元銀杏BOYZ・中村明珍✕タルマーリー・渡邉格「元パンクロッカーが田舎に暮らしてみて、今どうなの?!」イベントレポート

ゴーイングステディと銀杏BOYZを聴きながら鬱蒼とした青春時代を過ごしたハダ(@hada_tomohiro)です。

8月26日(日)に鳥取県・智頭町にあるパン&ビール屋さん・タルマーリーで開催された上記トークイベントに参加してきたのでイベントレポートを書いてみました。んもうね、端的に申し上げて最高でした!!

元銀杏BOYZ・中村明珍✕タルマーリー・渡邉格トークイベント「元パンクロッカーが田舎に暮らしてみて、今どうなの?!」


中学、高校、浪人、大学…鬱蒼とした青春時代に狂ったように聴き続けたバンド・銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村さんが目の前に!

CDで聴いた声!映像で観た姿!チャーミングな口元のホクロ!15年以上前から何千回何万回と耳と目から身体に入り続けたエネルギーの実体が目の前に立っています。奇跡。感動。日本発狂。


中村明珍(チン中村)さんは銀杏BOYZを脱退後、奥さまのご実家がある山口・周防大島に移住。農業に取り組まれながら僧侶も兼務されていることは知っていました。

銀杏BOYZファンとしてはもちろん、パンクロックから文字通り畑を変え、田舎で農業に取り組む中村明珍さんのお話を聴いてみたいとタルマーリーへ駆けつけたのでした。


パンクには「無いものは自分でつくる」DIY精神がある!

トークイベントが始まってすぐ、まずテーマでもあるパンクロック話に花が咲きます。

パンクロックの変遷にこそモノづくりの原点がある!という前提のもと、パンクロックのイロハを熱心に説明してくださる中村明珍さんとタルマーリー・渡邉格さん。


パンクロックには商業音楽には存在しない「無いものは自分でつくる」DIY精神があり、作詞・作曲・制作・流通・マーケティング・広告に至るまで、作り手=売り手の構造が成り立っていたとのこと。


セックス・ピストルズ、クラス、マイナー・スレットなど70-80年代のパンクロックを皮切りに話はスタート。

ランシドの前身・オペレーション・アイビーや、白人黒人混成バンド・スペシャルズ(大好き!)、マイブラことマイ・ブラッディ・ヴァレンタインなどにも触れるマニアックさ。

さらに話は日本に移り、スターリン、ブルーハーツ、ハイスタンダードなどの名だたるバンドが築き上げてきたパンクロック界の変遷を丁寧に説明してくださいました。


「俺にもできるじゃん」から始まるパンク・ムーブメント

特に印象的だったのはセックス・ピストルズが起こしたパンク・ムーブメントのお話。

セックス・ピストルズのライブを観たパンクキッズたちの多くが「これだったら俺らにもできるじゃん!」と一斉にパンクバンドを組み始めたそうなんです。
セックス・ピストルズの登場から一気にパンク・ムーブメントが起こった。これは彼らの最大の功績かもしれません。


ムーブメントと言えば、「ムーブメントの起こし方 How to start a movement」という有名なTED動画がありますね。

上半身裸の男が公園で1人で踊り始めたら、2人目のフォロワーが現れ、最後には大運動にまで発展するという動画です。観たことがある人も多いはず。

この動画では、1人目のリーダーが嘲笑されながらでも踊り続けることがムーブメントを起こす最初のきっかけになると説いていますね。


70年代に盛り上がった技巧派ハードロックに対するアンチテーゼとなる、シンプルなロックンロール、わかりやすい反体制的歌詞&ファッションだったからこそ、セックス・ピストルズには圧倒的なパクりやすさ・真似しやすさがあったのかもしれません。


アンチ商業主義では流通しない、だから商業主義と戦う

アンチ商業主義が広く流通せずスケールしないという話は音楽に限らず、本やスポーツ、食品など何にでも起こりうるもの。

ですが、パンクロックにルーツのあるメンバーから構成される銀杏BOYZは、だからこそパンクロックを通して、いかに商業主義に対抗するかを考え続けたというお話が深く心に残りました。

銀杏BOYZはJ-POPといかに戦うかを考え続けたパンクバンドでした
客観的に自分たちの音楽を捉えて、主観的に手を動かしていました

自分たちの音楽をJ-POPだけではなく、世界の音楽の歴史や変遷の中でどういった立ち位置にあるのかを客観的に考え抜いて音作りをし、主観的に実行し続けたとのこと。


銀杏BOYZと言えば、暴れ叫びのたうち回る熱狂的なライブパフォーマンスが印象的なバンドです。身体から溢れ出るドロドロとした「大人になりきれない」エネルギーを音に乗せて吐き出すパンクロック。

その不器用さが大好きでしたが、その裏では圧倒的な音楽知識に裏付けられた音作りと歌詞があり、自分たちが狙うべき場所を明確に位置づけていたようです。


2005年に2枚同時リリースしたアルバム「DOOR」「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」はオリコンアルバムチャート6位と7位にランクインしましたし、2007年にはTBSの報道番組「筑紫哲也 NEWS23」の生放送に出演したんですから(生で観ていました)、パンクバンドとしてJ-POPと真っ向から勝負を仕掛けたという話も頷けます。


自分に制限を与えることで自由に生きられる

自分自身を優柔不断な性格だと説明する中村明珍さんが大切にしているのはあえて自分自身を縛るということ。

そのために自身を制限する方向性に意図的に動いているようでした。

「畑余ってるけど農業やる?」 → (経験はまったくないけど)やる!
「オリーブの木、要る?」 → (本当に要るのかな?でも)要る!!

自由過ぎると選ぶことさえできないからこそ、何かしらで自分を縛る(=制限を与える)ことで、その中で自由さや幸せを見つけるようにしているとのことでした。

周防大島に移住して、農家として暮らしていくと決めたからこそ、「ここでご機嫌に生きていこうと思えた」と笑顔で話してくださいました。


チン中村さん、銀杏BOYZやってて苦しかったですか?

最後に質問する時間が少しあったので(答えにくい質問かなと思いながらも質問しなかったら一生後悔すると)思い切って質問させていただきました。

銀杏BOYZ時代は苦しそうに音楽をやっていた印象でした。
一方で、鬱蒼とした音楽だからこそあれだけの共感を生んだと思います。
でも、ネガティブな要素に生まれる共感は持続性がなくて不健全に感じますが、どう思いますか?


バンドをやっていて辛い瞬間は山程ありました」と正直に答えてくださった中村明珍さん。さらにこんな話を続けてくれました。


親と子の二代で銀杏BOYZを聴いてくれていた親子が周防大島に遊びに来てくれることがありました。
銀杏BOYZの音楽を聴いて引きこもりがちだった息子が部屋から出たと。その御礼を伝えてくれました。
一方で、引きこもらなくなったら銀杏BOYZを聴くことは一切なくなったらしいです(笑)

中村明珍さんが「銀杏BOYZは解決策でもないしゴールでもなかった」と表現されていたのが印象的でした。

「ゴール(=人生の答え)が知りたくて、周防大島で僧侶や農家をやっているのかもしれません」そして「昔も今も悩んでいます」と続けたのでした。


最後に

地域や農業というシーンをサポートしたいんです

とおっしゃる中村明珍さんは、イベント会場のタルマーリーに農業仲間が生産する加工品などをたくさん持ってきてくださっていました。

オイシーフーズ(山口・周防大島)の浮島ひじき、ターンムファーム(兵庫・篠山)のハバネロソースを買わせてもらったので、中村明珍さんの余韻に浸りながら楽しみます。


15年前から銀杏BOYZファンとして、CDを聴き、映像を観て、掲載された雑誌はチェックし、ブログを読み漁り、とすがるように追っかけていましたが、そういった媒体フィルターを通してイメージしていたチン中村さんと、目の前にいる中村明珍さんのズレが全くなかったことが驚きでした。それだけ自分と向き合いながら誠実に生きている証拠なのかもしれません。


鬱蒼とした青春時代にライブハウスや音楽フェスの会場で遠目に見るのではなく、今このタイミングで中村明珍さんにお会いし、お話できたことをとてもうれしく思ったのでした。このnoteも銀杏BOYZを聴きながら書いたのは言うまでもなく。

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