遅いインターネット〜ガラケーを見直す〜


ガラケーとはスマホが登場する以前、主流であった日本の携帯電話を指す俗称である。従って、本考察を行う際はスマホとの比較によって行っていきたい。
ガラケーの短所はスマホでは容易に使うことが出来るwebサービスを利用出来ない点である。したがって、ガラケーには一部娯楽コンテンツを含むものの、ベースとしては電話、メールなどのコミュニケーションツールとしての側面が顕著であった。このベースとして単なるコミュニケーションツールであり、多くの娯楽コンテンツを含まないという選択肢の少なさがガラケーの最大の短所であると言える。
しかし、私は現代のスマホの性能を見ると、ガラケーのこの選択肢の少なさは必ずしも短所であるとは言えないと感じる。というのも、現代のスマホは、それ一つに多くの機能を抱えることで、我々の体の一部となってしまっているからだ。我々はスマホ一つあれば何でもできる反面、スマホの充電切れ、紛失に直面した瞬間、途端に無力となる。今や、一日の時間のほとんどをスマホに投下している我々は、スマホがなければ満足に生活することは困難であろう。このように、スマホは我々の体の一部となり、スマホを用いることのないオフラインでの身体機能は著しく縮小している。
それに対して、ガラケーは我々のオフラインでの身体機能の補完的な役割を果たす。ベースとして単なるコミュニケーションツールとしての特徴を色濃く持つガラケーは我々のオフラインでの生活を支配することなく支えてくれる。まさに我々の身体の補完的な機能を果たしてくれていたのだ。ガラケー時代は、携帯によって我々の生活が支配されることは決してなかったのだ。したがって、我々のオフラインでの身体機能を著しく縮小させることはなく、我々の生活を豊かにしていたのだ。
以上の考察から、ガラケーの選択肢の少なさという短所は、我々のオフラインでの生活を最低限保障するという長所を生んでいたのだ。このように、オフラインでの最低限の生活を支配することなく保障するという特徴は、ガラケーが現代に生み出す新たな価値である。我々はオンライン世界のみでは決して生きていくことが出来ない。オフラインの日常とオンラインでの非日常を楽しむことによって充実した生活を送れるのではないかと思う。このように考えたとき、ガラケーはオフラインとオンラインの仲介役を果たし得る、素晴らしいツールであったのではないかと考える。

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