【感想】ラジオシアター~文学の扉『それから』(作:夏目漱石) 出演:中嶋朋子、福士誠治

最近、人それぞれが持つチャームについてずっと考えていて、意図せず滲み出るものこそがチャームなのかなぁと。

チャームは「その人が持つ特質が、素敵な形で表れたもの」みたいなイメージです。

そういう意味で、代助役の福士さんはすごく控えめでも品があって、それでいて滲み出るものが凄く魅力的でしたね…!?

あと中嶋朋子さんの柔らかで密やかな滋味深い声にすごくドキドキしました。大丈夫でしたか? 皆さん恋に落ちませんでした? 私はダメでした(落ちた

中嶋さん、何かの解像度がものすごく高くて精細で、あんなに色んな表情を声だけで見せてくれたら、もう好きになっちゃうじゃないですか………ミステリアスなのに、ありのままにもみえる不思議。

全体的にすごく息遣いが好きなんですけど、ナレーション裏で福士さん演じる代助さんの寝息!!!!!寝息!!!!!!!!(ダンダンッ

ちょっと、いびき混じりなのが人間くさくて良いですね…!しかも、あの裏で三千代さんが代助さんの寝顔を覗き込んでたんですよね・・・・!?やだーーーーーー!しかも、三千代さんの方から寝顔をみたって告げるんですよーーー!!////////(バンバンッ

11:31も二人の笑い声になるかならないかのギリギリのやり取りが、本当に・・・・・・・好き・・・・・・・・・・・・・・(鳴き声

三千代さんが微笑んだあとに、つられたように代助さんが笑うんですよ………しかも少し照れか苦笑も入ったみたいな笑いで、もうそれだけで二人の表情が浮かぶようで。

12:15の代助さんの「ゆっくりなさい」もあんなに静かなのに凄く優しくて、雨の音と相まって素敵なんですけど、優しいからこそ、すごくその後の三千代さんの言葉が切ないというか。

代助さんの「間違いだった」は最初すごく静かに入るのに、段々、黒いものが滲んで来て、最後の「間違いだった」との落差!!!!!同じ言葉ですよ!!!!!あのセリフの中でどんな心境の変化があったの!!!!(バンバンッ

あとすごく「え?」が大好きなんですけど語って良いですか!!??

「え?」って、自発的に生まれない言葉じゃないですか。何か相手や対象があって、それに対して飛び出る言葉だから。

だから「え?」って、ひとつの音の中にすごくすごく色んなものが入って、人によって本当に個性が出るからものすごく好きなんですよ~~~~~~!!!!!たった1音ですよ!たった1音で!空気を!!状況を!!感情を!!お互いの関係を!!!浮かび上がらせるんですよ!!!(落ち着いて

何も感じてないと全部同じ音で返って来るし、用意していた「え?」でも、それはそれで面白いんですけど、活きの良い「えっ?」を聴くと、日常でもお芝居でも物凄くテンションが上がってニヤニヤしてしまう……!

大人が「えっ?」ってなってる瞬間がたまらなく好き~~!!

[1/3放送回]三千代さんの印象

三千代さんは最近、リアルでお会いした無防備な雰囲気の女性とすごく重なりました。

もう!とにかく灯るような艶があって。一緒にいると空気がしっとりとして、それこそ鈴蘭や百合のように儚くて清楚。なのに触れてみたら、花弁のほんの僅かな厚み…柔らかいなまめかしさがあって、ちょっとドキッとする感じ。

そんなお姉さんと、ラジオドラマの中の三千代さんのイメージが被りました。どちらも印象がすごく"水"。

透明な水だから、側にいる旦那さんは、その魅力に気づかないか、見失っちゃうのかなぁと。

少し前に流行った柄の着物姿で日本髪。雨が降る前の湿気で、少し髪の乱れたうなじの綺麗な人だと良いな。

[1/3放送回]代助さんの印象

代助さんは……それがこの手のかたの造形に関する教養がなさすぎて、全然想像がつかないんですよ~~~!!(大の字

現代文の教科書で見たことありそうな人!みたいな(とんだポンコツ

まず洋装ですか、和装ですか………作者の夏目漱石はお洒落なイメージだし、代助さんの発言的に洋装な気もする。でも仕立てと着心地が良ければ和装もしてそう。

あ、でも代助さんも自分のお金持ちなリアル友人と少し被るところがあって。本もたくさん読んでいて、好きな分野に関しての教養もすごくあるんですよ。それこそナチュラルボーンですごく"ピュア"

社会と付き合いを良くする発想はないから、忌憚ない発言で、時々ハラハラする振る舞いにもみえるというか。

だとすると薄い色の品のいい、上等な生地の洋服を着た、実年齢よりも少し若めに見える人…?

個人的なフェチポイント(まだある)だと、三千代さんの買って来た百合に代助さんがハサミを入れるシーンがすごく好きです……。

静かな所に会話もなく、ハサミの鋭い音が部屋に響いて。代助さんの手と百合とハサミだけが際立って、すごく鋭利だなと。

それは代助さんと三千代さんの会話が耳に残っていたから感じることなんですけど。

あの瞬間を会話で繋がないって、ちょっとした緊張感があるじゃないですか。このシーン少し腕まくりしていて欲しいから、代助さんはやっぱり洋装がいいな〜!

このシーン、鈴蘭の飾られた器に後から百合を浮かすことを考えると、すこし平べったい睡蓮鉢みたいな花器に鈴蘭を茎ごと浮かしたのかなぁと。三千代さんがコップに水を注げるか、掬えるようなサイズ感。

花手水みたいにしたら、きっと綺麗ですよね。他の方のお写真で恐縮なんですけど、こんなイメージ。

あと、鈴蘭と百合が同時期に流通してるってことは5-6月頃だから、ちょうど梅雨で雨が降っているのかなぁと。

パラパラと雨の音を聴きながら、花の香りに身を委ねるって、外界と隔絶されている感じもあって良いですよね。夏目さんもお花が好きな方だったのかも。

タイトルの『それから』の『それ』って何を指すんでしょうね~!"あれ"でもなく、"これ"でもなく、"それ"。

原作小説からラジオドラマへの脚色

ラジオドラマで抜粋されたシーンだけ小説も読んでみました。文章にもちょこちょこ脚色?が加えられていて面白かったです。

最初、「八重の椿」が「真っ赤な椿」とすごく大胆に変更されているから、脚色された方的に"赤"は、何かひとつ大事にしたいポイントなのかなぁと。

「これが命であると考えた」が「これが命だ」になっているのも、引きから踏み込んで主観的になった感じ。これは代助さんからみた物語だから、三千代さんがより素敵にみえる気もします。

そういう意味で、ラジオドラマって、ほかのメディアと違って地の文さえ読まなければ結構、視点を隠せるのか~。

最初の"無意識にある女性を思い浮かべた"と三千代さんを明示するのと、三千代さんのセリフで[(昔の代助さんが百合に)鼻を着けて、"深く"嗅いでいらした]の"深く"は、ラジオドラマ版の加筆なので何か後半戦で利いてくるのかも。

あと"一切働くことをせず"、一軒家で"のうのう"と暮らしている、"落下"みたいな代助さんを表す言葉のチョイスに、抜粋された方は代助さんをそういうまなざしで抜き出したんだ~!!とちょっと楽しくなりました。お仕事好きな方なのかな。

次回も楽しみです~!

[1/10放送回]後編の感想

前編の記事を公開する前に2週目に来てしまった……!

代助さんが百合の花の香りを"深く"嗅いだことで、昔に戻ったんですね・・・うわあああああ。代助さんが過去に戻るための儀式なのか………!!

三千代さんの「死ぬつもりで覚悟を決めました」の空恐ろしさ。もう代助さんとちょっと見ているものが違う。コワイ。

8:41の「え?」の情けなさ!!!!もうほんとに!!!!胃がすごく痛い!!!!代助さん、そんな覚悟ありましたか!!??

急加速で落下した後のSEーーー!!あれなんですかーーー!何が落ちたんですかーーーー!!!!

※小説読後追記 ※
小説冒頭で「赤ん坊の頭ほどの大きさの椿が落ちる音をゴム毬を天井裏から投げ付ける音」という表現があったので、そこら辺かなぁと。あと椿が落ちる姿は、首切りを連想させる…みたいなのがあったはずなので、三千代さんの赤ん坊の死や代助さんの社会的な死とかも象徴しているのかも。
※追記おわり

平岡さん~!!!!すごく嫌な人で最高~~~~~!!!(爆笑

愛してなかったとしても、自分の物だと思っていた妻を、仲を取り持った人が奪っていっちゃったから、自分の事を棚上げしても腹が立つんだろうなと。

友だちと奥さんを同時に失うんですよ、、、もちろん身から出た錆なんですけど、しんどい~!!

平岡さん、己のメンツを潰してでも代助さんの実家に手紙を送って代助さんを窮地に落とそうとするのが執念。

最後の電車シーン、周りの人に聴こえるくらい代助さんがやばい感じの言葉を発していて、もう狂人の域みたい。唸り声って獣みたいでいつ聴いても物凄く心臓に悪い。

個人的な話に飛んじゃうんですけど、むかし自分が住んでいた家で、住人の1人が無職なのもあって病んじゃったことがあって。

その時もよく獣みたいな唸り声が聴こえて来たんですよ・・・。その子や代助さんみたいな人の側に居合わせた時って、ほんとにどうしたら良いんでしょうね…………。

唸り声も、助けて欲しくてSOSであげているのか、単に何かに堪え切れずに無意識にあげているのか、検討がつかなかったです………代助さんは後者かなぁ。

ラジオドラマ冒頭は椿の美しい"自然"の赤を点でみせて、ラストは脳を灼く"人工物"の赤が視界を埋めたんですよね。それって本当に真反対で、すごく苦しい。

たぶんこの時代の汽車って相当、揺れるだろうから、乗り物酔いをしながら、赤をみる様を想像したらすごく気持ち悪くなって来た。。。。。ぐえ。。。。。

あのラストシーンの後、ピロロロンという仕切り直しの音が入ったんですけど、そんな可愛いSEでは気持ちが切り替わらないよ!!!!!!(爆笑

     *

福士さんの言っていた「積み重ねたものがない人」のところで、ある意味、代助さんは心が少し子どものまま、身体だけ大人になっちゃった人なのかなぁと。

30歳になるまで自分の力でお金を稼いだことがないってどういう感覚だろう。

お金持ちだった人って何かしらの知識やツテはあるはずなので、メンタルさえ何とかすれば、食べてはいける気がしつつ、そのメンタルを変えるのが一番、大変そう~~~~!

誰かの可能性を信じることと、過度な期待を押し付けることの見極めをどうするかよく考えているんですけど、ラジオドラマの代助さん………結構、ダメそうじゃないですか(身も蓋もない

代助さん自身が世の中を軽んじて?いるから、ある意味、自爆しているというか。

だから、その呪いさえ解ければ、何処かに光はあると………思いたいんですけど……………やっぱりダメですか?? 私は挫折した人が、工夫で何とかするお話も大好きなんですけどーーー!!

小説「それから」読後

原作の小説はすごく色んな要素があって、純粋に名シーンを抜粋するだけじゃなくて、ラジオドラマだけで成立させるための工夫がありそうで面白かったです。

ラジオドラマ版での大きな脚色は、冒頭の代助さんが"無意識に、ある女性を思い浮かべた"の部分かなぁと。

小説だと最初、代助さんは三千代さんのことをそんなに気にかけてはいなくて。

後半戦で三千代さんへの気持ちを自覚してから、代助さんは自分の過去の記憶をさかのぼって、最初から心惹かれていたかのように塗り替える(?)…みたいにも取れる描き方をしていたと思うんですよ(ざっくり読みなので違ったらすみません

その代助さんの心の動きを、音や地の文の語りだけで表現するのって難しいし、あと圧倒的に尺が足りないから、ラジオドラマではシンプルに三千代さんへの気持ちがクレッシェンドする形にして、悲劇(?)要素のある恋物語にしたのかなぁと。

あぁ、だからこそ短時間で落下するための高さをクレッシェンドでつくれたのかも・・・?(妄想

経済的援助の手

経済的援助って当事者同士が望んで成立してるなら、それはそれで良いのかなぁとコロナ禍の2020年は思ってたんです。

代助さんと実家、三千代さんと代助さんもそうですし。

でもすごく個人的な話で恐縮なんですけど、新年早々、経済的援助に絡む色んな人の思惑を間近でみる機会があって。成立しているように"見せて"も、ネガティブに向かい易くはあって、見ないフリは良くないな、とちょっと反省しました。

お金って価値交換のために使うツールで、本来フラットな物のはずなんですけど、取り扱う人間の状況やまなざしによって毒にも薬にもなるというか。

代助さんにとっては、遅効性の毒でもあるし、カンフル剤のようにもみえます。

代助さんの高等遊民っぷり

代助さん、あんなに働く人・事への嫌悪感を持っていたんですね!!!

「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。」ってセリフの後、代助さんそのまま884文字ちかくも喋ってて、思わず文字数を調べちゃったよ・・・・!

翻訳みたいなお金を稼げそうな手立ても代助さんは持っていて、労働への忌避感は、ポリシーの問題だったのか~と。

だからこそ最後、福士さんの代助さんは自分の根っこがあんなに揺らいじゃったように聴こえたのかも。

中嶋さんが代助さんは実家に"出戻る"みたいな話をしていたのも、何となくわかる気がして。

たぶん、30歳になるまで息子さんを養ってくれるご家族だったら、何かきっかけさえあれば、家に呼び戻してくれると思うんですよ。

代助さんみたいに「こうだ!」と強いこだわりがある事自体には、すごく人間くささを感じるというか、ちょっとした憧れがあります。もちろん、寛容さも大好きなんですけど。

代助さんのこだわりも"足枷"でもあり、"美学"でもあるから、ある意味、代助さんらしさでもあるんだろうなぁと。

三千代さんの白さと赤さ

わたし女性に対して、ものすごく夢と幻想を抱いているのですが、小説を読んだらちょっと自信がなくなって来ました。

第一印象は、とても清楚で無防備な危うげのある魅力の女性だったんです。

でも、代助さんの使いかけの洋盃(代助さんが庭に水を捨てたにも関わらず)に口をつけた所とか、他にも小説の描写でいろいろ……………もしかしたら三千代さん実は………けっこう仕込んでおられました………か………?実は恋の演出家さん…….でした…?※「あざとくて何が悪いの?」視聴者の意見

あれ?って思ったのが、平岡さんを代助さんの家に"呼び出して"、二人の関係を告げるところで。

"呼び出す"って当時は目下の人への対応じゃないですか。2人が本当に一緒になりたい!って心の底から願っているなら、せめて平岡さんを立てて告白した方が良いはずだから、そこは三千代さん止めた方が・・・(余計なお世話

著者の夏目さんも作中、別のエピソードをつかって、わざわざ"呼び出す"、"出向く"ことの意味を明示しているのに、そうするって不思議で。

もろもろ見ていると三千代さん、運命に翻弄されているようにみえて、実はかなりアタッカーな所もある人かと思って。

そう考えると三千代さんの色・・・百合や鈴蘭の白さの奥に、狂おしいまでに鮮やかな赤が透けて見えた気がしたというか。

自分を愛さなくなった平岡さんに、代助さんを差し向けて恥をかかせて数年前に自分を選んでくれなかった代助さんを破滅の炎へと導いた……みたいなアグレッシブさにも取れるじゃないですか(極端な妄想)。う、うわーーーーーー。

だとすると清楚とか水とか言ってる場合じゃなかったかもしれない。甘味の重い、砂糖水。

『それから』は代助さんからみた物語だと思っていたけど、筋書きは三千代さんが書いた可能性もあるのかなって。

子どももいなくなって、病気で、心細くて寂しくて、そんな時にたった一人頼れるのが代助さんだったと考えると、もう藁にもすがる思いだった気もします。

ラジオドラマと小説1回読んだ感想なので、もしかしたら第一印象のとおり清楚で無防備な人かもしれないし、それぞれもっと違う顔もある人かもしれない。

『それから』って実は読み手によって解釈が分かれるようにあえて書いている気もして。

夏目漱石さんの矛盾

『それから』の小説だけを読むと、夏目漱石さんはすごく、自分や相手、社会の色んな矛盾に気づく方だったのかなぁと感じました。

上の本(めちゃくちゃ易しくて良い本だった)を読んで「個性」は、明治時代頃に海外から輸入された新しい概念だったんだ!という発見があって。

"家"や"父"が絶対だった当時の日本で、夏目さんはその概念をいち早く取り入れたんだと思うんですね。

それって思想に傾倒する怖さもあると思うんです。夏目さんはその事に対して、相当自覚的だったんじゃないかなぁと。

ご本人か、周りにもそういう方がいて、同じ思想を信じる者同士でも、少し批判的なまなざしもあった・・・んじゃなかったら、こんな物語を書かない気もするんですよね。そこも踏まえた上で、"個人としての意思"を持つ事を選んだのかも…?(妄想です

その中で、自分の正直な気持ちって、自分の内から湧き上がるものなのか?外からの働きかけによって作られたものなのか?みたいな疑問もあったのかなと。

自分だけの衝動だと思っていたものは、実は自分以外の環境・文化・他人とかから影響を受けて、そうだ!と思わせられているんじゃないか、みたいな気持ち?

こんなに花にも意味を匂わせたりと、細かい構成を組んで来る夏目さんなら、あらゆる描写をどちらかに寄せたり出来るはずなのに、一つの事に対して、ほぼ鏡になる矛盾を用意しているのは、何かその事自体に意図があるのかなぁと。

いやも~~~~やっぱり一次創作者が………最強!!! 私たち読み手は勝手に妄想したり、解釈する事しか出来ない………!

あらゆることを、読み手がどちらとも取れるようにしている気もします。

そんな事も文学的な美しい文章に託して、読者に委ねたのかなぁと妄想しました。

色んな切り口のほかに、自分が心の内から"そう"だと思ったものは、実は"そう"ではない可能性がある、という大きな暗喩もひとつあるんじゃないかなと(妄想

わたしにとっては美しい文学的な描写・恋愛や当時を生きる人の社会的な苦悩が描かれる奥に、とても人間くさい矛盾をみた物語でした。

個人的に、この作品の持つ良さを、そのまま違う媒体の作品として落とし込むって、実はものすごく難易度の高い…というか、その考え方だと成立しない気がします。

すごく小説ならではの多面的でファジーな魅力があるけど、他のメディア作品に変換する時は、原作の良さであるファジーな部分に何かしら解釈を入れて、具体的な音や絵で表現しなきゃいけないはずなんですよ。

どの角度で切り取るかが、たぶん人によってものすごく変わると思います。

だからこそ、他のメディアでやる面白さのある作品なのかなと。解釈違いを楽しむ作品。

周りの愉快な文学オタクたち

高校ぶりに読んだ夏目漱石だったので、つ、ついに私も夏目作品を履修する大人になったぞ〜!ってちょっと得意な気持ちになったんですね(子どもの発想

それで夏目好きの友達に「読んでみたよ~!」と送ったら、友人からウッキウキで論文みたいな参考資料が続々と送られて来ました。布教の圧………!!

先生!わたしマンガで学ぶ●●とかも大好きなんですけど……!!!???

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