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ワールドカップで負けるということⅡ

前回、「ワールドカップで負けるというのは大会から去ることだ」と決めつけておいた。だから、一試合負けたくらいで騒いでも仕方がないと書いた。しかし、2014年6月25日、日本代表は予選敗退が決まり、今回のワールドカップの敗退が決定した。

「目標は優勝」
本田選手をはじめ、何人かの選手が口にした言葉である。そこまで言わなくても「南アフリカ大会(ベスト16)を超える」というのは最低限の目標だったはずだ。それが予選敗退では批判を浴びて当然だろう。

「一生懸命やったんだから、負けたからといって批判するのやめよう」
と本気で呼び掛けている人を見かけたが勘弁してほしい。(さすがに今回は「感動をありがとう」は見かけないが)。それは世界最高峰のレベルで戦うプロフェッショナルたちに失礼千万は話になる。

彼らが一生懸命やるのは当たり前。求めらるのは結果。それが出せなければ批判されるのは当然のことだ。

たとえば営業職の人間が、頑張ったけど今月の売上がゼロだったというとき、上司や同僚から
「一生懸命やったんだから仕方ないじゃないか。お疲れさま。」
とだけ言われたらどう思うだろうか。
「怒られなくてよかった」
とホッとするような奴はでは成長は望めない、と考えるのではないのか。
一般人ですらそうなのだ。まして世界のトップで戦うプロフェッショナルが批判をされないことでホッとする、と思うこと自体が失礼極まりない。ビジネスの世界では「(まともな)クレームはラブレターだと思え」というのは常識だ。彼らも、(まともな)批判は愛情の表現だと理解しているし、だからこそ批判を浴びる覚悟ができているはずである。

本来、批判というのは攻撃的な振る舞いではない。欲情ガス抜き装置でもなければ、もちろん生たまごを投げつけることでもない。
吐き出した言葉はブーメランのように戻ってきて,
「言ってるお前はどうなんだ?」
と問われることになる。お前にそれを言う資格があるのかと突きつけられる。だから本当は軽々しく批判なんてしないほうが安全ではあるのだ。
にもかかわらず、日本代表の未来のために、次の勝利のために、返り血を浴びることも覚悟で批判をする人がいなければ、いつまでたっても日本代表は強くはならない。一番怖いのは、「どうせ世界で勝てるわけないよ」といって、なにも言わないまま去っていってしまう人が多数を占めることだ。愛情の反対は無関心ではないか。

日本サッカー、ロンドン五輪ではベスト4までいった。かつてワールドユースではファイナリストになったこともある。そして女子はワールドカップチャンピオンだ。いつか、男子フル代表も、下の写真のような歓喜に包まれる日がきっと来る、と信じている。

ちなみに、当然ながら批判とバッシングは違う。吹き上がって欲情をまき散らすことを批判とは言わない。2chやTwitterで、匿名を隠れ蓑に騒いでいるこういう人たち⇒ 【日本の恥】がしていることは批判ではありえない。

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