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    半島には、高台と海、緑と街に人びと。

最近の記事

尊厳

アイデンティティすら 簡単に狂わせる恋心 好きなひとは言う 気高くあれ、と ああ、そうだった わたしはキミのそういうところが 好きなんだ 目の前にある命を注意深く見つめて 敬意を払う そういうところが いつも元に戻る居場所でいてくれて 魂の尊厳を守ってくれてありがとう ありがとう、 ありがとう

    • 冒険

      男性ブランコのコントライブ 「嗚呼、けろけろ」in 国立科学博物館 — 助手による冒険の記録 — 幸運にも会場で観ることが叶って、上野公園に広がるイチョウの絨毯をパリパリと踏みしめつつ、今日これから何が起こるんだろう?とどきどきしながら閉館している科博へ向かった。空飛ぶ大きな鯨にいってきますー!と挨拶をして通用口をくぐると、入口で青色のリストバンドが手渡される。白衣を着たネコ研究員さん(イリオモテカカリノモノという名だった)がガイドをしてくれるみたいだ。 大きな大きなアロ

      • 粘土と彫刻

        人生を動かすのにはある程度の時間がかかる。前を向いて未来を描き、よいしょよいしょと地盤を固めてようやく基盤ができたぞ、というところで今度は組み立て用の素材や道具集めが始まる。私はこんなに大人になってから土台をひっくり返して基礎工事を始めたものだから、地層が幾重にも重なり固まってしまっていて、その地層が出来上がるまでと同じくらいのうんざりするような年月を使って新たな人生を築こうとしている。生きるのがヘタなのか、長く生きるとはそういうものなのか。。? そんなのろのろした人生だけ

        • 出航

          吐き出すことなく溜め込んでいた怒りが頂点に達した。するとすぐに、人が数人乗れるだけの小さな船の船長が「出航です」と静かに合図する。煮えたぎった怒りは船を動かす燃料となる。長いこと海底に下ろしていた碇はあっさりと外されて、さっと次の航海へ出た。小さな船はメンテナンスが行き届いていて、いつだって旅立つことができる。 怒りを原料とする燃料の補給はまあまあしんどい。目的地により燃料が異なる仕様のエンジンで、ここではそれが”怒り”であったから、今回の寄港は大変なものだった。世の中の不

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          29本

        記事

          隔たれた時間

          久しぶりにNetflixを開いたら 不思議な気持ちが襲ってきた 隔たれた時間なんて無かったかのような日常に ふと驚きを感じて懐かしくなったのだ コロナ禍、世界中の人がそうしていたように 朝までずぅっと海外ドラマを観ていた これまで見逃してた豊かさを取り戻すみたいに アメリカのドラマを見過ぎて 夜な夜なオーブンを温めて いそいそとマフィンを焼いたりして 旅に出られなくても 作品を様々見る度に 物語の中にすっかり入り込んでいたから 時空を超えてどこへでも行けるのが嬉しかった

          隔たれた時間

          もういいよ

          人間ではない 女なのだと知った幼き少女 笑みを捨て 世を睨み 毎日黒い服を着た 憚る欲に狂ったシステムは 永遠みたいな顔して笑ってる 気がついているのでしょう もうとっくに制御不能のファンタジー 踊らされてる憐れな君たちよ 愛なんてないと信じてたいのね 大人になった少女も言う 君も 愛をみせていいこと 知ってたら 知ってたら、世界は

          もういいよ

          職場の同僚が「僕のことそんな目で見ないで下さいよう…」と情けない声で言うので、その思いがけない言葉に「え・・?」と驚くと同時に、申し訳なさと、うっすら焦燥感が湧いた。仕事中、これどうやるんだっけ?みたいな何ということのない会話をしていた時のこと。彼はデスクのパソコンへ向かい、こちらはその横で立ったまま話しをしていたから、私の視線が「そんな目」として映ったのは、見下ろすような構図だったこともあるかもしれないし、こんな簡単なことが出来ないなんてなぁと彼自身が情けない自分を笑い飛ば

          明かり

          そもそも生まれてきたこと自体を申し訳なく思っていたし、みんなのように上手に生きることができなくて劣等感ばかりだったから、挫折するようなトライもせずにぬるりと生きていたのだ。だから挫折なんて知らなかった。 そうやって中途半端に生きていたことが神の逆鱗に触れたのかもしれない。当たり障りのない様にひっそりと生きながらえていると、挫折は私のところにもやってきた。やってきた、というより気がついたら地獄での生活は始まっていた。ある数年間ほど、わたしは本当に本当に大変な渦の中に入り込み、

          明かり

          他者との繋がり

          20代のころ海外に一年ちょっと住んで、日本へ帰国してから少し間を置いて5年間ほどを東京のシェアハウスで暮らした。同じように海外で過ごした経緯を持つ女性が多く集まった、大きな家で。 外国の方が家族やナニーと住むために建てたという家をリノベーションしたそのシェアハウスは、天井が高く光も風も良く入り、広々としたダイニングがあって、当時たくさんの来客へ振る舞う食事を準備していたであろうキッチンは、大きくてガスオーブンもあってお気に入りだった。 何より立地が最高なのだ。代々木公園や

          他者との繋がり

          モノクロ

          複雑な日常をできるだけシンプルに過ごしたくて、毎日モノクロの服を着る。選択しなければいけないことばかりの日々。豊かさを受け取るスペースをなるべく多く残しておきたい、わたしなりの生きる工夫だ。 選択のゆとりが出てくると、見えなくなっていた好きが明らかになってくる。選択”しなくてはいけない”ことをなるべく減らして、好きの分量を増やしていく。 休みの日には静かな気持ちで着物を纏う。ゆっくり時間をかけて選ぶ。季節、その日の気候、出向く場所、心にぴったりと合う色合いの着物と帯、小物

          モノクロ

          対話

          存在そのものに宿るいのちとの対話 軒先に咲く花や街路樹 夜の星空 創造や表現 相手が信じている世界と 自分の信じる世界 一方方向の視点では お互いの世界をうまく共有できなくて ヒトとの対話は複雑で時に不自由だ 言葉、音楽、おとぎ話 切磋琢磨して伝え合う 目に見えるものだけで話しをすることは 宇宙に放たれてるみたいに孤独で 光も音も空気もないように感じる お互いの視点の共有を諦めない その姿勢こそが 共に生きるということなのかもしれない

          祈りを捧ぐ

          衣服を纏う、掃除をする、 コーヒーを淹れる、お辞儀をする、 ドアを閉める 日常のひとつひとつを丁寧に行う 静かな集中 日常の所作の淡々とした美しさは 見えないものと地続きで 人間としての生命を この宇宙へ還元し 循環させているように思う どう在るべきかと思考する矛盾などなく 全体の一部となって全体と一致している 個々であるような私たちの お互いの作用 身体を動かすときの力の加減や 声のトーン 自然の理を知った落ち着き 毎秒ごとに変わりゆく様を受け入れて 静かに

          祈りを捧ぐ

          美しい夜の記憶

          赤レンガ倉庫、大桟橋から山下公園を抜けて元町まで、時間をかけて歩いた。はっきりとしているような、ぼうっとしているような曖昧な意識で、夢と夜の狭間を彷徨っているみたいに。 男性ブランコのコントライブ 「やってみたいことがあるのだけれど」 を観劇した帰り道。 大きな客船が寄港する港に歴史ある洋館、久しぶりに歩くと改めて、雰囲気があって好きだなぁと思う生まれ育った横浜の街並み。慣れ親しんだ夜景の中を歩きながら、いま観た舞台への驚きに脳内も心もぐちゃぐちゃで、熱っぽくなっていた。

          美しい夜の記憶

          物語と現実

          喧騒、日常が戻ってきた嬉しさにはしゃぐ人びと、終わらない土曜の夜、ネオンに照らされた渋谷の街で。飲食店の店員だろうか、大きなゴミ袋を抱えて出てきた男が、酔って気の大きくなっている人々とタクシーの行き交うまあまあ大きな通りに、ガッチャーン!という派手な音を立てて、何の躊躇いもなく手に持ったそのゴミ袋の中身をぶち撒けた。 終電を逃したくなくて足早に歩いていた友人と私は、あんぐりと口を開けた。それでもやはり足は止めずに、今みた瞬間の光景について喧騒に掻き消されないよう大きな声で話

          物語と現実

          出会ってしまった

          出会ってしまった、男性ブランコに。 わたしはお笑いに詳しくないけれど、でもこれだけはわかる、男性ブランコに落ちた多くの人たちが通ってきたであろう「あぁ、出会ってしまった。」と思うこの気持ち。 「出会ってしまった」のと「初めての出会い」はちょっとことなる。 初めての出会いは季節を少し遡って、いつかの夏の寄席だと思う。むせ返るような灼熱の太陽の下、自転車で劇場に行っては寄席を観ていた。 日常のあれこれと夏の尋常ではない暑さに、「また死んだ魚みたいな目してるよ〜」と言われな

          出会ってしまった

          砂漠みたいな

          東京の真ん中で何者でもない私はひとり、砂漠の砂に足を取られるような生活をしていた。足掻いても足掻いても一向に景色の変わらない渇いた砂漠を、空っぽの心と身体で。 ある冬の夜、富ヶ谷から新宿方面へ山手通りを歩きながら、ふと立ち並ぶマンションに目が行った。一つ一つの窓から光が溢れるいつもの風景。でもその日はなぜか、一部屋ごとにある、人びとの暮らしに思いが向かった。交差点を過ぎ山手通りから左手に路地を入るとすぐ、住宅街になる。 その瞬間、そうだ、ここには人がいる、大きな通りを歩い

          砂漠みたいな