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『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』 文庫版出版おめでとうございます。


 本作の特徴は、まず登場する音楽にある。林伸次さんはレコード販売やCDのライナー執筆などのご経験があり、さすが、登場する20曲のチョイスがお洒落だ。サブスクリプションでプレイリストを作って、一曲ずつそれぞれの短編に併せて読むと、まるでコンピレーションアルバムのライナーノーツに書かれた短編小説を読むように楽しむことができる。
 つぎに登場するお酒にある。バーが舞台の小説に出てくるお酒がイマイチでは幻滅だが、そこは林さんのバーテンダーとしての知識とセンスが光る。お酒のうんちくは見事にストーリーとリンクしていて、作品の世界観を作っている。


 だが一番の特徴は、マスターが「恋」を見つめる眼差しにある。そもそも「恋」とは難解だ。うまくいかない方が断然多いし、奇跡的にうまくいっても、タイミングが悪ければ世間体や倫理の逆境を受けるものだ。作中に登場する「恋」もピュアな恋や不倫、悲恋などさまざま。しかし、すべての「恋」はそもそも「人が人に切ないまでに深く想いを寄せる」という尊いものであり、時にその尊さには人間が決めた善悪を超えた美しさがある。この純粋で美しい「恋」に、ただ優しく寄り添ってくれるマスターの眼差しこそ、本作の醍醐味ではないか。
 そういえば林さんご自身も、作中のマスターのように優しく一人ひとりに素直に向き合ってくれる(それはBar Bossaのマスターとしても、そしてnoteやエッセイの書き手としても)。だからきっとBar Bossaで林さんと話したことがある人や林さんの文章を日頃から読んでいる人ほど、この作品は実体験なのではないかと勘違いしてしまうような気がする。

 パンデミックや価値観の変化によって飲酒文化が衰退すれば、バーはなくなるかもしれない。それでもバーのような、なんでも話せる大人がいるお店はなくなって欲しくないな、と読後には感じて仕方なくなってしまう。
 そして、なにげなく始まってなにげなく終わる季節のなかで繰り広げられるストーリーを通して、21世紀前半のバーの香りをしっかりと漂わせる本作は、たとえ人類がバーのない未来を迎えたとしてもきっと読まれ続けられるだろう。


#恋はいつも文庫版解説文 #恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる

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