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「だいじょうぶ?」と言われて、過去の記憶がフラッシュバックした。

言葉とはたんなる“箱”であり、その箱をどんな文脈で使うか、その箱にどんな意味を込めるかが重要である——そんなことをあらためて実感させられることが、つい最近あった。

たとえば、「だいじょうぶ?」という言葉がある。一般的に言えば、相手のことを気遣うときに使われる言葉であり、そこには少なくとも善意が、場合によっては愛が込められていたりする。だから、「だいじょうぶ?」という言葉をかけられて、嫌な気持ちがすることはない。

……とも言い切れないのが、言葉の難しいところだ。たとえば、冒頭で触れた「その箱にどんな意味を込めるか」という点。本来、「だいじょうぶ?」という言葉には相手を気遣う気持ちが込められているから、そこに優しさや温度を感じられるのであって、それとは異なる気持ち、それこそネガティブな気持ちなどが込められていれば、その言葉もまたずいぶんと違った印象になる。

たとえば、誰かが仕事でミスをしたとき。多くの人は心配する気持ちから「だいじょうぶ?」と声をかける。だから、その言葉はあたたかいものとなる。ところが、もしその言葉に、ミスした人をあざける気持ちが込められていたとしたらどうだろう。たちまち、その「だいじょうぶ?」はミスした人の心の状態を心配する言葉ではなく、その人の能力を疑問視する、トゲのある言葉となってしまう。

こうした違いなら、何も多くの文字数をかけなくても、みなさんに伝わる内容だし、もっと言えば「伝えるまでもない内容」だろう。だが、今回、私が遭遇したのは、もう少しセンシティブで、説明を要するものだ。そう、冒頭で触れた「その箱をどんな文脈で使うか」という場面だったのだ。

あれは、よく晴れた日の朝だった。

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「乙武洋匡の七転び八起き」
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