哀ちゃんになりたい。
「私パス。」「興味ないから。」
『名探偵コナン』で灰原哀がよく使うセリフだが、私も、あのくらい潔く、そして端的に、「NO」を言えるようになりたい、という話だ。
「雇止めに遭った。」の後日談だが、結果的に、私は、契約期間満了を待たずして、その仕事を辞めることとなった。
社会的に望ましいか望ましくないかは置いておいて、私が、これ以上耐えられないと思ったからだ。
その行動自体、後悔はしていないが、一方で、私が耐えきれなくなるまで我慢せず、言いたいことを言えていれば、また違った過程や結果があったのかもしれない、と思うことはある。
例えば、明らかに自分が取れる状況にあるのに、たまたま電話を取れなかった私を、雇い主が責めたとき。
明らかに自分の仕事の範囲外のことを頼まれたとき。
契約更新はしないと言った後、自分が解雇された後の新規事業に関わる作業を頼まれたとき。
「お言葉ですが、ご自分で取ればいいことだと思います。」
「それは私の仕事ではありません。」
「この仕事は、喜んでできないので、他の方にお願いしてください。」
言う機会はいくらでもあったし、これ以外にも言い方はたくさんあったと思う。
だけど、私はそれらをすべて飲み込んでしまった。
いつも、無自覚にやってしまう。
自分では、気付いているのか、いないのか、それすらもよくわからない。
気づいたら、いつの間にやら侵略されていて、もうどこから手を付けていいのかわからないほど、自分自身が追い詰められている状況になっている。
そして、この絶望的に思える状況を打破するには、相手に反撃にして逃げるしか、選択肢は残っていないように感じてしまう。
逃げよう。
そう決めた時点で、相手は自分の中で死んでしまう。
もうどうでもよくなるのだ。
良かったことも、すべて、悪かったことに塗り替えられていく。
そして、話し合う余地も残されない。
これは、私の思考と行動のクセだ。
だから、私も、哀ちゃんのような行動に変えてみればいいのかもしれない。
そう気付いたのは、しばらく経ってからのことだ。
彼女が「私、パス。」と言うように、次、何か、やりたくないことを頼まれたとしたら、それが仕事であったとしても、「無理です。」と言う。
哀ちゃんは、「NO」と言っても、誰にも嫌われていない。
コナン君だって、少年探偵団のみんなだって、阿笠博士だって、彼女はそういうものだと思っているから、別に不思議にも思わない。
気分も害さないし、断る彼女を責めることもない。
「彼女はそういう人だから。」
そう思われれば、こっちのものかもしれない。
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