はいろいろな言語でわりと例外的な語彙や表現をすることが多く、初学者にはあまりいきなり教えたくないのである。  いや、挨拶表現はもうそういうものだと割り切って覚えさせるという方法もある。アラビア語での

          イスラーム的便利な表現

          不登校だったとき

           次々に増える赤色の変なお守りと、親戚からの「いっぺんでええから祈祷を受けろ」ということば。いまになると何を見せられていたのだろうかとしか思えないのだが、親や親戚たちはたぶん真剣だった。  中学生のときは不登校になって本格的な登校拒否となった。家から一歩も出ない日もあったが、これは学校が嫌いで行きたくなかったという明確な理由もあった。  問題は高校に入った後のことで、学校に行かなくなった理由がなんとも言えないものだった。べつに学校が嫌いなわけでもなければ、クラスメイトとも仲

          不登校だったとき

          ポップ・インドネシアを聴こう!SurgaMu

          SurgaMu天国(直訳:あなたの天国) 歌手:Ungu Segala yang ada dalam hidupku Kusadari semua milikMu Ku hanya hambaMu yang berlumur dosa わたしの人生のすべては 定められたものだと知った わたしは罪に穢れたしもべです Tunjukkan aku jalan lurusMu Untuk menggapai SurgaMu Terangiku dalam setiap lan

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          祖父の足取りを追う

           韓国動乱(朝鮮戦争)開戦から70年以上が経った。北韓国(北朝鮮)が北緯38度線を越えて攻め込んだ日を取って韓国では6・25戦争とも呼ばれる。共産主義を掲げる人民軍が釜山まで来たらクリスチャンだからどうなるかわからないと、長男だけが暗い夜の玄界灘を越えた。ようは密入国である。この戦争があったからこそ僕は日本で生まれたようなものである。  韓国人男性はよほどの事情がなければ二年の歳月を国家に取られるためにこの戦争について思うところがあるのかもしれないが、彼らとはまた違う事情で僕

          祖父の足取りを追う