40手前で夫婦関係に亀裂が入るのがすごく多い

あくまで私の周辺の話だが、40手前で夫婦関係に亀裂が入るのがすごく多い印象がある。

全く異なる職業や性格にも関わらず、同世代が示し合わせたように似たタイミングでこうなるのは何故なのか、少し考えてみようと思った。

みな真面目でいい奴ばかり(男目線)

私は欠陥品だが、私の周囲の友人知人は、私には勿体無いような素晴らしい人が多い。

学生時代から優秀で、公務員の道に行った奴も民間に行った奴も、いずれも難関の企業/官公庁に勤める、言ってしまえば絵に描いたような優秀ルートを歩んでいる。

男から見ても素敵な奴が多く、人情味に溢れ、真面目で、信用のおけるいい奴ばかりだ。賭け事で借金がーとか、浮気でーとか、そういうのは微塵も感じさせないクリーンおじさんだ。

だが笑えるぐらい家庭でうまく行ってない。

結婚とか出会いの時を思い出す

そこまで友人が多いわけではないが、上記に挙げた友人知人は大体式にも呼んでもらい、馴れ初めなどは知っている。

お相手の方も素敵だし、だいたいが美人さんで、しかも旦那と負けず劣らずのハイスペ人材。幸せしか見えない印象だった。

ゴールインの前、出会いは人による。
だが、男女ともに「安定」を最重要視していたように思い返される。

女はとにかく収入と勤め先の安定度、男は(ルックスは当然ながら)家事力なり精神的な安定さ、端的に言えば、派手な遊びをせず、突飛なことをしない、各々のイメージする「間違いない女」を探し彷徨っていたような、共通イメージがある。

今、皆どうか

話を聞いていると、夫婦の関係など内面的な要素を抜けば、どこも比較的安定している。

経済面は言わずもがな、子宝にも恵まれ、健康不安がある様子もなく、なんやかんやでステージを進めている感触。

だが、精神世界に於いては戦争そのもの。
互いが己の自由を勝ち取るため、血で血を争う地獄絵図が広がっている。

もちろん、暴力などはない。
そんなことに手を染めるような輩達ではない。
ないのだが…

聞けば耳を塞ぎたくなるようなエピソードがいくらでも出てくる。しかもそれとよく似たシーンを我が家でも見たことがある。共感しかない。

子供というDMZで仮想の楽園を演じる、言葉と嫌味を武器とする戦場が、マイホームのドアの中では広がっている。

どうしてこうなった

わけがわからない。
皆に聞いても、やはりわからない。

己が正義を、ただただ貫いているだけで、それぞれの言葉は間違っている様子もない。

仮説:「安定」の罠にハマった?

「安定」はモテる

私は相当の幼少期から「安定」に全力投球していたように思う。カルトを崇拝する信者ばりに、そこについては疑わなかった。

就職に向けた進学、進学に向けた成績、成績のための勉学。基本原理はコレで、あとはオマケだった。

コレさえやればモテるらしいと信じていたし、実際内定後はメチャクチャモテた。当時女の子からも、とにかく不安定な職につく男のダメさについて、何度講釈を受けたか。

コレについては誰も否定できまい。安定はモテる。ここまでは事実のはずだ。

安定は簡単じゃない

問題は、この「安定」の獲得、維持に膨大な労力と時間を要する点だ。

そもそも、ずっと安定が続くというのは虚像だ。

税で成り立つ公務員のシステムを除けば、本来水モノの商売を毎月の固定給に変換するため、会社はかなり無理をしている。

お客さんが一定の割合で常に来てくれるわけない。良い商品が出ればそちらに行くし、流行によって業界自体が消えることもある。

従業員の年齢比率をバランスよく維持させるためには無限に従業員数を増やし続けるしかない。そのためには、利益率を維持しつつ売上を増加させ続けるしかない。そんなこと、あり得ない。

人口が減り、高齢化で支出が減り続けるのに、全企業がそれをやったら成り立たない。つまり必ず、破綻する企業が裏にいる。

会社員の内訳も高齢化が進んで、現役の実行部隊が占める割合は年々低くなる。働かない高給取りが増え、若手はますます負担が増える。

「安定」を演出するのは、恐ろしくコスパが悪いのだ。

安定は蔑ろにされやすい

まるで普通のことのように、さして好きでもない仕事を、毎日青息吐息で働いて得た賃金を、いろいろなランニングコストに払う。

家のローン、車のローン、食費、服、日用品、外食、旅行、PCスマホ、サブスク…。

確かに最高に便利で快適で美味しくて、不自由はない。一方で、「満足」はやってくる気配がない。キリがない。

贅沢をするとか節約とかそういう程度の話ではなく、なんというか、そもそもの「普通」を維持するコストが莫大だという印象だ。

なぜ「普通」は数千万の家を買うのか?
なぜ「普通」は数百万の車を買うのか?

現時点で払えもしないものを未来の就労を担保にして購入し、「安定的な生活」を実現することは、1ミリも安定感などない、ただの危険な綱渡りだと、何故か家族や世間は考えないらしい。

私の体調や会社の機嫌次第でいつ消し飛ぶかわからない、虚像みたいなものなのに、それを当たり前・大前提みたいに認識されるのはなぜだろうか。

あくまでも私見だが、キャンプなんてしなくても、ローンまみれの生活はそれだけでサバイバルだと思っている。数千万のテントで、数十年連泊してるだけだ。

海外はなんだか違う気する

国により異なる印象があるが、「安定」という”状態”にここまでベットするのは日本が特殊な印象がある。

知らないけど。

安定は忘れる

キャンプは、普段の快適さを改めて実感するため、あえて不自由を体験するようなところがあると思っている。

それくらいに「安定」は忘れやすい。

派遣バイト時代と比べれば、業務内容や職場仲間が年単位で変わらない今は極楽だし、レンタカー時代と比べてマイカーは常に同じ感覚で乗れて楽だ。

でも今ではそれが当たり前すぎて、ありがたみなんて一切感じない。むしろ飽きる。

システム開発も然りで、障害のなかった案件は全く印象に残らない。安定稼働ほど難しいことはないはずなのに。

安定なんてクソッタレ

もう安定とか目指すだけ馬鹿馬鹿しいと考えてきた。酷い忍耐を強いられる割に、感謝される量が半端なく少ない。

何でもかんでも「当たり前」にされてしまうのなら、いっそのこと安定なんて一つもないと、ご理解いただいた方がきっとみんなにとっても良いでしょう。

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