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さんぽ

春の陽気な空気を吸うと、
地球の体温がキーゼルバッハに染み込んで、
鼻腔の奥がぐっと広がる。

天気予報を見忘れた僕はダウンを脱いで脇に挟む。
脱いだ下は半袖のTシャツで、
無味乾燥な空の光に意味を見出した天文学者のように、
袖を通る風がじんわりかいた汗の点と点を線で結ぶ。

そんなことを思って僕も空を見てみる。
この空の色がなぜ青く見えるのかを僕は知ってる。
太陽から出る光の波長の長さの違いによるものだ。

次に道に生えてる植物を見る。
この植物を僕は知ってる。
ミスミソウだ。冬の終わりを教えてくれる。

ビルを見る。
このビルの構造を僕は知らない。
どのように建つのか説明できないし、どんな基準を守って建てられているのかを知らない。

マンホールに目を落とす。
キン肉マンの絵が描いてある。
このマンホールはキン肉マンなのに、あっちのマンホールは無機質な銅色な理由を僕は知らない。

歩く人を見る。
この人がどんな人かを僕は知らないし、
この人がどこに向かうかを僕は知らない。

生きている間に知れることは限られている。

でも逆に知らずに死んで困ることなんて一つもない。

宇宙がどうやってできたかなんて知らずに死んだって何も困らない。

でもどうやら好奇心は麻薬のようなものみたいで、
知ることの悦びは知る瞬間が頂点で、
その後もっと知らないことが出てきて結局苦しくなったりする。

そして、人は知ったことに意味を見出そうとして
それを後続に伝えようとする。

そう思うとあんなにいきがいい熱が冷めてくる。

なんで知らなくてもいいことを知ろうとするんだろうという疑問は、なんで生きなくてもいいのに生きるんだろうという疑問と同じ分類に入る。

僕が飼ってる犬は生の大義名分なんて発想が
一ミリたりとも脳の片隅を掠めることなく、死ぬまで生きる。
人間だけがそこにあるものやことの意味に固執する。
人間は自分が愚かなことに気づけないから、狭い部屋で本と睨めっこしてると色々考えすぎる。


でも、ふと窓から外を見てるとそんなに難しいことなんてなくてその辺の植物みたいに、そこにあるだけでいいんじゃないかと思えるようになってくる。
内臓を健全に動かすことだけ考えていたらいい。

そうしたら自然と脳も健全に動き出す。
そうしたら散歩して、色んな物を見る。
そうしたらこれはなんだろうってなって、調べる。
そうしたら満たされて、もっと色んな事が知りたくなって、もっと遠くに散歩する。
歩けるとこまで歩いてみようって思う。
どこから歩き始めたかも忘れて、遠くを目指して、
歩けなくなるまで歩けばいい。

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