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自分が傷ついたのは誰のせい?

ちょっと前のことだ。
とても残念なことがあった。
大切にしていた人間関係が壊れてしまったように感じたことがあったのだ。
ここにその詳細は触れないが、大筋だけは書いておこう。

キッカケは本当に些細なことだ。
相手が僕に対して雑に見える対応をした。それに対して、僕は嫌な気分になり、そのことを直接本人に伝えた。「僕はあの対応でとても残念な気分になった」と。
相手は謝ってくれた。お互いにそれでオールリセットにした。
…はずだった。
しかし、それ以降相手との距離感は開いてしまったように見えた。
しばらくした後に、それまでやっていた共同作業も(忙しいという理由で)一旦中止にしようと申し渡されてしまった。

感情に任せたコミュニケーションをしたわけではない。
気分を害したことをどう伝えるべきか、自分なりに悩んで、言葉を選んで伝えたつもりだった。
今再び時を戻してあの場面に戻ったとしても、同じ対応をしたと思う。
ただ…、疎遠になってしまうというこの結果は望んではいなかった。
それだけに、ふとした拍子に「どうすべきだったのか?」という問いが頭をもたげてくる。

そんな問いに向き合う時、僕は少し傷ついているのだと気づく。
しかし、何に傷ついているのだろう?

こんな思考の隘路にはまった時に、僕がよくやることがある。
このことを自分が相談を受けたら、僕は何と答えるか?という思考実験だ。

僕は、傷ついた自分のこの相談に何と答えるだろうか?

多分、僕だったら、「あなたの作ったストーリーを解体せよ」と言うんじゃないかと考えた。

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