サークルが嫌いな話。

私はなぜ歌うのか。

はじめて合唱が楽しいと思ったのは小学生のときでした。
歌が大好きな幼馴染がいるのですが、彼女が合唱の話ばかりするから、私も歌うことが好きになっていました。

中学生のころには音楽の授業で選抜されて、合唱部の助っ人としてコンクールに出たりしました。選ばれたのが得意で、結構張り切って練習に行っていた記憶があります。

高校ではやめてしまったけど、もう一回歌うのもアリかなぁという気持ちで、合唱サークルに入りました。

入ってみたはいいものの、一年目はかなり、辞める方向に心が傾きました。

忙しいとか、周囲のレベルが高いとか、そういったこと以前に「部活」「サークル」が向いていないのです。
思い返せば中高時代も卓球・合唱・ギター・百人一首と部活を転々としていました。内容が合わなかったのではなく、そもそも「部活」が嫌いだったのだと思います。

「部活」って、つまらないんです。

マニュアルや伝統やスケジュールがあって、毎年同じように繰り返す。やり方が決まっていて、それに沿って行けばうまくなる(らしい)。

退屈。

私はわがままだから、安定するとつまらなくなってしまうのです。
解法を考えているときはいいのですが、あとは作業を順にこなしていけばOKという状態になると、テンションが下がってしまう。

「部活の練習」は後者に重きが置かれすぎていると思います。
顧問や部長やコーチから与えられた手順をこなしてスキルを高めていく。毎年同じ時期の同じ大会に向けて同じ景色を見ながららせん階段を登る。

もちろん「改善に向け自分で考えて動くべきだ」なんてお題目としては唱えられるのだけど、考えずに生きていけるものを一生懸命考えるなんてあまりに面倒。(だって他に考えなきゃいけないことはたくさんあるのだ。)

つまらないからうまくならないし、うまくならないとつまらないのです。

「部活」特有の、汗と涙と青春みたいなものも無理です。

頑張っている人を評価する文化が理解できません。
楽して上手くいく方がいいに決まっているし、楽しい人が楽しい分だけ頑張ればいいのに。

「辛ければ辛いほど達成感が得られる」
なんてよく言われるけれど
感動するために努力するなんて馬鹿げていると思います。
感動したいだけなら家で映画でも観ていればいいのです。

それから「部活」はものすごく、ものすごく閉じた世界です。

これも固定されたコミュニティが苦手な私に全くもって合いません。

ある程度人数がいるコミュニティは、人付き合いでなく陣取りゲームになりがちです。
できるだけいい位置に着こうとするゲームを日々続けていくのは、とても疲れるので嫌いです。

相性が良くない人と「仲良く」しなきゃいけないのも普通に嫌です。
人生は有限なので話していて楽しい人とだけ話したいに決まっています。

じゃあ、何故私は柏葉に居続けたんだろう。



いつか楽しくなるんじゃないか、ってずっと思い続けてきた気がします。

歌うことそのものが大好きな人がたくさんいたから。

例えば、楽譜が読み込めるようになれば、思うように声を出せるようになれば、表現する余地が増えれば。
いつかは私も、「努力」や「仲間」や「積み重ね」なんかじゃなく、歌うこと自体が、この瞬間が楽しいと、うれしいと、感動したと、心の底から。
歌なら、叶うのではないかと思ったのです。


二年生の春合宿、本気で辞めようかと迷っていたとき。
ボイストレーナーの先生に「あなた、歌っているのが本当に楽しいのね」と言われました。

思ってもみなかった言葉でした。
ああ、私はこの瞬間が楽しいのか。続ける価値があるのか。

あの一言で私はここまで続けてきたのだと思います。


過去二回の定演は、たしかに楽しかったのですが泣けませんでした。

歌うこと自体に感動できる日が来るのだろうか。
私は、泣けるんだろうか。

柏葉会の定演が12月16日(土)にあります。
私が乗る最後の定演です。歌い手は、歌が本当に好きな人ばかりです。
お暇でしたらぜひ聴きにいらしてください。チケット差し上げます。

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