生活保護を叩く人も、擁護する人も、たちまち一枚岩になれる言葉がある。

先週、Twitterで「生活保護」がトレンドワード入りしていた。気になってクリックしてみると、こんな記事がネット上を賑わせていた。

この記事を読めば、事件を起こした男を叱責したくもなるし、「性根を叩き直せ」という言葉のひとつでも浴びせてやりたくなる。しかし、あくまでも非難されるべきはこの男であり、生活保護という制度ではないはずだ。

だが、ネットの反応を見ていると、案の定、この男とともに「生活保護叩き」の声で溢れかえっていた。今回だけではない。このような事件が起こるたび、生活保護という制度を快く思ってない人々から、このような声が噴出するのだ。

生活保護に関して、まず槍玉にあげられるのが不正受給だが、日本における不正受給件数の割合は、全体のなかで1.8%に過ぎない。もちろん、だからと言って不正受給を看過していいわけではないが、ボリュームとしてはその程度だと認識しておく必要がある。

一方、日本における生活保護の捕捉率(受給資格がありながら実際に利用している人の割合)は、2割にも満たない。つまり、5人に4人が貧困に喘ぎながらも生活保護を利用せずに暮らしているということになる。ちなみに先進国の捕捉率は、軒並み8割を超えている。日本では「生活保護=恥」という捉え方が強くなってしまっていることは大きな要因だろう。

端的に言って、約2万5千件の不正受給者をあげつらって「不正受給ガー」とやるより、資格がありながらも制度を利用できずにいる約100万世帯が利用しやすい環境をつくっていくことのほうが、社会としてははるかに重要だと思うのだが、それでも生活保護そのものを糾弾する声は、なかなか止みそうにない。

一般的には「大きな政府」を志向する人々は生活保護に対して肯定的で、反対に「小さな政府」を志向する人々は、生活保護に対して批判的な目を向けがちであると言われている。9月に発足した菅政権が「自助」を最も重要なものとして位置づけているのに対して、リベラル側が「政治が自助を求めるとは何事だ」と噛みついていることは、その好例だろう。

しかし、と私は思うのだ。この「生活保護叩き」の源泉にあるのは、本当に政治思想なのだろうか。私は、生活保護を叩く人とそうでない人との境界線には、また別のものを見出している。

              ------✂------

ここから先は有料公開となります。

個別の記事を数百円ずつご購入いただくよりも、定期購読マガジン(月額1,000円)をご購読いただくほうが圧倒的にお得となります。

月の途中からご購読いただいても、当該月の記事はすべて読めるようになっているので、安心してご登録ください。

記事の更新はみなさんからのサポートに支えられています。ぜひ、この機にご登録をお願いします!

「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.com/h_ototake/m/m9d2115c70116

   ⬆︎⬆︎ 今月27日(金)、上記のイベントに登壇します ⬆︎⬆︎

ここから先は

1,475字

¥ 300

みなさんからサポートをいただけると、「ああ、伝わったんだな」「書いてよかったな」と、しみじみ感じます。いつも本当にありがとうございます。