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灯油ストーブを買った

灯油ストーブを買った。

もともと、ストーブを所望したのはオットだった。エアコンと違って空気が乾燥しにくいし、広い範囲が短時間で温まるから良いのだ、と熱心にプレゼンされた。

一方のわたしはそんなに乗り気じゃなかった。だって、灯油代が馬鹿にならないし。燃料を切らすたびにガソリンスタンドまで行かなきゃならないのもおっくうだし。それに今回購入したものは、正直なところを言うと大きすぎる。狭い通路にストーブを置いた結果、脇を通ろうとして服を焦がしたこともあった。

ところがわたしは今、あれだけ買い渋っていたのが嘘みたいにストーブに夢中になっている。
まず、炎が燃えてるって良い。炎はそこにあるだけで、空気をあたため、和らげてくれる。ストーブとか暖炉とか、しずしずと燃える炎の前で喧嘩をすることはきっととても難しい。したことがないから分からないけれど。

次に、これが意外だったのだが、灯油の補充が思いのほか楽しい。
燃料の残りを示すメーターの赤い針がゼロに近づくと、いそいそとグレーのポリタンクを持ってくる。うっかり灯油をこぼして部屋を臭くしたこともあるけれど、今はポンプを押して補充するのにもすっかり慣れた。ごくごくと給油口から燃料を吸い込んでいくストーブは、まるで生きて食事をしているみたいだ。

けれど一番「ストーブを買ってよかった」と思うのは、夜、オットが寝静まったあとに火にあたっているときだ。
彼はいつも寝るのが早いので、ストーブを消すのはわたしの役目になる。消すと決めてすぐに消火のダイヤルをひねるのではなく、しばらく何をするでもなく、燃える炎をぼうっとしながら眺めることが多い。

ストーブの中の炎はオレンジ色で可愛く、そして静かに燃えている。
オットの寝息以外聞こえない部屋で、火傷しそうなくらい近くで耳をそばだててみたけれど、本当に無音だった。これだけ希望の象徴みたいな姿かたちをしているのに沈黙したまま燃えているということが、とても格好良いと思った。

わたしは、沈黙が好きだ。誰も話すでもなく、ただその場の空気だけを共有しているときの、あの言葉がどこかに行ってしまった感覚が大好きだ。それなのに沈黙を守ることはどうにも苦手で、一度そこに気まずさを感じるとつい口を開いて何かを話してしまう。
今も私のそばにいてくれる大切な人たちは「あなたの話を聞くことが好きだから良いんだよ」と言うし、きっと本心からそう感じてくれているのだと思う。けれど、本当のわたしは「もっと沈黙していても、大切な人のそばにいられるような人間でありたい」と思っている。

もしも冬が終わり、春が来て、それを片付けるようなことになったとしても、ストーブのことをいつでも思い出せるようにしておこうと思う。
何もないみたいに無音なのに、何よりも煌々と灯りをともすストーブは、比喩にするにはあまりにもクールで恐れ多くて、けれど象徴として頭に浮かべずにはいられない存在になってしまった。

こうしている間にも、ストーブは炎を燃やして、馬鹿にならない量の灯油を消費している。けれど、相変わらず無言で空気を温めているそれを見ると、春が来て、灯油なんかいらなくなって、ストーブのぶんだけ部屋が広くなることが、どうにもさみしい。

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