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[エッセイ] フレームという切り口  フレームは芸術の器


図書館で、一冊の本の表紙デザインに魅了された。
「風景から見た東アジア庭園の美」という本で、和訳した韓国の本である。
モノクロの表紙で、一見すると地味だが、端正なレイアウトが美しい。
内容は、日本、韓国、中国の庭園を比較、分析したもので、「フレーム」という切り口が新鮮だった。
たとえば京都竜安寺の石庭は、周囲を白壁で囲んだ中に白砂と岩石を配置し、外界から切り離された別世界を表現している。
この場合、周囲を囲んだ白壁がフレームとなる。
フレームとは、枠、額、ボーダー、境界、あるいはうつわ(器)といった意味で、庭園は、人の思いを盛りつける器であると書いてある。
日本の庭園は、寺社などの限定された空間に、理想の仙境、禅的静寂の境地を表現しており、フレームの意味はよくわかる。
屋内から庭園を眺める際は、柱、廊下、窓枠等がフレームとなり、その枠でトリミングして、風景の魅力をひきたてている。

同書掲載写真

おもしろいのは中国の庭園で、フレームの白壁に穴をあけ、そこからむこうを見せるしかけである。
この穴の形は丸が多いが、その他いろいろの形のものがあり楽しい。
チラリと穴のむこうをのぞきたいのは人の本能で、一部分だけ見せて全体を想像させるおもしろさがある。 

同書掲載写真
同書掲載写真

考えてみれば、絵画は額という四角なフレームに入っているし、俳句などは見えないフレーム五・七・五におさまっている。
このばあいのフレームは規制、規範、型(かた)ということになる。
山頭火の句は、あえて俳句のフレームをやぶっているからおもしろいのであって、フレームがなかったらただの自由詩である。
漢詩は五言絶句、七言律詩などといった形式、様式にもとづいていて、これも一種のフレームといえる。
盆栽などは、まさに鉢が器で、このなかに小宇宙、大自然を表現している。指先に乗るような超ミニ盆栽が楽しいが、これなどは極小なフレームである。
クラシック音楽は、交響曲、協奏曲、ソナタ形式などいくつか様式があったが、現代音楽になって、これら規範をとりはらい、さらに音楽上の約束事も超えた作品があらわれてきた。
こうなるとわれわれ凡人にはなじめない音楽も生まれた。
フレームを超えた新しい価値を創造するのは大変なことがわかる。

分野はことなるが、相撲はあの丸い土俵がなければ、相撲にならない。
こう考えてくると、人生、社会全般、すべてフレームがあることがわかる。日本人は、日本列島という島々のフレームに入っているし、そもそも人類は地球という青い星のフレームに属している。
だから山頭火ではないが、地球を飛び出し宇宙をめざすというフレーム破りに、今、人類はときめいている最中なのである。

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