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ベランダの睡蓮鉢

5月の晴れた日の朝、自宅のベランダにある睡蓮鉢を観察した。

朝日が降り注ぐベランダにある大きな土鍋をさらにひと回り大きくしたサイズの少し青み掛かった睡蓮鉢は、陶器製の表面が砂を被ったようなざらりとした手ざわりで昔からここにあったと錯覚する風格がある。

古ぼけた書筆の軸を集めたような竹製のすだれが乱雑に立て掛けられ、日差しがすだれを通して水面に影を落とす。影の隙間は日光が強く反射して眩しい。思わず目を閉じると日光がまぶたの裏に縦格子に残像を残し、それが魚の腹骨のように見えた。
 
まぶたを開けて水面を眺める。米粒ほどの浮草が魚のウロコのように水面に浮かぶ。不規則ながらもあちこちで陸地のようにまとまり、まるで睡蓮鉢が水を湛える地球のようだ。

水中に視線を移す。睡蓮鉢の深さは手のひらほどと浅く底まで見通せるが、おせじにも綺麗に清掃してはいない。それだけに自然そのものの様相で、猫の尾のように長い水草が縦横無尽に繁茂し、その間をメダカが悠々と泳いでいる。

人慣れしたメダカはエサが欲しいのかこちらを向いて忙しく口をパクつかせているが、エサがもらえないと気付くと水草の中に潜り、忘れるとまた現れてと動作を繰り返す。メダカがエサを求める様子を見ていると、胸ビレを小刻みに動かしてホバリングし続けていて悠々と見えて忙しそうである。よく見ると腹に卵を抱えているメダカもいる。産卵の季節のようだ。

ふと水面に不自然な動きがあることに気付いた。メダカ以外に何かの動きがある。よく見ると水中の水草から糸のようなものが水面まで伸びている。不規則に動く糸状のものを凝視すると気泡の集まりであった。光合成で酸素が生まれているようだ。

先日サミットが開催された広島市街が一望できるベランダから外を眺めると、動き出した街の様子がまばらに見える。そろそろ仕事に出掛ける時間だ。

室内に戻る途中、足を止め、あらためて睡蓮鉢を遠目に見た。地球のように見える睡蓮鉢の中では、水草は酸素を生み出し、メダカは生命を育んでいる。私に地球の平和に貢献はできる力はないが、せめて睡蓮鉢の平和は守り続けたいと思った。


【コメント】
大学の講義を受けてまとめたノートを見ながら、与えられた課題に向き合って忠実に書いた文章をそのまま載せてみました。
気づいた誤字だけは直しています。

とにかく「観察すること」「何かを発見すること」「見たものを丁寧に描写すること」に注力してみました。いかにも練習で書いたような文章です。

あまり時間は掛けていませんが、書きなれていないのでかなり疲れたと記憶しています。

読み返してみるとテーマは面白くないですし、ホントに不器用で遊びの無いカタい文章という印象を受けますが、自分なりに「頑張って書いたんだろうなぁ」という気がします。

正直、文章を書きなれている人に読まれるのは恥ずかしいのですが、書きなれていない人に読んでいただいて「文章を書く勇気」になれば良いかなと思います。

同級生の方々が書かれた文章を読ませていただいた時に感じた「ストーリー性」「センス」「空気感」「お洒落感」など、何と表現したらよいのかわからない「才能を感じるきらめき」みたいなものをまったく感じることのできない文章ではありますが……

こうした経験を繰り返して、少しでも文章力や表現力を身につけて「ひとにモノを伝える力」を深めていきたいと思っています。

あと、写真はフリー素材ですが、自宅の睡蓮鉢によく似たものを見付けたので使わせていただきました。


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