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あの名言に、私ならこんな言葉を付け加える。

オリンピックの歴史については語られる機会も多くあるので、みなさんもご存知かもしれません。フランスの教育学者でもあったピエール・ド・クーベルタン男爵が提唱し、1896年にギリシア・アテネで開催されたのが夏季オリンピックの第一回大会です。

「では、パラリンピックの始まりは?」

こう聞かれると、途端に答えに窮してしまうかもしれません。あまり知られていませんが、記念すべきパラリンピックの第1回大会は、1960年に開催されたローマ大会(ちなみに第2回が1964年の東京大会)でした。さらには、その前身となる大会があったんです。1948年7月28日、ロンドン五輪の開会式と同じ日に、イギリス東南部にあるストーク・マンデビル病院で、車椅子を使用する入院患者を対象としたアーチェリー競技会が開かれました。

(ちなみに、今回のトップ写真は、2017年にストーク・マンデビル病院に併設される「ストーク・マンデビル・スタジアム」で撮影したものです)

その後もこの競技会は毎年開催され、1952年には「第1回国際ストーク・マンデビル競技大会」として海外からも参加選手が集うようになり、そして8年後の「第9回国際ストーク・マンデビル競技大会」が、先述した1960年にローマで開催された第1回パラリンピック大会と呼ばれるようになったのです。

こうした経緯で始まったパラリンピックですが、その背景にもオリンピックにおけるクーベルタン男爵のような“パラリンピックの父”と呼ばれる存在がありました。ストーク・マンデビル病院ドイツから亡命したユダヤ系医師ルートヴィヒ・グットマンです。グットマンは戦争で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして「手術よりスポーツを」と提唱し、入院患者を対象としたアーチェリー競技会を開くこととしたのです。

こうして“パラリンピックの父”と呼ばれるようになったグットマンの名言として、こんな言葉が残されています。

「失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」

これ、本当にいい言葉だと思うんですよね。私の障害は先天性、つまり「生まれつき」なので、手足に関してはあまり“失った”という感覚はないのですが、もちろん人生の途中で事故・病気などによって障害を負った方も多くいらっしゃいます。彼ら中途障害者は、私のような先天性の障害者よりも、喪失感や絶望感といったものが大きく、乗り越えなければならない心の壁は大きいのだろうと拝察しています。

そんな彼らにとって、グットマンの「失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」という言葉はまさに至言・金言であり、きっと多くの障害者がこの言葉に励まされ、勇気づけられてきたのではないかと思います。

ただ、私はこの名言に、もうワンフレーズだけ付け加えてもいいのかなと思っています。そのほうが、さらに前向きになれる、未来に希望が持てる言葉になるのかなと思っています。

それがどんなフレーズかというと——。

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乙武洋匡の七転び八起き」
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