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私たちは、どんな人を「愛国者」と呼ぶべきなのだろう。

先週から、映画『主戦場』のレビューや、韓国政府に対する批判と韓国人や韓国文化に対する批判は分けて考えるべきだといったことなど、立て続けに日韓関係に関するコラムを書いてきたが、今回はその最終回だ(たぶん)。

先日、あまりに冷え込む日韓関係を危惧してのことか、Twitter上に粋なハッシュタグが誕生した。

#好きです韓国

韓国を訪れた日本人が現地で韓国人に親切にされたエピソードなど、韓国に好意を持つ人々がこのハッシュタグとともにその経験や心情を綴った。

すると、韓国でもこのハッシュタグに呼応するかのように、 #좋아요_일본 (好きです日本)というハッシュタグが生まれ、多くのツイートが書き込まれた。どちらを読んでも、そこには心あたたまる交流が見て取れた。

しかし、その直後、日本ではカウンターのように #嫌いです韓国 というハッシュタグが登場した。そこには、韓国に対してマイナスイメージを抱く人々が、いかに自分が「反韓」「嫌韓」であるかを伝える言葉が並んでいた。そして、そのハッシュタグは、悲しいことにトレンド入りした。

もちろん、それぞれに思想があり、好き嫌いがあり、さらには言論の自由がある。だからこそ、彼らが「韓国が嫌い」という個々の思いを140文字に込めることに異論はない。だが、そうした感情の殴り書きが、日韓両国にとって、いや、もっと言えば、日本にとってどんな影響を及ぼすことになるのか、そのことにまで思いを馳せていた人がいったいどれほどいただろうか。

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「乙武洋匡の七転び八起き」
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