東京なるほど大学 に通うものとして

わざわざロケに来てくれたみなさんにたくさん迷惑をかけてしまったようだ。
本当に申し訳なかったと、その一言に尽きる。

その日のことを思い出す。
あの日はツイてない1日だった。午前中のディスカッションの時間にうまく喋れず、自己嫌悪に陥っていた。そんな中で見たロケハン。多くの人に囲まれており、この大学にはこんなにたくさんの人がいるのかと驚いた。トゥース!と叫んで笑いをかっさらう。おお、と思ったが、ひとりで落ち込んでいたのと次の授業に行かなければならなかった私は心が荒んでいた。周りのやつ、全員バカだなと思いながらその場を足早に通り過ぎた。

教室に着くと、席が半分ほどしか埋まっていなかった。これには驚いた。この授業はとても人気があり、初回授業で抽選を行った時は教室から人が溢れていた。そんな授業がガラガラなのである。これまでも何度か人が少ないな、と思った回があったが、あの日は異常に少なかった。あれほどの人気も、芸能人に比べたらなんてことないんだなと学問の無力さを思い知った。

授業を終え、教室を出るとまだロケが続いているようだった。午前中の授業で大失敗してしまった私はまたも足早にそこを通り過ぎた。

数日後、音声学の授業を受けた際、教授がフワちゃんの英語を褒めていた。せっかくだったら授業を見にくればよかったのに、と言っていた。私もそう思った。音声学の授業はとてもおもしろいし、ネイティブのように英語をうまく「喋る」にはうってつけの授業だ。もしロケハンのみなさんが来ていたらもっと楽しいんだろうなと思った。

それなのに、である。

ロケに来ていたみなさんからの大学の評価は最悪だった。最初はそんなはずがないと思っていたが、聴くたびに、ひどい光景がありありと頭の中に描かれていくのを感じた。ああ、やってしまっているな、と思った。

私は自分がそんなにひどい大学に通っているという自覚はなかった。むしろ私はこの学校がとても好きだ。それは友達であり、先生であり、受ける授業であり、環境である。あの地には本当にすばらしいものがたくさん詰まっている。プレゼンテーションをすればみんな暖かく聴いてくれる。エッセイを書く時は、この表現の方がいいよ、などといつも助けてくれる。空きコマにはみんなでアイスを食べながら課題をやったり、5限の授業が終わった後も友達と待ち合わせをして文法や言語について語ることもしばしばだ。それに、間違ったことをしたら叱ってくれるし、みんながみんなを絶対に見捨てない。

と思っていた。

私は大変なショックを受けている。大好きな人の顔が浮かんでつらい。必死に読み、書き、真剣に学問に取り組んでいる人がいる。その人の取り組みが全く伝わっていないのである。

類は友を呼ぶ という言葉がある。

やるなと言われていることをやる大馬鹿者、自意識の亡者、聞かれたことに答えられない阿呆。そんな人たちが集まったところに行ってしまったんだなと可哀想に思う。

しかし、この大学はそんな人ばかりでは絶対にない。

だからこそ、大学がもっと考えるべきだった。自分たちのすばらしい点を自分たち自身がわかっていないことこそがいちばんの問題である。何のためにわざわざ来ていただいて、何を伝えたかったのか。それが完全にブレている。まるでこの大学が持っている素晴らしいものは施設だけだと言っているようではないか。熱い思いを持って研究に取り組んでいる先生方も、それに食らいついていく学生の姿も本当に格好良い。私は心の底から、この大学のラーニングコミュニティは素晴らしいと信じている。そして、そんな人がいつか陽の目を浴びることを願うばかりだ。

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