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寸感 TOKYOPINK FES

 明らかに、明確に、はっきりと、変わったって思った。この女の子たちはまた一つ、革命を起こしたと。

 アイドルというものがどういうものなのか?そもそもTOKYOPINK所属の女の子たちなアイドルという枠に収まるのだろうか?
 答えはきっと、そうではない。アイドルではない。というよりも、ビビッド・ピンクの血を流して戦い世のなかという戦場から私たちを守ってくれる女の子たちだ。
 私たちの心の柔らかく繊細ででも人に見られたくないグロテスクな部分を優しく触れ、ソーシャルもパーソナルもいい感じのディスタンスで暖かく眼差し、生きる気力をもたらす子達だ。

 また、パフォーマンスもアイドル離れしている。前衛演劇や現代舞踊のニュアンスを存分に取り入れ、かつポピュラーなものとして成立するぎりぎりのバランスである。

 今回の①④才の1人ずつを起こしていくシーンからの「CUTTING EDGE」の展開は、まるで野田秀樹の演劇を見たときにてるものと同じような演出、展開の妙を感じた。大森靖子のソロにも通ずることだが、静寂の使い方が本当に上手い。間の効果というものが存分に発揮されている。なかなかこんな表現をしながらも、アイドルを名乗り、アイドルの枠をはみ出ながらも成立させているグループはないだろうな。

 また、TOKYOPINKのなかの後輩グループであるMAPAについても、リリイベやワンマンで培い、また普段の練習の積み重ねがうかがえるレベルアップしたパフォーマンスを惜しみなく披露した。全てのメンバーの声、マイクのノリが良い。

 特に、宇城茉世のdraw(A)drawの歌唱には驚かされた。特典会やMCでのかわいくお茶目ないたずらっこから一変、クールで迫力のあるボーカリストになるところは誰もがそのギャップを体感した方がいい。

 また、運命テッテレーのAメロの歌割は度肝を抜かれた。巫まろがその歌詞を歌うか。でも私はそんなところがとっても好きなのである(語彙力ゼロ)。
 巫まろに関してはレディースクリニックや古参LOOPといったMAPAの曲の参加についてもとてもハイクオリティなパフォーマンスをしてくれた。やはり彼女の歌は単純な歌のうまさだけではなく、その歌詞に説得力を持たせる表現力が長けているのだと思い知らされた。

 紫凰ゆすらのA INNOCENCEについても欠かせないだろう。彼女は体の不調が長らく続き、ステージに立つ彼女を見て、「ゆす、緊張しいだからな、かなり緊張してないかな。練習あまりできなかったろうに大丈夫かな」なんて一丁前に心配していたがその心配は杞憂に終わった。声が出る。感情がノる。歌も、アルバムのリリイベやワンマンやツーマンで鍛えたその力を存分に発揮してくれた。

 そして最後は、圧巻の「マジックミラー」だ。これはいけない。全てのファンにとっていけないし、全てのファンにとって求められたであろう「マジックミラー」の全員歌唱。開演しょっぱなの全員のZOC実験室やfamily nameで涙ちょちょ切れっぱなしの私の涙腺がついに完全崩壊した。本当によかったです。

 上記は全て私の推しメンについて抜粋させてもらったが、基本的にどの女の子たちも素晴らしかった。全員が「劇団TOKYOPINK」の役割を全うしており、どの子が欠けても成立しない、そんな公演であり、奇跡だ。

 いつもは、周りを気にしすぎてノリきれなさも否めない私であるが(とはいえ周りへの配慮は大切である)、今回のフェスではしょっぱなからアドレナリン出まくり、我を忘れるくらい無我夢中で音楽に身を委ねることができた。まさか自分の野生がTOKYOPINKによってこんなに剥き出されるものだとは思えず、自分が自分に一番狼狽えたが、物凄く楽しかった。一瞬に感じた幸せな2時間弱をありがとう。全ての歌を作ってくれた大森靖子よ、ありがとう。これからもあなたの聖歌は歌い継がれ、想いもがけないスケールで発信し、私たちの心を射抜くのだろう。

 また射抜かれるのを、静かに呼吸をして、なんとか生き延びながら待っている。また、音楽で会いましょう。

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