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人と関わることが苦手な私に気づかせてくれた大切なこと

スタエフでフォローしている方のライブにお邪魔した時、このような質問をされました。

あなたのキャンとしたエピソードを教えてください。

皆さん、とっても素敵なキュン❤エピソードをお話してくれて、自分も一緒にそのドキドキを追体験してきました(笑)

で、私はと言うと、コレといったエピソードがなく。完全に聞き専、コメント職人してました(笑)

前にも書いたんですけどね。

と。

キュンとしたエピソードにファストフード店の店員さんの掛けてくれた言葉と仕草が素敵だった。

コンビニの店員さんでも、顔見知りになってマニュアル通りのセリフ以外の会話が出来た時に嬉しいと感じるよね。

と言う話を聞いて、自分の自意識過剰な部分に気づくことが出来ました。

「仕事だから」「前に態度が悪いとクレームを受けたから」と言う理由で、割り切って「いつも明るく元気な店員」で居ました。

そんな私に心を開いてくれるお客様、うちの商品を褒めてくださるお客様がいる事を思い出しました。

私は偽りの好意を投げかけて、相手からの純粋な好意も受け取らず、なんて最低なことをしていたんだろうと思いました。

最近見た、大愚和尚の一問一答と言うYouTube動画でも人との繋がりについてのお話の中でも人との関わりについてのお話がありました。

関係を深めていくと相手に嫌われてしまうのではないか?という恐れから人との関わりを避けるということは相手に寂しい思いをさせていたかもしれない。

その中で友と関わることによって自分を良く知ることが出来る。私達を成長させてくれるのです。
友というのは私たちが関係している全ての人たちとの理想的な関係と言うのが友なのです。
友というのは、ものすごくたくさんいるんです。
どこで、どんなタイミングで友と出会うのかはわかりません。
しかし、自分が出歩いた先で出会った人が全て友だと勝手に思うことによって、友はたくさんいるということに気づくのです。
その友から学ばせてもらう事は非常に大きい。
人とコミュニケーションが取れない人ほどこの感覚を持って生きてほしい。
自分の不器用さや稚拙さを克服したりする一番の解決法だと思うのです。
私という存在があって関係があるのではなくて関係というものがさまざまにあって、その上に立ってそれぞれの役割を果たしたり、それぞれの関係の上で、それぞれの役割を持って人と関わりを持つ事を縁起と言う。その縁起に関わった全ての人をお釈迦様は友と言ったのです。

ファストフード店の店員さんがマニュアル通りに「ありがとうございました」と言わず「お疲れ様です。お仕事頑張ってください。」と言ったことにキュンとしたと言うのも、縁起の一つなんでしょうね。

私もこの事を意識して、人と関わる中で学びやトキメキを見つけていけたらと思いました。

※キュンとしたエピソード、来週までの宿題と宣言したのでね、明日から積極的に人と関わっていこうと思いました(笑)

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