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心が疲れているので、noteはじめました

はじめまして。
今年で37歳、2人の息子を育てながら通信大学で心理学を勉強している主婦、花奈(はな)です。

このアカウントは、いわゆる"サブアカ"に当たるもので、普段活動しているものとは別でnoteのアカウントを作りました。

サブアカでnoteを作った理由は、タイトル通り「心が疲れている」から。
普段活動しているアカウントに今年の初めからログインすることができなくなり、何も書けない状態に陥っています。

きっかけは、能登半島地震。
関西に住んでいるので被災はしていないのですが、SNSで飛び交うさまざまな情報や人の意見に、心が飲み込まれ自分を見失ってしまいそうでした。

意を決して「通信大学の試験が終わるまで」と期限を決めてSNS断ちをしたものの、試験が終わって1週間経った今も戻ることができずにいます。

自分でも理由がよくわからない。
ただ、Instagramをはじめこれまで活動していたアカウントを開くことが、怖くてたまらないのです。

何も見たくない。
誰にも見られたくない。
誰かの言葉を受け止めることも、自分の言葉を誰かに伝えることも、どちらも心が拒否してしまいます。

書きたいことはあるのに、パソコンを開いてアカウントにログインすると胸騒ぎが起こる。3年続けてきたアカウントのアイコンを見るだけで、苦しくなり頭の中が真っ白になってしまう。

気がつかないうちに、私の心はSNSに支配されてしまっていたのかもしれません。

この3週間の"誰とも繋がらない時間'は、いろんなことを考えさせてくれました。
特に直近の1週間は、自分自身に対する負の気づきばかりで、不甲斐ない自分を誰かに受け止めて欲しいと衝動的にSNSを開きそうになったこともありました。

これまでなら、辛いことをSNSに投稿すれば「自分は間違っていないんだ」「私一人だけじゃないんだ」と、思わせてくれる人がいて、確かに私はその人の存在に救われていました。

誰かに共感してもらうことで、それ以上自分を追い詰まずに済んでいたのです。それと同時に、「共感を得ること」に価値を求めるようになっていました。

いつの間にか演じていた「誰かさん」と「自分」が溶け合い、上手く線引きができなくなり、そこから逃れたくても「誰かに認められたい」という承認欲求が逃がしてはくれない。

「誰かのため」という当初抱いていた気持ちは、いつしか「誰かに認めてもらいたい」という承認欲求に姿を変えていました。
“誰か“がいないと成り立たない、その“誰か“をSNSの世界に求めていしまっていたから、私は自分で自分を苦しめてしまっていたのかもしれません。

その「誰かさん」の役から降りたい。
そんな思いで、このアカウントを作りました。

“花奈“の由来は、1987年生まれの「87」から、「はな」→「花奈」。
花が咲き誇る春までに、元のアカウントを再開できればという思いも込めています。

この「hana*note」では、私自身の「ありのままの等身大の姿」を綴りたいと思っています。

母として、妻として、女性として、一人の人間として。
ポジティブなこともネガティブなことも“そのまんまの気持ち“を、誰のためでもなく自分のために、何にも縛られずに書きたい。きっと、私はずっとそんな場所を望んでいたのかもしれません。

花奈

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