リズムと音楽と教育

“もう一つ重要なのは、身体造形が、音楽、リズムとともに真の祝祭を作り上げながら、身振り、ステップ、ポーズの展開と組み合わせで、人々に美に対する意欲と美への本能的欲求を表に表す機会を与える、ということである。”

 今週1年生の女の子が、旋律の動きを身体の動きで描いてみたレッスンをした。「先生は、後ろでどう見えるのかビデオで撮って」そして、終わった後、息を切らしてこう言う。「今度の発表会では、これをやりたい!」第三者の目を意識すること、そして、今度はこうしたい、という意欲が湧いて出てきたことに拍手。

“千人もの大人や子どもが調子を合わせて同じ体操を行っているのは、何と美しい情景であろうか。だが、はっきりとグループに組織された集団が、一つひとつが独立してアンサンブルの複リズムの一部を受けもっている光景はさらにいちだんと見事ではないか。芸術はとりわけコントラストをいのちとしており、芸術において価値と呼ばれるものを作り上げているのはコントラストなのである。身体造形の実演においては、美的情感は、線の対比と時間の長さのコントラストとで生み出される。それは強力で、真に人間的な情感である。なぜならば、それは、一国民全体のリズム的進化の中にそのイメージを見出せる渡したちの個人の生命のメカニズムに、直接触発されているからである。”

(お遊戯や組み体操の話は、ここでは似合わないので進めます。)

“先に、リズムはすべての芸術の基礎を成している、といったが、リズムは、社会の基礎をも成しているのである。身体と精神の調和とは、ひとつの共同組合に他ならない。そして、学校に始まる組織化を成し遂げた暁には、社会は、自らの喜びや悲しみを、全盛期のギリシャ人が実践していたような、集団的な芸術表現で外に現したいという欲求を自ずと感じるものなのである。整った公演を提供してくれるが、そこでは、さまざまなグループが、個人的な作法で、旋律はそろっているが、それぞれに個性的な仕方で、つまりはリズミックに、演技を繰り広げるのだが、リズミック、というのは、リズムこそが「様式を得た人間性」だからである。群衆のリズミックな動きの領域においては何と素晴らしいものが創り出されることか!この領域は一部未開拓であるものの、人々は戦場の兵士たちの様相を呈したりしないで、舞台で整然と美しく演技を展開することができ、観客は終始統一と秩序の印象を与えつつ、身振り、ステップ、ポーズなどによって、百通りもの仕方で、音楽の描くものと対をなすことができるのだ、ということに気づいている人はごくわずかである。

リズムで教育された子どもたちの世代が、明日の確実な美の享受を、自分たちにも、私たちにも準備してくれていることに違いない。”

 「舞台に、階段作って、そこでリトミックしたらどう?」4歳児の女の子。

http://www.rts.ch/play/tv/calendrier-de-lhistoire/video/la-rythmique-de-jacques-dalcroze?id=5979406

ジュネーブでの「6月祭」では、オーケストラと合唱によるシンフォニーを身体造形的に表現する役目を担った200人のリトミック学生によって、平場、階段状浅敷、記念碑塔の階段の上で演技されたのである。



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