遊戯王MD ランクにそれほど拘らなくても良いのでは?という提言。
前置き
「ゲーム内のランクにそれほど拘らなくても良いのでは?」
そう思う事がツイッター等を眺めていると度々ある。
「○○ランク到達!!」と楽しそうにしている分には良いのだが、中にはちょっとそのままコピペするには怖いレベルの怨嗟を抱えたツイートも流れているからだ。
筆者としては遊戯王以外でもわりとそう思う時はあるのだが、最近プレイしたゲームの中では一番適切かなと思い、遊戯王を題材としてこの記事を書く。
また本来はこれ系の記事を書くのに必要ないとは思うが、一応プラチナ1、現在の遊戯王MDの最高ランクに到達した上で書いている事を記載しておく。
ゲームのランクシステムとは?
そもそもランクシステムとは何なのだろうか?
現在のゲームの多くでのランクマッチとは、イロレーティングやグリコレーティング等に代表されるレーティングシステムと、対戦時のマッチングシステムの融合である。
ややこしいのでざっくりと言ってしまうと大きく2つの働きがあり、
・プレイヤーの戦績に応じて相対評価によるランクを付与
・そのランクを元に、同じような強さ同士での適切なマッチングを行う
これが主流なゲームでのランクマッチのシステム面での役割であると思うが、加えてプレイヤー感情としては、「自分を公平なシステムで評価し、現在の実力及び、その推移を証明してくれる機能」としての役割も持つことになる。
例えば将棋なら段位という基準で強さを明確化して対局を快適にしたり、段位を上げる事を目標とする事が出来る。
遊戯王MDの場合では段位がランクへと置き換わって、似たような役割を果たす訳だ。
遊戯王MDのランク≠プレイヤースキル
そろそろ一部に怒られそうな話題に移るが、遊戯王MDのランクシステムは、あくまでプレイヤーの試合結果に応じて付与される物である。
大抵のランクシステムでそうなのだが、問題はチェスや将棋などと異なり、遊戯王MDの場合は同じコマを持つ訳ではなく、デッキの存在からデッキ差が生じるが、これは格ゲーなどのキャラ差とは比較にならないレベルで大きな差がある。
それこそ環境デッキでのみプラチナ1を取れる層と、趣味デッキでもプラチナ1を取れる層では、プレイヤースキルに差があると見なして良いかと思うが、ランクシステムとしては、そういった要素は一切考慮される事がない。
これはシステムとしては正しいが、プレイヤー感情としては少し思う所がある人は多いのではないだろうか?
よくある「○○でプラチナ到達した!」という記事やツイートなんて、まさに"システム上とは別途に価値を付与したい"というプレイヤー感情の現れであり、"実質的には同価値ではない"と思っている事も示している。
まぁ当然の話ではあり、誰だって環境デッキでプラチナを達成するより、趣味デッキでプラチナを達成した方が嬉しいし、自慢したいものだろう。
別に環境デッキを握る事が悪い訳ではないし、趣味デッキが環境だったりするパターンもある事は考慮する必要があるが。
ランクシステムに憑かれた人々
大前提として、プレイヤーにとって最高ランクを目指す事がモチベーションに繋がっているのであれば、それは良いことだ。
ただそれとは同時に、元々は競技タイトルで用いられたランクシステムが、今では多くのゲームで採用された結果、まるで最高ランクにまで上げる事がまるで義務とでも言わんばかりに取り憑かれた人類が、おそらく一定数存在する。
時折流れてくる怨嗟の鬼の呟きを見る度に、こういった人が何人ぐらい居るのだろうかと考えてしまう。
別に遊戯王MDは競技タイトルという訳でもないし、ランクが必ずしもプレイヤースキルを示している訳ではない。
だから無理に苦しんでまでランクに拘る必要はないのでは?という一つの提言を、ここに書き記す。
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