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「家族を愛せない人は、他人を愛せない」私はこれを断固否定する。

こんにちは、はなちゃんです。

「家族を愛せない人は、他人を愛せない」
世の中には、こんな事を言う人がいますよね。

実際に私も、このようなことを言ってる人を知っています。

ですが、私はこれを断固として否定したいのです。

※現在、既婚者である私には家族がいます。ですが、今回のタイトルにある「家族」とは、実親や兄弟のことを指します。


【私と家族】


もう書かなくても伝わっているでしょう。
私は家族とは不仲です。

最近会ったのは身内の葬式のみ、それ以前は5・6年ほど連絡を取っていませんでした。下の子が産まれたのを伝えたのは葬式の時なので、もちろん、今も連絡は取り合っていませんし、現在の家族状況も知りません。

連絡を取り合わなくなったのには、少なからず原因があります。しかし、それはただのきっかけに過ぎず、昔からどうしても家族と性格が合わないと感じていました。


【思春期の頃に思っていたこと。】


「相性が会わないのではないか」と感じ始めたのは中学生の頃。当時は世間でいう反抗期の年齢です。

周りの家族やテレビなどでも「家族が好き」「家族愛」などとやっているのに対し、何に関しても合わない実親・兄弟に対して、当時の私はこれは思春期特有のものかもしれないと、中学生ながら冷静に考えていました。


【当時は悩んでいた。】


その後、高校生となり大人になった私でしたが、気持ちは変わることなく、むしろ、より一層強くなっていくのです。

そしてある時、私が家族と不仲だと知った知人から言われました。

「家族を愛せない人は、他人を愛せないよ」

これを言われた当時の私は、とても悩みました。
というのも、この知人のみならず、他でもこの言葉を耳にしたからです。

私が思っている「愛してる」は、本当は偽物だったのか。彼氏に対しても「好き」なつもりなだけだったのか。人を愛することができなければ、今後の私は結婚が出来ないかもしれない。

家族とは仲がいいもの、家族愛があるもの。

実際に「家族愛」が存在するのも知っている、こういったことが当たり前だからこそ余計に悩みました。


【一種の偏見である。】


今では名前も出てこないほど、短期間だけ付き合った彼氏がいます。

その彼氏はマザコンの域に達するくらい、家族愛が強い人でした。もちろんながら、アノ言葉を口にしては私に言うのです。

「家族を愛せない人は、他人を愛せないよ」

ですが、この彼氏は私が家族と不仲なことは知りません。それでもこの発言をしたことにより、ようやく私は気付いたのです。

自身が経験していない環境を理解するのは難しい。

実際に言われた知人や他の人も、家族とは仲が良かった。だからこそ、これは一種の偏見で発言しているのであろうと。


【血の繋がり=相性がいいではない】


家族が家族で繋がっているのは「血」
血が繋がっているからといって、家族にも相性があるし、気質が同じとは限らない。

私が長年思っていた違和感はこれだったのでしょう。

それに、実際に今現在の私は、家族を愛せなくとも、他人を愛したからこそ結婚し、もちろん家族でもある子供も心から愛している。それに愛にはたくさん種類があって、私は自分の周りのたくさんの人を愛しているし、この愛に嘘はないと言いきれる。

だからこそ、「家族を愛せない人は、他人を愛せない」この言葉は嘘であることを伝えたい。


【悪循環】


少し話は変わりますが。
私の場合は、実家を出る前と出てからでは、対人関係の運が変わりました。

実家にいる頃は、周りに恵まれておらず、出てからは驚くほど対人関係に恵まれていると感じています。

地元を出て視野が広がったのでしょう。今だから言えますが、昔は酷く狭い視野の中で暮らしていました。

相性が悪い人と無理やり一緒にいても、なにもいいことはない。

きっと悪循環が悪循環を招いていたのでしょうね。

相性が合わない家族がいることに対し、そんなことがあっても当たり前と、世間はもっと寛容になって欲しいと願います。



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