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スペシャルなわたしとラーメン

「ラーメンは年に一度と決めているんです」と、とあるモデルさんが語っていた。

わたしは目の前に札束を積まれても無理だと思う。人生の大事なシーンに、ラーメンがあまりに登場しすぎる。

まだそんなにラーメンが好きでなかった当時、わたしは大学二年生で、オーケストラ部に入ってチェロを弾いていた。個人練と全体練を合わせると、活動は日曜以外ほぼ毎日。しかも授業もすっぽかさず、週に20コマ超の科目を真面目に受ける人間だったので、それはもう目が回るような忙しさだった。

そしてわたしは、忙しくしたところで「普通の大学生」の域を越えなかった。

チェロ経験者としてそこそこの期待をかけられながら入団したオーケストラでは、いくら練習してもうだつの上がらない演奏しかできず、当たりの強い先輩から「やる気あんの?」と叱咤された。(ありますけど?)と心のなかでずっと啖呵を切っていても、それを口にするほどの生意気さも自信も持ち合わせていなかったのだ。けれど楽譜の通りまっとうに演奏することはできたので、出番はそこそこもらっていた。

勉強も、パッとしなかった。単位はA以上が当たり前。できればAのその上、Sがいい。落とすのは論外。なので休み時間もひたすら図書館にこもり、授業の復習やテスト勉強をつづけた。Sは数えるほどしか取れなかったけれど、A未満は無事に回避。可もなく不可もなく、な成績だった。

真面目なくせに、でてくる結果はいつだってそこそこ。そんな自分を一番ダサいと感じていた。
輝かしい成功か、赤面するほどの失敗ならまだ良い。いや、訂正する。できれば失敗は避けたい。けれど、今一つ映えない結果が延々と無間地獄みたいに続くことに比べれば、まだ失敗のほうが良いんじゃないだろうか。なにか普通じゃないことが起こってほしい。そこそこな日々がつらい。わたしは本気でそう思っていたのだ。

・・・・・

その日も前の練習と同じように、当たりの強い先輩に叱られながら、練習に励んていた。「なんでそんなミスをするのか」「ちゃんと練習してる?」それらの声が、今日はいつにも増して強烈に心に刺さる。テストの点数が今一つだったからかもしれない。思ったよりプレッシャーのかかる曲の演奏を任されてしまったからかもしれない。
どれも悲観するようなことではないけれど、喜ばしいことでもない。そうしたエピソードの中途半端さが、余計にわたしの心をクサクサさせた。

練習を終え、ずっしりと重たいチェロを抱えて家に帰る。ワンルーム5.5畳の狭いアパートの一室、その玄関脇にチェロを立てかけてから、着替えもせずにどかっとベッドの上に寝転がる。
時計を見上げると、時刻は23時。金曜日なので次の日のことは気にしなくて良いけれど、だとしてもまあまあ遅い時間だ。なのに風呂はおろか、食事すら済んでいない。よいしょ、と上体だけ起こして冷蔵庫の扉を開いたが、入っていたのはかんたんな調味料と卵だけだった。これじゃ目玉焼きくらいしか作れない。いまのわたしのお腹には、あまりにひもじいメニューだ。お腹が凶暴な怪獣のようにうなり声をあげる。

空腹感が疲労感に勝ったので、外に出て夜ご飯を食べに行くことにする。寝転がりながら周辺のお店を調べると、歩いて5分の距離にあるラーメン屋が夜の1時半まで営業していた。ここにしよう。けれど、行くならなるべく身軽な格好になりたい。食べて帰ったらすぐ寝られるくらいの方がいい。着ていた服を脱ぎ捨て、部屋着のTシャツと短パンに着替えて、財布を手にしサンダルをつっかけて外に飛び出す。

お店までは、走ったら3分だった。入口にはのれんが掛かっていて、デカデカと「はらが減ったらうちにこい」と書いてある。これ以上クールな売り文句をわたしは見たことがない。

メニューを眺める。「全部のせスペシャル」という文字が見えた。なんだかこれ以外の選択肢はありえないような気がしたので、全部のせスペシャルを頼む。

わたしの全部のせスペシャルが来るまでの間、店の中をちいさく見渡した。友達と来ているような人たちが二組いたけれど、それ以外は全員おひとり様だった。そして誰もが「思いついてそのままラーメン屋に来たような恰好」をしていることに、妙にホッとする。部活のユニフォーム。部屋着。よれよれのスーツ。

ぬ、と店員さんの手が伸びてきて、わたしの目の前に全部のせスペシャルを置いていった。思ったよりでかくて存在感があって、おもわず半笑いになる。これ、今食べたら明日ものすごく浮腫むだろうなあ。けれど、ピカピカの煮卵も、何枚も重なったチャーシューも、すべて自分のものだということが、その日はとても嬉しかった。お腹のなかでうなっていた怪獣に報いるように、わしわしとラーメンどんぶりに食らいつく。

お店に入ってから10分後、わたしはわたしの全部のせスペシャルを、きれいさっぱり平らげた。お水をぐいと喉に流し込んで、ごちそうさまでしたー、と厨房のほうに声を掛ける。あざしたー!と、景気のいい声が飛んできた。

店の外に出る。夜風が気持ちいい。腹の中には今、全部のせスペシャルが潜んでいる。エネルギーの塊みたいだったラーメンが、今はわたしの一部になろうとしている。わたしはスペシャル。そうつぶやき、お腹をしずかにさすりながら、アパートまでの道を辿った。


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