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ファイナルファンタジーⅡ二次創作小説 『野ばらの旗』 第七章 怒闘の風


   一


 あちこちで、色とりどりの花が咲いている。アルテアは、すっかり春だった。
 風が暖かい、とポールは思った。躰は鍛えている。それでも、春の暖かさは心地いい。
 若いころは、そんなことを思いもしなかった。今年で、三十九になる。
 孤児だったポールは、もの心つく前から、盗みで暮らしていた。時には、街道で追い剥ぎをやったこともある。
 十四のころ、盗みをしくじり捕らえられた。殺されそうになったところを、ひとりの男に助けられた。五十過ぎの男で、やはり盗みを生業としていた。
 その男とともに、盗みをして暮らした。男はパラメキア出身と言っていたが、名乗りはしなかった。ポールも名乗らなかったし、訊かれることもなかった。お互いに名も知らず、仕事に関することだけを話す。奇妙な関係だった。
 二人ということもあり、大がかりな仕事もやった。ただ、分け前は男の方がずっと多く、ポールの取り分はわずかなものだった。その代わり、男は忍びの技を教えてくれた。ポールの腕前は格段に上がり、それで取り分が少し増えた。
 貰った金は、酒と女に使った。男の方は、もっと派手に遊んでいた。好みなのだろう、細身の若い女ばかりを、何人か囲っていた。
 そのうちのひとりと、男の眼を盗んで逢うようになった。他人のものが欲しくなるのは、盗っ人の性というやつなのだろうか。
 男はほかにも女を囲っていたから、逢うのは難しくなかった。十九の時だ。女は十六だったが、自分よりもずっと大人びていたような気がする。
 なぜ、まだ十六の女が、五十をいくつも過ぎた男に囲われたままでいるのか。気にはなったが、訊けなかった。
 媾合まぐわいながら、何度も男に組み敷かれているところを想像した。興奮が増すと同時に、どこか残酷な気持ちになるのだ。若さに任せ、何度でも抱いた。女の方も、何回でも、そしてどんな媾合いでも受け入れてくれた。
 ある日ひと仕事終えると、男は久しぶりにその女の家にむかった。ひそかに、ポールは男を尾行た。忍びの技は、男をすでに超えていた。
 女の家に着くと、男はしばらく酒を飲んでいたが、やがて女の服を脱がし、小ぶりの乳房にしゃぶりついた。
 長椅子に座る男に、女が跨った。男が低く呻き、女も喜悦の声をあげはじめた。全身の血が熱くなり、ポールの頭は真っ白になった。
 気がつくと、剣を抜き男の背後に立っていた。無意識のうちに、気配は消していた。男はポールに気づかず、けもののような唸り声をあげていた。
 剣を走らせ、男の首を飛ばした。頭部を失った躰から大量の血が噴き出し、女は頭から血を浴びた。女は一瞬呆けたような顔をしたが、なにが起きたか気づくと叫び声をあげ、床に転げ落ちた。
 女と眼が合った。顔には、恐怖の表情が張りついていた。なぜか、ポールは笑っていた。そして、笑ったまま女の首を刎ねた。
 しばらくの間、首を失った二つの屍体を呆然と眺めていた。
 家をあとにする時も、ポールは笑ったままだった。いくら酒を飲んでも、その日は酔えなかった。
 それから三年で男の蓄えを食い潰し、再び盗みをはじめた。
 狙うのは、パラメキア帝国の人間だ。あの男がパラメキア出身だったから、どこかで意識していたような気がする。ただ、民からは盗まなかった。昔から、パラメキアの民は貧しかった。十六年前に現皇帝のマティウスが即位してからは、軍備増強のため、民にはさらに重税が課されるようになった。
 役人や軍人の権利が大きくなり、不正を行う者も多くいた。不正で私腹を肥やす連中から金品を盗み、余分なものは民にばら撒いた。
 帝国軍の武器庫を焼いたり、兵糧庫を開放したりもした。そのうち、フィンとパラメキア、両方の民から喝采を浴びるようになった。
 やがてポールの名は世界じゅうに知れ渡り、さまざまな種類の人との繋がりもできた。
 ポールのことを義賊と呼ぶ者もいるが、別に民のためにやったわけではない。世の中を、あっと言わせたかった。それに、権力というやつが嫌いだった。それを示すため、フィンやカシュオーンの城に侵入したこともある。
 皮肉なことに、いまはそのフィンやカシュオーンの残党である、叛乱軍の一員である。叛乱軍の参謀であるミンウという男に説得され、やってみようという気になった。忍びの技を使って、なにか大きなことができる。それが面白いと思った。
 いまは、諜報や工作を専門とする、蝙蝠という特殊部隊を束ねている。部隊といっても、まとまって動くことはほとんどない。直属の部下は二十名で、それぞれが敵地に潜入したり、各地に散らばる同志たちから、情報を吸いあげたりしてくる。
 増員もしてはいるが、損耗も激しかった。帝国軍にもやはりそういった闇の部隊がいて、日々暗闘をくり広げている。
 蝙蝠の任務は過酷で、それでいて陽の目を見ることがない。それでも部下たちは、任務になにかを見出し、命を懸けている。
 もともとならず者が多いからか、蝙蝠には軍規が適用されていない。その代わり、掟のようなものがある。ならず者には、ならず者の決まりがあるのだ。掟を破るくらいなら、自ら死を選ぶ。結束力は強かった。
 任務の特性から、蝙蝠の者は、決して敵に捕らえられるわけにはいかない。足手まといとなった者に、ポールはその場で止めを刺したこともある。心の痛みに耐えるうち、肉体的な苦痛など、ほとんど感じなくなっていた。
 かけ声と具足の擦れる音で、ポールの意識は現実に引き戻された。前方から、四列縦隊で兵が駈けてくる。
 つまらないことを思い出していたものだ。舌打ちをしながら、駈けてくる兵を見た。総勢で百名。騎乗しているのは、フリオニールとガイの二人だ。それぞれ、隊の左右に付いている。フリオニールたちがアルテアに帰ってきて、半月になる。
 総司令官であるゴードンの命令で、フリオニールは百人の隊長、ガイはその副官となった。はじめフリオニールは渋っていたが、やると決めたら徹底的に兵を鍛えはじめた。
 いくら実戦の経験が豊富といっても、フリオニールはまだ十七歳で、反撥する兵も当然いた。
 その場には居合わせなかったが、反撥する十名ほどの兵を、フリオニールは一度に叩きのめしたのだという。それで、全員がフリオニールを認めるようになった。
 副官である、ガイの存在も大きかった。ふだんは寡黙だが、頼りになる。やたら兵をどやしつけるフリオニールとは対照的だが、ガイがいるから、フリオニールも心置きなくやれるのだろう。いい組み合わせである。
 ポールの前で、フリオニールが馬を停めた。兵は、ガイの指揮でそのまま宿営地の方へ駈けていく。
「よう、フリオニール。相変わらずやってるな」
「あいつら、体力がないもので。しかし、ポール殿が散歩とは、めずらしいですね」
「春だからな」
 言ってから、ポールは自分の言葉に苦笑した。
「そうだ、ポール殿さえよければ、このあと一緒にめしでもどうですか?」
「いいな。夕方には、司令部に戻る」
「わかりました。それじゃ、またあとで」
 言って、フリオニールは隊の方へ駈けて行った。馬術は人並みというところだが、剣に関しては、間違いなく叛乱軍一だろう。
 フリオニールもガイも、まだ若い。実戦で指揮をすることがあるかはわからないが、きっといい経験になるはずだ。
 気配があった。
「野ばら」
 道端に生えた、一本の木の上にむかって、ポールは言った。気配はそこからだ。
つぼみが、つきました」
 符牒で答えながら、小柄な男が音もなく木から飛び降りてきた。部下のひとりだ。
 符牒の言葉は、しばしば変えている。アルテアは人も増えたが、その分帝国の間諜も入りこみやすくなった。このひと月で、三人を割り出し、処断している。
「報告します。兵に紛れこんだ帝国の間諜をひとり見つけ、捕らえました」
 四人目。心の中で、ポールは呟いた。ほかにもまだ何人かいて、パラメキアへ情報を送っているはずだ。間諜の割り出しは、きりがない上に、神経が摩り減る。
「拷問の準備をしておけ。俺がやる」
「はっ」
 返事をして、部下は眼の前から消えた。ポールも進路を変え、蝙蝠が待機場所として使っている小屋にむかって歩き出した。拷問は、その小屋の地下で行っている。
 拷問には、いつの間にか馴れた。部下の中には拷問をためらう者もいたが、ポールは例外を認めず、全員に手を汚させた。参謀のミンウ自ら、拷問を行ったこともあるのだ。
 目玉を抉り、耳や鼻を削ぎ、手足の爪を剥がし、指を折る。断末魔の、長く尾を引くような絶叫。たちこめる、血や糞尿の匂い。嘔吐する者もいたが、次第に馴れた。馴れなければ、任務はこなせない。そしてまた、自分が拷問を受けることも、覚悟しなければならない。それが、闇の部隊の宿命である。
 風が吹いた。暖かい風だが、心地いいとは思わなかった。どこか、血の生温かさに似ている気がした。
 ポールは歩調を緩めた。フリオニールとの約束には、まだ時間はある。

   二


 男を知らない躰だった。
 それがいまでは、屹立きつりつした一物をくわえながら、己の指で秘処をいじっている。秘処からはとめどなく汁が溢れ出て、敷布に大きな染みを作っていた。
 古の秘法によって作り出した、飲んだ者の心身を淫らに変える秘薬。それを、ヒルダに飲ませていた。薬の効果は、丸一日持続する。
 最初は薬を飲ませることなく、手足を鎖で繋いだ状態で犯した。秘処から流れ出る破瓜の血に、征服の悦びを実感せずにはいられなかった。ヒルダは、眼に涙を浮かべながら苦痛に耐えていたが、それが余計にマティウスの情欲を刺激した。
 行為が終わると、ヒルダの縛めを解き、短剣を渡した。屈辱ならば、死を選ぶのもいいだろうと思ったからだ。しかし、ヒルダは自死を選ぶことなく、逆にその短剣で襲いかかってきた。見あげたものだったが、同時に、とことん犯してやろう、という気にもなった。それからは一日おきに薬を飲ませ、凌辱のかぎりを尽くしている。薬が切れ、われに返ったあとに泣く姿を見るのが、なによりも愉しかった。
 ヒルダは、なおもマティウスの一物を口で愛撫し続けていた。淫靡な音をたてながら、一物は可憐な唇の間を往復している。
 亜麻色の髪を掴み、マティウスは己の一物をヒルダの口から離した。糸を引いた唾液が、一物の先端と、ヒルダの口から垂れた。
「乗れ」
 仰むけになったマティウスに跨り、ヒルダは腰を遣いはじめた。恥毛は意外に濃い。掻き分けた先には、小さな突起がある。それをつまむと、ヒルダは涎を垂らしながら喘ぎ、さらに腰を激しくくねらせた。
 いくら薬が効いているとはいえ、少し前までは生娘だった女が、ここまで乱れるものか。あるいは、これがこの女の本性なのか。考えると、笑いがこみあげてくる。
 本来なら、カシュオーンの王太子、スコットの妃となるはずの女だった。カシュオーンとフィンは、同盟を強化するための政略結婚を進めていた。やがて二国でパラメキアを挟み撃つ、という魂胆だったのは明白だ。その前にカシュオーンを叩き潰し、連合軍をフィンに追い詰めることができた。
 連合軍の中でも、スコットの軍は飛び抜けて精強だった。スコット自身が、当代一の剣の遣い手でもあった。それでも、カシュオーンの将軍であったボーゲンの手引きもあって、スコットの軍を包囲、殲滅できた。
 ボーゲンは、なかなか有能な男だった。分をわきまえていれば、もっと上の地位につけてもよかったが、私欲に走りすぎた。兵をいたぶるのも、軍費を横領するのも、それ自体は構わない。ただ結果として、計画に狂いが生じる。それだけは、許せなかった。
 本国で諜報の部隊を作りあげたあと、ボーゲンは三百の麾下を率いて叛乱軍の独立部隊を追い、サラマンドの北の雪原で死んだ。少し早かった気もするが、充分役に立った。いずれは始末するつもりだったので、手間が省けたとも言える。
 興味深いのは、ダークナイトの行動だ。
 大戦艦が破壊されたあと、自ら降格を願い出てきた。麾下の百騎はそのままに、将校に落としバフスクに送った。本来なら、将軍として万の軍を率いてもいいだけの実力はある。
 驚くべきことに、ダークナイトはまだ二十歳かそこらで、つい半年前までは、軍歴もなかった。
 昨年の九月、制圧したフィンから捕虜が移送されてきた。その中のひとりに、不敵な眼をした男がいた。レオンハルトと名乗る若者だった。民でありながら、百人近い兵を相手にひとりで抵抗し、三十人ほどを斬ったのだという。捕らえるのには、かなりの手間がかかったらしい。
 レオンハルトの眼つきが気に入って、マティウスは問いかけてみた。この世を統べるのに、必要なのはなにか。レオンハルトは、力と答えた。思った通りの答えだったので、縛めを解き、剣を与えた。いまは従うが、いずれは斬る。剣を手に、レオンハルトはにやりと笑って言った。それでいい、とマティウスも言った。そういう者こそ、計画に必要なのだ。
 試しに調練で指揮をやらせてみたが、非凡な才能の持ち主だということがわかった。剣の腕もすさまじく、まともに打ち合える者はいなかった。魔物を斬ることで、レオンハルトはその剣技をさらに磨いていった。
 やがて黒の具足で身をかためたレオンハルトは、ダークナイトと名乗るようになった。たとえスコットが相手でも、ダークナイトなら斬ってみせるだろう。
 参謀に任命し、独立行動権も与えた。バフスクの工廠では、奇襲をかけてきた叛乱軍を、わずかな手勢で殲滅する働きを見せたが、結局大戦艦は破壊された。
 ダークナイトは、戦場に飢えたけもののようなものかもしれない。ちょうどいま、ポフトからバフスクにかけて、叛乱軍の動きが活発になっている。しばらくは、好きにさせておくのもいいだろう。
 徐々に、快楽の波が押し寄せてきた。両手でヒルダの細い腰を掴み、マティウスは腰を突きあげ、したたかに精を放った。
 白眼を剥き、ヒルダが倒れこんできた。しばらく乳を吸い、揉み続けていると、局所に収まったままの一物が、再び怒張してきた。いま三十六歳だが、その気になれば、何度でも媾合うことはできる。ただ、種はないようだ。これまでに何百人もの女を抱いたが、ひとりも孕むことはなかった。したがって、皇后というものもいない。
 見れば見るほど、ヒルダの白い裸身は、芸術品のような美しさだった。しかし、所詮は玩具である。飽きる前に、なにかいい使い途はないだろうか。
 ヒルダの意識が戻り、再び喘ぎはじめた。
 四つん這いにさせ、今度は後ろから貫いた。鋭い叫びとともに、秘処から勢いよく汁が噴き出してきた。

 ダークナイトは、居室で鏡に映る自分の顔を見ていた。兜は脱ぎ、覆面も取っている。
 巨費を投じて開発した大戦艦に、叛乱軍の侵入を許し、破壊された。それが情けなくて、降格を願い出た。いまは、とにかく戦場の空気を感じていたい。バフスクの北では、叛乱軍との小さなぶつかり合いが続いている。
 帝国軍に身を投じて、半年が経つ。軍歴は浅い。それでも、用兵の機微はなんとなくわかった。戦場に出ると、全身を熱い血が駈けめぐり、思考が研ぎ澄まされるのだ。
 麾下を持つことが許されたので、選りすぐった百騎だけの騎馬隊を作った。自分と同じく、装備はすべて黒で統一されている。
 死者が出るほどの激しい調練を重ね、精強な騎馬隊を作りあげた。十倍の兵力であろうと、撃ち破る自信はある。実際、バフスクでは千二百ほどの叛乱軍を殲滅した。あれがはじめての実戦だとは、誰も思わないだろう。ただ、思っていたよりも叛乱軍の騎馬隊はしぶとく、麾下は十七名を失うことになった。
 叛乱軍の指揮官は、ジェイムズと名乗る男だった。熟練した指揮官で、二百の騎馬隊を率いていたが、兵や馬の質にばらつきがあり、そこをうまく突き崩すことができた。最後はただ三騎だけでむかってきたが、侮りはしなかった。首を飛ばした感触は、まだ手に残っている。
 剣にも気迫が籠もった、いい相手だった。あれほどの軍人は、帝国軍にはいない。兵力は乏しいが、叛乱軍には人材が充実している。だからこそ、叛乱軍を相手に闘うのは面白い。
 フィン国王が死に、カシュオーンの王子であったゴードンが、叛乱軍の総司令官となった。臆病者と聞いていたが、自ら大戦艦に乗りこんできた。剣技も、まだまだ甘さはあるものの、いい筋をしている。愉しみすぎてしまったために仕留め損なったが、いずれまた闘うこともあるだろう。その時は、遊び抜きで仕留める。
 フリオニールと、ガイの姿を見た時は驚いた。
 叛乱軍に加わったかもしれない、という気はしていた。しかし、軍中でも噂になっている、独立行動をとる小部隊にいるとは、夢にも思わなかった。手練れ揃いとはいえ、たかだか四、五人の部隊に、帝国軍は翻弄され続けている。
 二人とも、相当腕を上げていた。おそらくは、マリアも志願して闘っているのだろう。そういう性格の女だ。
 あの場にマリアがいなくてよかった、とつくづく思う。マリアだったら、自分の正体に気づいたかもしれない。事情を説明する気などないが、正体を知られれば面倒だ。なるべくなら、妹を斬りたくない。しかし、フリオニールとガイは別だ。いつかまた、闘いたい。そして、今度会った時は斬る。二人は友であり、フリオニールとは義兄弟でもあったが、それは過去の話だ。いまは敵、それも全身の血を熱くさせる、強敵だ。
 知らず知らずのうちに、強敵と闘うことに悦びを覚えるようになっていた。女との交合でも、これほどの快楽は得られない。だから、戦はやめられないという気もする。
 マティウスは、戦というより、どこか殺戮そのものを愉しんでいるふしがある。本気で世界を手中にしたいのなら、大戦艦などを開発しなくとも、兵力を活かして一気に侵攻することができたはずだ。莫大な費用があれば、兵站の問題も解決できた。それをしなかったのは、やはりマティウスには、なにか思惑があるからなのだろう。
 捕虜として移送される間、さまざまなことを考えた。パラメキアの民の窮状も見た。マティウスの頭の中には、まともに政事をしようという考えはないようだ。しかし、誰もがその強大な魔力に恐怖し、逆らうことができないでいる。
 ただ、世界を一国が支配すること自体は悪くない。
 まずは武力で世界を統一し、その後、息のかかった軍を率いて、マティウスを討つ。政事に興味はないが、それが最も犠牲を出さずに世界を治める方法だ、という気がする。しかし、叛乱軍は多くの犠牲を出しつつも息を吹き返し、さらに力をつけてきた。
 マティウスを倒すため、いまからでも帝国軍を離反し、叛乱軍に合流した方がいいのか。考えたが、いまさら後戻りなどできない。あくまで、自分のやり方を貫いてみせる。叛乱軍が降伏しないのなら、それでいい。思う存分騎馬で駈け、強敵と剣を交えることができる。
 扉を叩く音がした。部下が報告に来たのだろう。
「ダークナイト様。出動の準備が完了しました」
「わかった。すぐに行く」
 覆面を着け、兜を被った。いまの自分は、レオンハルトではなく、ダークナイトなのだ。これまでに、数え切れないほどの敵を斬った。そしてその数は、これからも増えていく。
 剣を佩き、外へ出た。百名の麾下は、下馬の状態で整列している。
 バフスクでの欠員は新たに補充し、鍛えあげていた。以前からの麾下と較べても、練度に遜色はない。
 号令で全員が騎乗し、進発した。すぐ後ろを、旗手が続く。黒い獅子の旗。いつかこの旗を、パラメキア城に掲げてみせる。
 ダークナイトが騎乗しているのは、飛影と名づけた黒い馬だ。太腿にわずかに力を籠めた。それで意思は通じ、飛影は駈け出した。六分の力というところだ。飛影が本気で駈ければ、追いつける馬はいない。
 麾下の百騎は、隊列を崩すことなく、ぴたりとついてくる。   

   三


 パラメキア帝国から、使者が来た。
 会談に応じればヒルダを解放する、という内容の話だったが、総司令官であるゴードンと、独立行動をとる小部隊の参加、という条件が付けられていた。
 スティーヴやミンウのような重臣ではなく、独立行動をとる小部隊、つまり自分たちの参加を指定してきたところに、なにか策謀の匂いを感じる。セミテの山塞を攻略し、大戦艦を破壊した部隊を、マティウスは自分自身の眼で見たいのかもしれない。
 会議が開かれたが、結論はすぐに出て、帝国側の条件を受け入れることにした。たとえ罠が張られていたとしても、ヒルダ救出の機を逃すべきでない、というのが司令部の総意である。軍権がゴードンに移っても、やはりヒルダは叛乱軍の象徴であり、心の拠りどころとして必要な人物なのだ。
 二日後には旅仕度を整え、出立した。ひそかに、ポールが先行していた。罠の可能性が否定できない以上、あらゆる手を打っておくべきである。
 北上し、フィンの西を抜け、パラメキア砂漠を越えた。
 砂漠の旅は、想像を絶するものがあった。
 日中は、暑さとのどの渇き、夜は反対に、凍えるような寒さに苦しめられた。
 昼間はどこへ潜んでいるのか、夜には魔物も現れ、気の休まる時はなかった。いたるところに、人間や魔物の骨が散らばってもいた。
 パラメキアの城下町へ到着したのは、アルテアを経って二十日目だった。
 兵役のためか男の姿はあまりなく、女や子供、年寄りばかりだった。みな痩せこけ、骨に皮が張りついているといった躰で、眼だけが異様にぎらついていた。案内役の男は、民にはまったく関心を払わなかった。多分、パラメキアではこれが当たり前の光景なのだろう。
 話には聞いていたが、パラメキアの民がここまで苦しい状態だとは、思ってもいなかった。彼らを見て、敵だという気持ちは湧いてこなかった。皇帝のマティウスひとりが、この国を、そして世界を乱しているのではないか。疲弊した国を放置し、ただ他国へ攻め、富を奪っている。政事はよくわからないが、マティウスが民の暮らしのことなど考えていないことは確かである。ほかのみんなも、やはり同様の気持ちを抱いているようだった。
 三日をかけて山を登り、パラメキア城へ到達した。
 山頂に築かれたこの城を攻めるのは、至難の業だろう。砂漠を越えるだけでも、軍はかなり疲弊する。砂漠を越えたあとも、防御に適した地形がいくつかあり、そこで迎撃される可能性は高い。城までたどり着いたとしても、陥すのは無理だろう。城攻めには、少なくとも守備側の三倍の兵力が必要なのだ、とゴードンは言っていた。
 もっとも、帝国軍はひたすら他国に侵攻するのみで、自国を守るということは一切考えていないように思える。民のことを無視すれば、確かに守る必要はない。城さえ陥ちなければ、それでいいのだろう。
 大広間へ案内された。会談の用意は整っているようだ。武器を取りあげられると思ったが、それはなかった。
 扉が開けられた瞬間、部屋から冷気のようなものが漂ってきた。一瞬ためらって、フリオニールは部屋に足を踏み入れた。
 部屋に入ると、冷気はいっそう強くなった。右側だ。恐る恐る、フリオニールは冷気の漂ってくる方をむいた。
 眼が合った瞬間、心臓が凍りついたような気がした。マティウス。直感でわかった。白に近い、金色の長い髪。生気を感じさせない、青白い肌。長卓のむこうで頬杖を突き、薄い唇の端に酷薄そうな笑みを浮かべ、こちらを見ている。
 眼をそらすつもりはなかった、というより、できなかった。なぜかはわからないが、指一本動かすことができない。これも、マティウスの魔力なのか。まるで、蛇に睨まれた蛙だった。
 視線をはずしたのは、マティウスの方だった。それで、ようやく躰が動くようになった。横眼でゴードンたちの方を見ると、やはり硬直していた。
「掛けたまえ」
 声にすら冷気があるのか、思わず背筋がふるえた。気を呑まれただけだ。自分に言い聞かせながら、ぎこちない動作で椅子に座った。マティウスの背後には、二十人ほどの護衛の兵が、彫像のように微動だにせず立っている。いずれも、手練れのようだ。
「はじめまして、叛乱軍の諸君。私が、パラメキア皇帝マティウスだ。遠路はるばる、よく来てくれた。砂漠の旅は、つらかったのではないかね?」
「それほどでもなかったぜ。まあ、のどはしょっちゅう渇いたけどな」
 マティウスに対して、恐怖を覚えていた。強気な喋り方は、その裏返しだ。わかっていても、言葉は止まらなかった。背中を、冷たい汗が伝っていった。
「君の名は?」
「フリオニール。ほかの連中も紹介しようか。ゴードンは知っているな。その隣りがガイ。そしてマリアだ」
「驚いたよ。みんなまだ若者じゃないか。その長剣が、君の得物か。なるほど、なかなかに遣いそうだ」
「なんなら、味わってみるか?」
 無理だというのは、わかっていた。長卓の端から端までは、かなり距離がある。マティウスに斬りかかる前に、護衛の兵に阻まれる。それ以前に、魔法を食らうかもしれない。どれほどの魔力を持っているかはわからないが、底知れぬ恐ろしさがあるのは確かだ。考えながら、フリオニールは少しずつ冷静さを取り戻していった。
「やめろ、フリオニール。私たちは、話し合いに来たのだ」
 かすかに、ゴードンの声は上ずっていた。膝の上で、拳を握りしめている。緊張しながらも、ゴードンは威容を保とうとしていた。
「ゴードンの言う通りだな。私たちは、話し合うためにここに集まった」
「貴様はただ待っていただけだろう、マティウス」
「言ってくれるじゃないか、ゴードン。まあ、確かにその通りなのだが」
 マティウスは、口の端に微笑を浮かべたままだった。ただ、眼は別だ。なにを考えているのかわからない。そして、眼が合うと引きこまれそうな気がしてしまう。
「ヒルダ殿は、無事なのだろうな?」
「相変わらず、美しい。いや、ここに来てから、美しさにはさらに磨きがかかったような気がするよ」
 はじめて、マティウスの表情が動いた。不気味な笑みだった。ヒルダがどんな目に遭ったか、それでなんとなくわかった。余計な考えは、すぐに頭から追い出した。
「マティウス、貴様」
「どうした、ゴードン。今度は、君の方が冷静を欠いている。なるほど、恋か。兄嫁になるはずだった女に、君は恋をしている。違うか?」
「黙れ。とにかくヒルダ殿を返せ。私たちは、そのために来たのだ」
 めずらしく、ゴードンが語気を荒げた。ゴードンは、ヒルダに想いを寄せている。なんとなく、そんな気はしていた。男と女だ。別に、悪いことではないと思う。フリオニール自身は、あまり男女のことについては考えないようにしていた。
「女を想う力が、臆病者を勇者へ変えたというわけか。勿論、約束通りヒルダは返す。ただし、条件がひとつある」
「会談に応じれば返す。確か、そういう話だったよな」
「そうだ、フリオニール。ただ、私にはどうも信じられない。君たちのような若者だけで、わが軍を翻弄し、大戦艦まで破壊したというのがね。その強さが本物だというのなら、私に見せて欲しいのだよ」
「やり合おうってのかよ。上等だぜ」
「血気盛んだな。話は、最後まで聞いて欲しい。月に一度、城下町で闘技会が開かれる。今月の開催は、四日後だ。それに出て、君たちの力を実証して貰いたい」
「貴様の座興に付き合えというのか。ふざけるな」
「ずいぶんな言い草だな、ゴードン。闘技会は、民のために用意した娯楽だ」
「娯楽の前に、まともな政事をしたらどうだ。民は、苦しんでいるではないか。疲弊した国を建て直すため、無駄な戦をやめ、内政に専念すべきではないのか」
「いまここで、政事について語るつもりはない。戦も、無駄ではない。パラメキアの国土は砂漠と山ばかりで、生産力が乏しい。だから、豊かな土地を攻め取るのだ。それに、こちらから打って出なければ、いまごろわが国は、フィンとカシュオーンの連合軍から挟撃を受け、攻め滅ぼされていたかもしれないのだ」
「フィンとカシュオーンで、パラメキアを挟撃していただと?」
「同盟強化のため、両国はスコットとヒルダの政略結婚を進めていたではないか。違うとは言い切れまい。第一、戦に正義も悪もない。それは、君にもわかるだろう?」
 拳を握りしめたまま、ゴードンはうつむいていた。マティウスの言ったことすべてが事実かはわからないが、戦に正義なんてものはない、それは確かだ。
「だからといって、無抵抗の民を殺すのは、許されることではないと思うわ。わたしの両親も、帝国軍に殺された。わたしは、帝国軍を、いえ、こんな馬鹿げた戦を起こしたあなたを、絶対に許さない」
「気丈な娘だな。なるほど、魔法を遣うか。しかも、潜在能力はかなり高そうだ。ミンウの弟子といったところかな」
 言って、マティウスがにやりと笑った。どうもこの男の笑みは、生理的に受けつけない。
 ミンウからは、ミシディアに入ったという連絡が、一度だけあった。それからは、帝国軍に悟られぬよう、あえて接触を避けているらしい。究極の秘法アルテマ。ただの言い伝えかもしれないが、まともに戦をしても勝てないいまの状況では、あらゆる手段を試すしかない。アルテマ入手は、ミンウひとりに懸かっている。
「ダークナイトは、ここにはいないのかよ?」
 フリオニールは話題を変えた。マティウスの笑みが気に食わなかったし、もしかしたら、ダークナイトに会えるかも、という思いもあった。あの男とは、いつか必ず決着をつけなければならない。
「好敵手、というやつかな。もっとも、いまの君では、彼には到底かなわないと思うが。まあ、ここにはいない、とだけ言っておこう」
「闘技会とやらで、実力を見せてやるよ」
「それでいい。さて、今日はこのへんにしておこうか。部屋は用意してある。寝首を掻くような真似はしないから、安心して休みたまえ」
 一方的に話を切りあげると、マティウスは音もなく席を立った。ゴードンがなにか言いかけたが、無視して大広間を出ていった。
 マティウスが出て行ったあとも、大広間には、わずかだがまだ冷気が漂っていた。 

 部屋は、男女別々にきちんと二つ用意された。この部屋には、男三人が寝ることになる。
 フリオニールは、窓辺で葡萄酒を飲んでいた。葡萄は、ほんのわずかだが山地で栽培しているそうだ。フィンのものとはまた違った味わいがあり、意外にうまかった。めしの方はあまりうまくはなかったが、腹は膨れた。
 まだ夕方だが、外はすっかり暗くなっていた。城下町の方にはほとんど明かりがなく、どこか寂しい風景だ。フィンの夜は、朝までやっている店もあり、賑やかだった。寝るにはまだ早い時間だが、ガイは、葡萄酒を一杯だけ飲むと、いびきをかいて寝てしまった。
 ゴードンは、フリオニールの横で、ぼんやりと城下町の方を眺めていた。葡萄酒の杯には、まったく口をつけていない。
「大丈夫さ、ゴードン。闘技会で俺たちの力を見せれば、ヒルダ様は返して貰える約束だ。さすがに、反故にされることはないだろう」
「そうだな。それにしても、マティウスは恐ろしかった。眼が合うと、金縛りに遭ったように動けなくなったし、会談の間じゅう、ずっと膝がふるえてもいた。おまえは、やつが恐ろしくはなかったのか?」
「おまえと同じさ。俺だって、こわかった。こわいから、ついでかい口を叩いちまう。そしていまは、酒をあおってる」
「私は、とても飲む気にはなれん」
「好きにするさ。おっと、もう空になっちまった。おまえの分、貰ってもいいか?」
「勿論だとも。そうだ、フリオニール。その瓶を、卓に置いてくれないか」
 フリオニールは、言われた通りに、葡萄酒の入っていた硝子の瓶を卓に置いた。その瞬間、ゴードンが剣を鞘走らせ、横に薙いだ。剣を鞘に納めると、少し間があってから、瓶の首の部分がぽとりと落ちた。鋭い抜き撃ちの技だ。
「いま、私は心に潜む恐怖を振り払った。もう、やつを恐れたりはしない。そして、私は叛乱軍のためでも、兄やヒルダ殿のためでもなく、自分のために、マティウスを、倒す」
「おまえは充分に強いよ、ゴードン。俺も、酒を飲んでる場合じゃないな。でもこいつ、意外にうまいぜ。まあ、フィンほどじゃないけどな」
「大丈夫だ、フリオニール。私と違って、おまえは、酒には溺れない」
 言って、ゴードンが笑った。フリオニールも笑って、葡萄酒を一気に飲み干した。
 しばらくの間、二人で夜空を見ていた。
 山頂ということもあり、あたりは静かだった。聞こえるのは、ガイの鼾だけだ。

   四


 山を降り、町に着いてからは、一日の余裕があった。
 行動を制限されたので、町を見て回ることはできなかった。躰を動かすため、夕方少し外に出ただけだ。なにかを言い含められているのか、宿で働く者ともほとんど口を利くことはなかったが、フリオニールやガイはあまり気にするふうでもなかった。
 翌日の昼過ぎに、町の東にある闘技場へ案内された。円形で、かなり大きな作りだ。
 正面の門から中へ入った。全員が中へ入ると、すぐに門は閉ざされた。
 ゴードンは周囲を見回した。広さは、アルテアの練兵場くらいか。三層から成る客席には数千人を収容できそうだが、観客の姿はひとりも見当たらない。
 正面奥に、特別に設えた席があった。数百の兵に囲まれ、マティウスが座っていた。隣りには、女が座っている。遠間からでも、ヒルダだとわかった。表情まではわからないが、ともかく生きている。いまは、それを確認できただけでよかった。
「望み通り来たぞ、マティウス。しかし、これはどういうことだ。観客の姿がない上に、おまえのまわりには、護衛というには多すぎるほどの兵がいる。それとも、闘技会というのは偽りで、最初からここでわれらを討とうという魂胆だったのか?」
「待っていたよ。勿論、君たちにはこれから闘って貰う。しかし、今日は特別な趣向を用意していてね。したがって、観客もいない」
「まさか、そこの兵全員と闘えっていうんじゃないだろうな。まあ、相手にとって不足はないけどな」
「面白い冗談だ、フリオニール。安心したまえ。君たちの相手は、ちゃんと用意してある。魔界から召喚したわがしもべ、ベヒーモスだ」
 マティウスの合図で奥の大門が開けられると、黒い巨大なけものが姿を現した。かたちは牛のようだが、象よりも大きい。顔は獅子のようだが、赤く光る両眼と、頭部に生えた二本のねじれた角が、より兇暴性を感じさせる。空にむかって咆哮をあげると、周囲の空気がびりびりと痺れた。
「すげえ化け物が出てきやがった。これまでの魔物とは、格が違うな」
 こめかみを拭いながら、フリオニールが言った。
「どうやら、喜んでいただけたようだな。さあ、存分に闘うがいい」
 マティウスが言い終わらないうちに、ベヒーモスと呼ばれた魔物が突進してきた。散開し、突進をかわす。剣は抜いていた。しかし、攻撃の糸口を見つけられない。ベヒーモスは壁に激突し、衝撃で闘技場が揺れた。
「どう闘う、フリオニール?」
「さあな。とりあえず、踏み潰されないようにするさ」
「また来るぞ」
 ガイが叫んだ。土煙をあげながら、ベヒーモスが突進してくる。顎を引き、角の先端をぴたりとこちらにつけている。ひっかけられただけでも致命傷だろう。ゴードンは息を吐き、余裕を持って突進をかわした。二度の突進で、場内には土煙があがっていた。突進をかわすのは難しくない。しかし、何度も走り回られると、やがて土煙で視界が悪くなり、それもままならなくなる。そうなる前に、決着をつけたい。どこかで、攻撃に転じなければ。
 ベヒーモスは壁にぶつかる前に反転し、今度はフリオニールの方をむいた。
 動きかけた時、なにかが空を切った。ベヒーモスの脚が止まり、空にむかって雄叫びをあげた。再び、空を切る音がした。矢。マリアだ。三本を同時に射たようだ。二本は角で弾かれたが、一本が口の脇に刺さった。はじめに当たったものだろう、右の眼には二本の矢が刺さり、潰れていた。続いてマリアは魔法を放とうとしたが、すぐにベヒーモスは動き出した。突進の勢いは衰えない。しかも、さっきまでのような直線的な動きではなく、壁に沿って円を描くように走りはじめた。いけると思ったが、やはりそう甘くはないようだ。
 四人で中心の方へ寄ると、今度は闘技場を突っ切るように、真っ直ぐこちらへむかってきた。散開してかわす。三人の位置が確認できない。土煙で、すっかり視界が利かなくなっていた。壁を背にしようと思ったが、それはやめた。ベヒーモスと壁の間に挟まれれば、確実に圧死する。なにかがぶつかるような音が聞こえたが、この状況では、なにが起きたかわからない。
「フリオニール、無事か?」
「角にかけられたが、うまく背中に張りついた。剣は落としちまったけどな」
 声の様子からすると、怪我はないようだ。フリオニールは確か短剣も持っていたはずだが、急所を狙わないかぎり、大して効きはしないだろう。
 ベヒーモスの足音が近づいてくる。声を頼りにむかってきたのか。見えた。横に跳んだ。衝撃。見切りを誤った。ゴードンの躰は、撥ね飛ばされていた。壁に叩きつけられ、地面に落ちた。起きあがって脚を踏ん張ると、脇腹に痛みが走り、息が詰まった。肋骨をやられたようだ。歯を食いしばると、口の中で砂が鳴った。
「ゴードン」
 女の声だ。見あげると、ヒルダが立ちあがりこちらを覗きこんでいた。正面奥の壁。ゴードンは自分の位置を把握した。このあたりは、土煙が少ない。
 ヒルダはすっかりやつれていたが、それがかえってなまめかしくもあった。どんな仕打ちを受けたかは想像したくないが、ともかく生きてまた逢えた。ゴードンは、ヒルダに微笑みかけた。
「約束通り、助けに来た。もう少し、待っていてくれ」
 ヒルダの瞳から、涙がこぼれ落ちた。ゴードンは、笑ったまま頷いてみせた。
 隣りの席には、マティウスが無表情で座っていた。眼が合ったが、もう恐怖は感じなかった。
 視界の端で、炎があがった。マリアの魔法か。フリオニールは、まだベヒーモスの背中に張りついているのだろうか。
 早く、闘いに戻らなければ。もう一度ヒルダに笑いかけ、ゴードンは駈け出した。

 暴れたベヒーモスに、振り落とされた。
 そのまま地面を転がり、フリオニールは、服に燃え移った炎を消した。
 マリアの魔法で、ベヒーモスの頭部付近に炎が炸裂した。振り落とされる寸前に、短剣で肩のあたりを突き刺したが、大して効いてはいないようだ。
 しばらく走り回ったあと、ベヒーモスは頭から壁に突っこんだ。それで、炎は消えるだろう。思ったより、賢いのかもしれない。あたりには、土煙と、肉の焼け焦げる臭いが充満していた。
 フリオニールは、突進を食らった時に落とした剣を見つけ、拾った。
 土煙で視界が利かなくなり、突進を完全には見切れなかった。角にかけられたが、その勢いを利用して、背中に飛び乗った。もう少しずれていれば、どてっ腹に角が刺さっていただろう。ミスリルの具足など、あの魔物に対してはそれほど意味がない気もする。
 むかってくる。転がってかわした。前方に、人影が見えた。マリアだ。右腕から、おびただしい量の血が流れている。左手を翳し、回復の魔法で処置していた。
「おい、マリア」
「角にひっかかったの。大丈夫。ただ、弓は引けないかも」
 口の端を歪めながら、マリアは笑ってみせた。弱音を吐くような女ではない。しかし、傷口は魔法で塞ぐことができても、完全に治るわけではないし、失った血も戻らない。
「無理はするな」
 マリアが、力強く頷いた。ゴードンだったら、もっと気の利いた言葉をかけるのかもしれないが、自分にはできないし、性に合わない。命に代えても守る。その覚悟さえあれば、言葉なんてどうでもいい。
「フリオニール」
 後ろから、ガイの声がした。
「無事か、ガイ」
「一ヵ所にかたまると危ない。散るぞ」
 ベヒーモスが、また突進してきた。魔法が効いたのか、突進の速度は、かなり鈍くなっていた。右側に跳んでかわしながら、人間の胴ほどはある前脚を斬りつけた。浅い。皮膚が硬いせいもある。鉄の剣では、傷をつけるのすら難しいかもしれない。
 苦しそうな叫びをあげ、ベヒーモスが膝をついた。反対側に避けたガイが、眼で合図してきた。ガイの膂力と斧なら、より深い傷を負わせることができるはずだ。
「やったのか?」
 ゴードンが走ってきた。汗と土で、顔は真っ黒だった。自分の顔も、似たようなものかもしれない。
「まだ、仕留めたわけじゃない。油断するな」
 ベヒーモスが躰を起こし、こちらをむいた。頭部は焼けただれ、片方の角が中ほどで折れていた。右脚からは、大量の血が噴き出ている。低く唸り、頭を左右に振りながらよろよろと歩いてくる。
「回りこめ。角に気をつけろ」
 返事をしながら、ゴードンが駈け出した。ガイも、すでに動いていた。ガイが、右の後ろ脚に斧を叩きつけた。ベヒーモスが体勢を崩す。そこへ、ゴードンが斬りかかった。前脚を斬りあげ、勢いをつけ飛びあがると、今度は首の後ろの方へ剣を見舞ったが、着地したところを、角で弾き飛ばされた。舌打ちしながら、フリオニールも突っこんだ。ゴードンが起きあがり、再び突っこんでいく。苦しそうな表情だ。
「どこか痛めたか?」
「ああ。さっき、肋骨をやられた」
「慌てるな。勝ちは見えてる」
 顔を歪めながら、ゴードンが頷いた。前方では、ガイがさらに数発、右の後ろ脚に斧を叩きこんでいた。ベヒーモスが倒れると、衝撃で闘技場が揺れた。腹が剥き出しになったが、蹴られる恐れがある。ゴードンと二人で背中側に回りこみ、首の後ろあたりを突きまくった。
 ベヒーモスの声が、次第に弱々しくなっていく。胸がむかつくのをこらえながら剣を遣っていると、ガイが来て、首の骨の上から、一気に斧を振り降ろした。
 一度大きく痙攣すると、それきりベヒーモスは動かなくなった。  

   五


 闘技場の、ちょうど真ん中あたりだった。土煙は、もうほとんど晴れている。
 ベヒーモスの屍体を横眼に、ゴードンは呼吸を整えた。息を吸うと、脇腹に痛みが走る。具足は、返り血と土でひどく汚れていた。
「見ての通りだ。ヒルダ殿を、返して貰おうか」
 声を張りあげると、やはり脇腹が痛んだ。
「なるほど。少々、君たちを見くびっていたようだ。いいだろう。約束通り、ヒルダは返す。ここまで、迎えに来るのだな」
 マティウスは、相変わらず無表情だった。
「大丈夫か、ゴードン?」
「ああ。大丈夫だ」
 フリオニールに頷いてみせると、ゴードンはゆっくりと正面奥にむかって歩いた。ベヒーモスが入ってきた大門は閉じられていて、周囲には階段も見当たらない。ヒルダがこちら側へ来るには、客席から飛び降りるしかないようだ。
 ヒルダが席を立ち、手前の方まで来た。ゴードンは、ヒルダに手を差し伸べた。
「さあ、受け止めるから、思い切って飛ぶんだ」
 頷いて、ヒルダが飛びこんできた。脚を踏ん張って、抱きとめた。脇腹が痛んだが、ヒルダの躰の重みは心地よかった。
 ゆっくりと、ゴードンはヒルダを地面に降ろした。
「すまない。服が汚れてしまった」
「いいのよ。服の汚れくらい、なんでもないわ」
 ヒルダの頬を、涙が伝った。ゴードンは、ヒルダの肩からそっと手を離し、マティウスの方を見あげた。眼が合うと、マティウスはにやりと笑った。
 ゴードンの中で、なにかが弾けた。剣を抜き、跳躍して客席へ躍りこんだ。マティウス。叫びながら斬りかかった。マティウスの右手の杖が輝いた。魔法。躰が宙に浮き、闘技場内まで吹っ飛ばされた。胸が苦しい。のたうち回りながら、ゴードンは大量の吐瀉物を撒き散らした。
「どういうつもりかな、ゴードン。こちらは約束を守ったというのに」
 よろめきながらも立ちあがり、ゴードンはマティウスを睨めつけた。ヒルダが駈け寄ってきて、躰を支えてくれた。
「降りてこい、マティウス。いまこの場で、貴様を殺す」
「やれやれ。叛乱軍の総司令官は、話のわからない男のようだ」
「貴様の座興には付き合った。今度は、貴様が私との勝負に付き合って貰う」
「ヒルダへの愛と、私への怒りが、君の力の源というわけか。いいぞ、私をもっと憎め。ヒルダの純潔を奪った、この私を」
「黙れ。これ以上の無駄口を叩けぬよう、いますぐ、その首を打ち落としてやる」
「勇敢なのは結構だが、もう少し君は、自分の実力を知った方がいい。さっきの魔法も、加減していなければ、確実に死んでいたよ」
「首だけになっても、貴様ののどに食らいついてみせる」
「面白いな。やってみるがいい」 
 駈け出そうとしたところで、肩を掴まれた。フリオニールだ。
「やめろ、ゴードン。いまこの場で、あいつを仕留めるのは無理だ」
「しかし」
「ヒルダ様は救出したんだ。ここは、引き退がるべきだ」
 ガイとマリアの方を見た。眼が合って、二人が頷く。ヒルダはうつむいたまま、ゴードンの外套の端を、ぎゅっと握りしめていた。
「聞こえるか、マティウス」
「聞こえるよ、フリオニール」
「総司令官に代わって、俺が話す。さきほどは、ゴードンが失礼した。ヒルダ様を解放して貰ったことに、感謝する」
「約束を果たしたまでだ。違うか?」
「その通りだ。そして、俺たちも、そちらの要求通り闘った。これをもって、帰らせて貰いたい」
「いいだろう。ただし、ゴードンだけは残って貰おうか」
「どういうことだ?」
「首だけになっても、私ののどに食らいつくそうじゃないか。ぜひ、見てみたいものだ」
「挑発に乗っただけだ。勘弁して欲しい」
「いまから、ここにいる五百の親衛隊が、ゴードンを攻撃する。悪いことは言わない。巻き添えを食う前に、ゴードンを置いて帰るのだな」
 マティウスのまわりをかためていた兵が、次々と闘技場内に降り、陣形を組みはじめた。
「くそっ、汚い野郎だ」
「もういい、フリオニール。たとえひとりでも、私は闘ってみせるさ」
「以前、アルテアでおまえは俺に言ったよな。雄々しく死のうとは思うな、と。憶えているか、ゴードン?」
「ああ、憶えているさ。友を失いたくない、とも言った」
「同じことを、俺も思っている。一緒に、生きてアルテアへ帰るぞ」
「わかったよ、フリオニール」
 ゴードンが頷くと、フリオニールは一度息をついて、マティウスの方を見あげた。
「悪いが、ゴードンを置いていくわけにはいかない。全員で、帰らせて貰うぞ」
「言葉の意味はわかっているな、フリオニール?」
「そのつもりだ」
「つくづく面白いな、君たちは。しかし、侮りはしないよ」
 マティウスが左手を挙げると、三百ほどが横と後ろに回りこんできた。完全に包囲されたかたちだ。ゴードンは、フリオニールとともに、ヒルダを庇いながらゆっくりと後退した。
「すまない、みんな」
「いいから、おまえはヒルダ様を守れ。そのためにこそ、命を張ってみせろ」
「そうだな」
「さあ、この包囲を抜けてみせよ」
 マティウスが左手を振り降ろすと、敵が一斉に動き出した。同時に、後方で爆発が起きた。ふり返ると、門が破られていた。爆発には、何人かの敵も巻きこまれたようだ。
「まったく、無茶な真似ばかりしやがって。おかげで、俺の仕事はいつまで経っても減りゃしねえ」
 声の方を見ると、どこから現れたのか、帝国軍の具足を着けたポールが、ベヒーモスの頭部に腰かけていた。両手には、導火線に火のついた焙烙玉を持っている。
「ポール殿。いつ来てくれるか、不安でしたよ」
「そんな科白せりふが吐けるようなら、まだ余裕だな、フリオニール。とりあえず門は開けましたぜ、ゴードン様。とっととずらかるとしましょう」
「よし、行くぞ」
 全員で駈け出した。門に辿り着くまでには、およそ三百の敵を突破しなければならない。マリアが魔法を放ったところへ、ガイが双斧を振り回しながら突っこみ、進路を切り開いていく。後方で、焙烙玉が爆発した。後方の敵は、ポールとフリオニールが食い止めている。おかげで、ゴードンはほとんど敵と斬り合うことなく、ヒルダを守ることに専念できた。
 門までは、それほど遠くない。しかし、敵の攻撃が強烈で、なかなか前に進むことができなかった。親衛隊。皇帝を警護するだけあって、精強だ。数も多い。さすがのガイも、手傷を負って苦しそうだった。
 ガイの脚が止まった。門まではあと少しだが、まったく進めなくなった。マリアは消耗しきって、もう魔法を遣えないようだ。
 ゴードンのところにも、敵が殺到してきた。ヒルダを後ろに隠し、右手だけで剣を遣った。ポールの焙烙玉も尽きたようだ。短剣を遣って、敵を斃している。マリアとヒルダを囲むように、四人で円陣を組んだ。
「こりゃ、やべえな」
「なにか策はないんですか、ポール殿?」
「あるもんか。町の外で、シドが拾ってくれる手筈になっちゃいるが、そこまでは自力で行くしかねえよ」
 息があがっていた。動きが乱雑になっているのが、自分でもわかる。捌くのが精一杯で、仕留めきれない。槍が厄介だった。斬り合っているところを、死角からいきなり突いてくる。特にガイは躰が大きいだけに、集中して狙われていた。四人のうち、誰かひとりがやられれば、すぐに全滅するだろう。そして、最初に死ぬのは、おそらく自分だ。
 朦朧としながら闘っていると、不意に、圧力が弱くなった。同時に、馬蹄の響きと、喊声が聞こえたような気がした。
 門の方から、数十騎が敵を突破してきた。見憶えのある者が何人かいた。叛乱軍の兵。それも、フリオニールの部下たちだ。
「おい、おまえたち。これはいったい、どういうことだ?」
 フリオニールが、先頭の兵に訊いた。
「ヒルダ様を救出すると聞いて、いても立ってもいられず、来ちまいましたよ」
「半数近くは砂漠で脱落したが、どうやら役に立てそうだな」
「退路は確保しました。俺たちが敵を食い止めているうちに、脱出してください」
「俺たち、隊長にはいつも怒鳴られてばかりだったけど、やる時はやる。それを見せたいんだ」
 思い出した。先頭の数人は、以前フリオニールに反撥した者たちだ。
「自分たちがなにをやっているか、わかっているんだろうな」
「言いっこなしだぜ。隊長の方こそ、いつも無茶ばかりしやがって」
「隊長を死なせちゃ、ほかの隊のやつらに笑われちまうしな」
「しかし、いい時に来たよな。せいぜい、派手に暴れてやろうじゃねえか」
「愉しかったぜ、隊長」
 口々に言いながら、兵たちは敵に突撃していった。数は少ないが、やはり騎馬は有利だった。勢いに乗って、敵を押しこんでいく。
「どいつもこいつも、馬鹿な連中だ」
「まったく、規律もなにもあったもんじゃねえ。だが、いい部下じゃねえか、フリオニール。行こうぜ。あいつらの気持ちに、応えてやらなきゃな」
「はい」
 入口まで来たところで、一騎がゴードンのそばに寄ってきた。騎乗していたのは、小柄な老人だった。名前は知らないが、顔はわかる。もともとはカシュオーンの兵だった者で、アルテアに拠ってからは、馬係をしていたはずだ。
「馬上から失礼します、ゴードン様。勝手に馬を出してしまい、申し訳ございません。しかし、この老いぼれも、最後は戦場で死にたいと思いまして」
「そうか」
「ゴードン様は、ほんとうに立派になられました。まるで、かつてのスコット殿下を見ているようです。生き延びて、叛乱軍を勝利に導いてください。そしていつの日か、カシュオーン王国を再興してください。では、これにて」
 馬腹を蹴って、老兵は敵に突っこんでいった。ひとりを斬ったところで、馬から突き落とされた。それでも、がむしゃらに剣を振り回し続けている。
 徐々に、敵が押し返してきた。やはり、数が違う。味方は次々と落馬し、乱戦となった。老兵の姿は、もう見えなくなっていた。
「よく聞け。おまえたちの行動は、重大な軍規違反だ。よって、処罰しなければならない。処罰は、私自ら行う。必ず、生きてアルテアに帰ってこい」
 味方から喊声があがり、再び敵を押しはじめた。生還は絶望的だが、言わずにはいられなかった。言葉さえかけてやれれば、それでいい。
 老兵の名は、結局知らないままだった。しかし、名前よりも大事ななにかを、胸に刻みつけられたような気がした。彼の顔を忘れることは、一生ないだろう。
 ガイがヒルダを抱え、ひたすら駈けた。喊声が、次第に遠くなっていく。
 町の外で、シドが待っていた。
「こっちだ。飛空船は、林に隠してある」
 飛空船は、木立の中に偽装してあった。素速く乗りこみ、シドが機関を始動させる。敵が駈けてきたが、なんとか間に合った。一定の高さまで浮上したところで前進をはじめ、パラメキア上空を抜けた。
「間一髪だったな。フリオニールの隊が来てなかったら、いまごろは全滅だった。みんな、すまない。すべては、私の軽率な行動のせいだ」
「気にするな、ゴードン。ヒルダ様は助け出したんだ。これで、全軍の士気は一気に高まる」
「ありがとうございました、みなさん」
 か細い声で、ヒルダが言った。かつての、凛とした雰囲気は感じられない。
 陵辱された。それも、敵の総帥であるマティウスに。叛乱軍の総帥とはいえ、やはりひとりの女である。ヒルダの苦しみは計り知れないが、とにかくいまは、支えることだ。そしてそれができるのは、自分だけだ、という気もする。
 具足を脱ぎ、傷の手当てを終えると、それぞれ休息をとった。
 脇腹の痛みは、包帯を幾重にもきつく巻くことで、かなり楽になった。ほかには、剣や槍による傷が数ヵ所というところだが、いずれも浅傷だった。ただ、槍による傷は、見た目には小さくても、深いことがある。ガイは何ヵ所も槍で突かれていたが、分厚い筋肉のおかげで、内臓まで達するほど深い傷はなかった。
 マリアの回復魔法に頼れないので、深い傷は、針と糸で縫合した。そのへんは、ポールが手際よくやってくれた。ポール自身も、決して浅くない傷を負っていたにもかかわらず、自分の傷は自分で手当てをし、いまは操縦席のシドと雑談をしている。シドもポールも、十九の自分にはない、大人の男の強さみたいなものを持っている。あと二十年も生きれば、彼らのような男になれるのだろうか。
 飛空船内は決して静かではないが、蒸気機関の動く音には、みんな馴れていた。
 ガイとマリアの寝息が聞こえる。フリオニールは眼を閉じてはいるが、眠ってはいないのかもしれない。ポールは、操縦席近くに腰を降ろし、シドから貰った煙草をくゆらせている。
 ゴードンは、ヒルダの肩を抱いていた。さきほどから、ヒルダはずっとうつむいている。
「約束、守ってくれたわね、ゴードン」
 ヒルダが、不意に顔をあげて言った。眼には涙が浮かんでいるが、さっきまでの涙とは違う。表情を見れば、それはわかった。
 ゴードンは微笑んで、ヒルダの肩を抱く手に力をこめた。

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