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新種を発見した話


日々生活していると、あっ!と驚くようなすごい発見や経験、あるいは自分の中だけでクスッと笑ってしまうような小さな発見が、起こる。

そんなとき決まって人は、誰かに話そうと思う

共感してほしい、と思う。このすごさ、この面白さがわかって欲しくて、ねえねえ昨日ね、と語り出す。

もちろん、人に話すからにはそれなりのリアクションが欲しい。しかし、リアクションというのは何もないところからは生まれない。すごいこと、面白いことに対して初めて人は、おー!と反応する。だから、例え人に話してリアクションが薄かったとしても、基本的にはその人のせいではない


だから、迷ってしまう。


これは人に話して話題となるものなのか、と。この話でなんらかの興味を引き出せそうか、と。

その判断を見誤ると、…そんで?となってしまい、涙を流しながら夜を迎えることになる。だから、その場を盛り上げるに足りる話題なのかどうか見極めることはとても大切なのだ。




ところで、みなさんには嫌いな人がいるだろうか

いや、ちょっと表現を変えましょう。

こうはなりたくないな、という言わば反面教師的な、そんな人はいるだろうか。


僕にはいる。大人になっておじさんになったとしても、こうはならないぞ!と心に決めていることがある。

店員に偉そうな態度をとる人間にならない、とかいう人として当たり前なところはさておいて、1つ、確かにある。

それは、「電車の中で缶をプシュッと開けてお酒を飲み出すおじさん」にならない、ということである。

小さいことですけどこれは絶対にそうならないのうにしようといつだかから心に決めている。

そもそもどうしてかのおじさん達は電車の中でプシュッと缶を開け出すのだろう。夕方になると確実にどこかでプシュッという音が聞こえて宴が始まる。また単なるイメージにすぎないのだが、プシュッと始めるおじさんは席の端っこに座っていることがとても多い。共感してくれますか??

あれほど長く生きていればお酒に対しての感覚も変わるのかもしれませんが、やっぱりお酒は落ち着いた状態で今日も疲れた〜と飲むのがいいような気がする。もしかしたら、そんな時間もないくらいかのおじさん達は多忙なのかもしれないけれども、少なくともそうは見えないのがあのおじさん達の特徴なのである。

もしかすると、家に帰ったらzoomで何らかの国際会議でも開かれるから時間がなくて仕方なく電車で開けてしまうのかもしれない。いやそれならそもそも飲んではいけない、国際会議はしっかりとした状態で出てほしい。


さて、人に話すかどうか迷うレベルの話、とは。

今から30分ほど前、家に帰る電車に乗っていました。いつも乗れるはずの電車に間に合わず、駅で10分不本意な時間を過ごしたのち、電車に乗っていました。

するとしばらくしてあの音が聞こえてきました。

プシュッ…

ああまたおじさんが飲みだしたな、我慢できなかったんだな、と思い、そしてやる事もなかったので何となく、音の出所を探しました。

電車で缶プシュおじさんの生態は決まって席の端に座るというのが決まっていますから、近くの席の端っこを飛ばし飛ばしに確認していきます。

するとおかしなことに、缶プシュおじさんは見当たらないのです。

もちろんおじさんはいます。日々の労働に疲れてそうなおじさんが座っています。おじさん今日もお疲れ様です。ゆっくり寝てください。

と、すると、もしや端に座っていないのだろうか…と自分の立てた自慢の公式が揺らぎ、一応端意外も確認してみる。

しかし見当たらない。

もはやこの電車の中で缶プシュおじさんをマスクで半分以上隠れた顔で真剣に探しているのは僕だけに違いない。そして缶プシュおじさんを見つけたところでどうするわけでもないのに、ただ、僕は缶プシュおじさんを見つけたかった。

しかし見当たらなかった。何故か。

そこに缶プシュおじさんなどいなかったからだ

そこに缶プシュおじさんなどいないとするならばまさか、僕は頭の中で缶プシュおじさんを求めすぎて、或いは体がアルコールを求めすぎて、頭の中で缶を開けたのだろうか。

自分が少し怖くなる。

しかし答えはすぐに見つかった。


人間の偏見とは怖いもので、無意識に思い込んでいると、それ以外の選択肢はまったくもって考えていない、というより"それ以外の選択肢があるなんて思っていない"の方がただしい。

要するに、

缶プシュ"おじさん"ではなく、缶プシュ"おばさん"だったのである。

この世に男と女がある以上、缶プシュするのも男と女の両方がいてもいいわけなのだけど、長年缶プシュおじさんしか見てこなかった為、てっきり缶プシュ族のメンバーはおじさんだけだと思っていた。

しかし今日とても重大な発見をした。

この世には缶プシュおばさんもいるのだ。

しかも缶プシュおばさんは、その性質なのか知らないが、やけに控えめに飲んでいた。その証拠に缶を薄手のタオルか何かに包んでそして、人目を盗んでスッと飲んでいた。その包み方と飲み方はまさに聖水のようで、おばさんにこれは聖水なのだよ、言われたら信じそうなくらいである。

しかし信じることはない。なぜならそのおばさんからプシュッという音がしたからである。

電車に一本乗り遅れてしまったおかげで、人生で初めて、缶プシュおばさんに出会うことができたので、一本乗り遅れるのも案外悪くないのかもしれない。


また今気になるのは、缶プシュおばさんは何を飲んでいたのか、である。聖水スタイルで飲んでいたせいで、それがビールなのか、チューハイなのか分からずじまいで、それが唯一の心残りである


こんな話、あした誰かにできるかな、リアクションとってもらえるか、そう悩んだ挙句ノートに投稿することにした。あした誰かに話すタイミングがあったらこの大発見についても話すことにします、良いリアクションはもらえるだろうか。


あ、そうそう。結局缶プシュおばさんも席の端っこに座ってました。公式は健在でした。


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