悲しみ

昨年の五月。市の図書館で見知らぬ詩集に吸い込まれ、たった一つの詩を飲み込んで、泣いた。
悲しいわけではなかった。
そこに、私や、私の身近にあった人をみた気がして、訳もわからぬまま、ただ、ただ泣いた。
声は出さなかった。
いっときでも長くその詩を見て、あまりにも物覚えの悪い、幼く、愚かな私の脳みそに、詩の一文字、詠人の名前、いや、苗字だけでも覚えておきたかったのに。
もう、覚えていないのだ。
綺麗さっぱり、何もなかったかのように。私が手に取って、確かに飲み込んだ詩が、言葉が、ひとつたりとも思い出せない。
名前もわからない、調べようもない、人に話す術もない。
唯一覚えているのは、あの狭く、薄暗い部屋の中で、鉄製の冷たい本棚を避け、避け、避け。一番奥の狭まった角で、白く重い本を手にとり、表紙の美しい紫の花を目に焼き、表紙から三分の一ほど進んだページをばらっと開け、そこから、一ページ、二ページとめくり、めくり。
六ページほどめくったところで、一編の詩が、私を目掛けて飛び出してきたのだ。
それが、どんな姿をしていたのかはもう、思い出せない。最初の言葉も、意味も、詠人も。
悲しい。誰にも言えないのだ。あの時の感動も、涙の意味も、記憶さえも。
それを思い出して、真似をして、自分の血肉にすることさえ、できないのだ。

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