社会人になって学ぶ意味
最近、「学び直し」という言葉をよく聞くが、私はこの4月から通信大学の文芸コースで学ぶことになった。
そろそろ自分を変えるきっかけを作らないとなぁ…
50歳を迎えて、なんとなくそう思ったことがきっかけだが、思い返せば同じようなことは30歳の時にもあった。
その時は仕事をする中でたまたま知ったビジネス系の資格を取りたいと思い立ち、勉強を始めて3年ほどかけて資格を取得した。
当時は勤めていた会社の経営企画部門で働いていたのでスキルアップと自己啓発が目的で、実は独立するような気持はこれっぽっちも無かった。
その後、独立して17年ほど、この資格を使って仕事をしている。
社会人で勉強を始めるパターンでも、若い時は「新しいことにチャレンジしたい」「新しい可能性を見つけ出したい」といった思いが強かったと思う。
では、51歳になった今、何のために勉強をするのかを考えると、若い頃と同じように「新しいことにチャレンジしたい」「新しい可能性を見つけ出したい」という思いがないわけでは無いが、なにか違う気がする。
今の生活や仕事に大きな不満は無く、将来的な不安がないわけではないがひと並みで許容できる範囲だと思う。これから10年も働けば引退もチラついてくるし、いまさら無理をする必要もないと思う。
それでも「自分を変えるきっかけを作りたい」と思ったのは何故か?
色々考えて出てきた言葉の中で、自分なりにしっくりしたのは、
「残された時間を濃密に過ごしたい」
という言葉だ。
30歳のチャレンジは、会社を辞めて独立するきっかけとなったが、私は会社大好き人間だったので、これが無かったら会社を辞めていなかったと断言できる。私は怠け者なので惰性で生きていくのがラクだと思ってしまうから。
今の仕事は忙しくも楽しいが、17年も経つと惰性で仕事をしていることは否めない。仕事はともかく、残された長くない人生を惰性で過ごしたくはない。
50歳になると残りの人生は20~30年。元気に動けるのはあと15年~20年くらいだろうか。
時は全ての人に平等でどんなに努力しても自分だけ時を伸ばすことはできない。しかし時の使い方は自分次第で変えられる可能性はある。
それであれば、時間の密度を濃くしていきたい。前向きに頭を悩ませる時間を増やしたい。人生を有意義に最後まで使い切りたい。
これが自分の想いに一番近い言葉だ。
そんなわけで、約30年ぶりに大学で学ぶことになった。分野は「文芸」で「書くこと」「表現すること」をしっかりと学びたいと考えている。
私の学び直しは人生そのものの学び直しとも言えるが、肩ひじを張らず自然に取り組んでいきたい。
今までの人生を振り返りながら、ゆっくりと綴っていきたい。
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