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ファイナルファンタジーⅡ二次創作小説 『野ばらの旗』 第一章 勇士の風

    

   

   一


 夜が明けていた。
 一晩じゅう舟を漕いで、対岸まで辿り着いた。
 丘の上。フィンの方を見ながら、フリオニールは汗を拭った。かすかな霧のむこうに、たちのぼる黒煙が見える。
「歩けるか、マリア?」
 ふり返りながら、フリオニールは訊いた。
「ええ、なんとか」
 マリアは岩に腰かけていた。青みのある黒く長い髪が、汗で頬や肩に張りついている。足首のあたりが腫れていた。フィンから脱出する際に転んだ傷だ。相当痛むのだろう、額には汗の粒が浮かんでいる。
「少し休もう」
 フリオニールの言葉に、ガイが頷いた。ガイと二人で、舟を漕いできた。うっすらと汗をかいているが、疲れている様子はない。並はずれた巨体の持ち主で、頼りになる男だ。寡黙なガイを見ていると、落ち着きを取り戻せるような気がした。
 フリオニールは地面に寝転んだ。短い草が生えている。それをちぎって投げると、風に乗って飛んでいった。フィンの方向。黒煙が、再び視界に入る。フィン城は陥落したのだ、と実感した。
 しばらくの間、空を見ていた。八月とはいえ、この時間はまだ涼しかった。
 立ちあがると、剣を吊った革帯を締め直した。マリアは、うなじのあたりで髪を結んでいた。足首はやはり腫れているが、なんとか歩けそうだ。
「東へ。まずはガテアの村を目指そう」
 先頭に立って、フリオニールは歩き出した。躰は重かったが、足は前に出た。陽が高くなるまでに着きたい、そう思いながら歩き続けた。水も食料もなかった。
 林の中の小径こみちを進む。足もとには草が茂っていて、朝露で湿っていた。
 馬蹄の響きが聞こえた。
 木立の中から、なにかが飛び出してきた。騎馬が三騎。帝国の斥候か。
「フィンの民が、ここまで逃げてきたか」
「女もいるぞ。殺すには惜しいな」
「いまはそれどころじゃないだろう。さっさと始末して、報告しないとな」
「子供とはいえ、皇帝陛下の御命令だ。悪く思うなよ」
 フリオニールの心に、怒りが湧いてきた。ふざけるな、叫んだつもりだったが、口の中が渇いていて声にならなかった。ガイと二人で、マリアの前に出た。マリアは弓を遣えるが、いまはなにも持っていない。ガイは躰が大きく膂力もあるが、やはりなにも持っていない。フリオニールの剣だけが、ただひとつの武器だった。ところどころ刃が欠けている。それでも、闘うしかない。
 フリオニールは、腰の剣を抜いて構えた。横眼でガイを見る。いつの間に拾ったのか、ガイは棒切れを持って構えていた。
 剣を抜いて、三騎が駈けてきた。馳せ違う。右側の一騎に、力任せに剣を叩きつけた。金属のぶつかる音がした。騎馬が駈け抜けていく。帝国兵はなんともないようだ。フリオニールは肩口を斬られていた。血が流れ出ているが、痛みはそれほどない。ガイは無傷だったが、棒切れは半分になっていた。
 反転して、三騎が再びむかってくる。フリオニールは汗をかいていた。足もふるえている。下から見あげる騎馬はあまりにも大きく、そして速かった。恐怖をふり払うように、フリオニールは肚の底から叫んだ。
 フィンでは、眼の前で両親が殺された。実の親ではなく、育ての親だ。十数年前、孤児だったフリオニールを、マリアの両親が拾って育ててくれた。マリアとマリアの兄、レオンハルトとは兄弟同然に分け隔てなく育てられた。
 レオンハルトは、フリオニールたちを逃がすために、ただひとりで帝国兵の中に斬りこんでいった。レオンハルトは強かった。十年以上もの間、毎日のように、二人で木剣を使った稽古をしたが、レオンハルトの方が三歳年上とはいえ、フリオニールはこれまで一本も取ったことがなかった。それでも、ひとりで斬りこんで勝てるわけがない。ただ、死んではいない。なぜかそんな気がする。生きていれば、きっとまた逢える。死んでたまるか。強く想うことで、気力が充実してきた。
 三騎が楔形で駈けてくる。ガイが、短くなった棒切れを投げつけた。先頭の馬の鼻面に当たり、棹立ちになった。後ろの一騎が馬を止める。残りの一騎だけが、こちらにむかってくる。
 もう一度、フリオニールは雄叫びをあげて駈け出した。躰が熱い。頭上を剣が掠める。屈みながら、剣を叩きつけた。帝国兵が落馬した。すかさずガイが飛びかかる。態勢を持ち直した二騎が、ガイにむかっていく。フリオニールも突っこんだ。ぶつかって、撥ね飛ばされた。腿のあたりが熱い。斬られていた。視界の端で、ガイが帝国兵の首をひねるのを捉えた。
 立ちあがった。すでに二騎がむかってきている。呼吸を整える暇がない。左右から剣が来る。腿からは血が溢れ出している。踏ん張りが効かなかった。かわせない。
 後ろから、馬蹄の音が聞こえた。
 騎馬の男が、フリオニールの脇を駈け抜けた。右側の帝国兵が倒れて、首から血を噴き出していた。男は馬首を変え、もう一騎と打ち合っている。四十代半ばくらいか。口髭をたくわえた、精悍な顔立ちの男。手綱や剣の捌きが、見事だった。
 数合打ち合ったのち、男が帝国兵ののどを突いた。剣を拭い鞘に収めると、こちらにむかって進んできた。
「君たちは、フィンの民だな。私は、フィン王国騎馬隊長のジェイムズ。現在フィン軍は、辺境の町アルテアにむかって退却中だ。私の隊は、殿軍をつとめている」
 後方から、いくつもの蹄の音とともに騎馬隊が現れた。二十騎ほどだろうか。何名かが、帝国兵たちの乗っていた馬を曳いている。馬や武具などは、そう簡単には補充できない。破った敵のものを奪って賄うのが手っ取り早く、特に馬は貴重だった。 
「私はフリオニール。後ろにいる者は、ガイとマリア。フィンから逃げる途中でした」
「そうか。よく闘ったな、見あげたものだ。われわれはアルテアに拠って立ち、再起を図る。君たちも来るか?馬がちょうど三頭いる」
「はい、喜んで。馬はあまり得意ではありませんが」
「そのうちに馴れる。わからないことがあれば誰でもいい、訊いてみろ。みな、馬術に秀でた者ばかりだ。もっともその前に、傷の手当てかな」
 髭を撫でながら、ジェイムズが笑った。陽焼けした肌に、白い歯が印象的だった。

 一度、落馬した。
 乗りこなしてやろうと思うと、かえって駄目だった。落ち着いて、馬と呼吸を合わせることに専心した。すると、次第に馬の気持ちがわかってきた。一緒に駈ける、対等の相手。そう思った時には、手綱を握る手の力が抜け、馬と一体になっていた。
 ガイとマリアは、最初からフリオニールよりもうまく乗りこなしていた。特にガイは訓練を受けたわけでもないのに、兵たちが驚くほど巧みに乗りこなしていた。昔から、動物に好かれやすかった。その容貌からは想像できないほどやさしく、争いを好まない性格だった。動物は、それを本能でわかるのだろう。
 ガテアの南、森の中で夜営をした。
 携帯用の天幕を張り、火を焚いた。食事の準備をする。同時に、交代で歩哨を立たせた。
「アルテアはなにもないが、静かでいいところだぞ。帝国がいつ攻めてくるかわからないが、俺たちの反撃はこれからだ」 
 薪を一本、火の中に抛りこみながら、ジェイムズが言った。峻厳な軍人ではあるが、人懐っこいところがある。頼りがいもあって、一緒にいて安心できる存在だと思った。
「私たちを、軍に加えていただきたいと思います」
 ゆらゆらと揺れる炎を見つめながら、フリオニールは切り出した。馬に乗りながら、なんとなく考えていたことだ。帝国に、たちむかう。レオンハルトの手がかりも欲しい。
「おまえたちがか。馬鹿を言え。昼間だって、俺が助けに入っていなければ、死んでいたかもしれないのだぞ」
 いつの間にか、ジェイムズが自分のことを俺と言っていることに気がついた。軍人としてではなく、ひとりの男として接してくれているのかもしれない。フリオニールは十七歳だった。ジェイムズだけでなく、世間から見ても、まだ子供なのだ。それでもジェイムズはやさしい口調で、怒られているとは感じない。
「ガイは見ての通りの巨体で、膂力もあります。マリアは女ですが、弓を遣えます。私は、剣を」
「自惚れるな。少しは遣えるようだが、あの程度で、帝国と闘うなどと」
「わたしからも、お願いします。このまま、なにもせずに死にたくはないのです。そして、生き別れた兄の手がかりが欲しいのです。兄は、フィンでわたしたちを逃がすため、ひとりで帝国兵の中に斬りこんでいきました」
 マリアも決意していた。両親は殺され、ただひとりの肉親は、レオンハルトだけなのだ。実の兄妹。そこには、フリオニールも入りこめない絆がある。
「気丈な女だな。わかったよ。俺から話してみる。しかし、兵として生きるのは理不尽なものだぞ。闘いに勝てば、次の戦場が待っている。死ねばそこまでだ。覚悟はいいか?」
 フリオニールが頷いた。マリアとガイの顔を見る。二人も頷いた。ジェイムズが、ふっと笑った。
 兵が、湯気を立てた椀を運んできた。あり合わせのものを煮こんだ、汁物だった。香草の匂いがする。口をつけた。あまりの熱さに、思わず叫んだ。舌を火傷した。マリアが、口に手を当てて笑った。ガイの方を見ると、懸命に息を吹きかけて冷ましていた。巨体に似合わない仕草が、おかしかった。
 少し離れたところで、兵たちの声が聞こえた。馬は、草を食んでいる。ジェイムズが、薪を一本、火の中に抛った。炎に照らされた横顔が、より引き締まって見える。
 フリオニールは、ゆっくりと椀に口をつけた。味は薄いが、疲れた躰にしみわたるようだった。  

   二


 二日ほど野営しながら、湿地帯や森林を、並脚や速脚で進んだ。
 三日目に森を抜けると、草原が拡がっていた。
「駈け脚」
 号令と同時にジェイムズが馬腹を蹴り、駈け出した。兵たちが二列の縦隊で続く。そのあとを、フリオニールたちが続いた。頬に当たる風が、心地よかった。
 夕方に、フィン領の町、アルテアに到着した。中央の広場には噴水が見える。辺境の町で、まだ戦火は及んでいない。フィン軍はここに拠って立つという話だったが、攻めこまれたらひとたまりもなさそうだった。
 役所に案内された。ジェイムズの話によると、軍の司令部として使っているらしい。二階にあがり、大会議室に通された。
 奥の椅子に、若い女が座っていた。亜麻色の長い髪。透き通るような白い肌を、上等な絹の衣装で包んでいる。ヒルダ王女だ。フィンの式典で、遠くから見たことがある。立ちあがる動作ひとつにも、気品が感じられた。
「騎馬隊長ジェイムズ。殿軍の任を果たし、帰還いたしました」
 ジェイムズが、ヒルダの前に跪いて報告した。
「ご苦労でした。その者たちは?」
「この者たちは、フィンの民です。ガテア周辺で、帝国の斥候に襲われているところを助けました。正確には、彼らが帝国兵と闘っているところに、私が加勢したかたちですが」
「そうでしたか。無辜の民さえも手にかける非道な帝国は、断じて許せません。われわれは闘って、必ず勝利します」
「私たちにも闘わせてください。殺された両親の仇を討ち、行方不明の親友を捜したいのです」
 ジェイムズが切り出すのを待たずに、話していた。しかし、志願したのは自分たちだ。自分たちの意志で闘う。三人で決めたことだ。
「控えよ。王女殿下の御前である」
 ひとりの老臣が口を挟んだ。訝しげな表情で、こちらを見ている。
「よいのです、スティーヴ」
 スティーヴと呼ばれた老臣は、一瞬不服そうな表情を浮かべたが、恭しく拝礼したのち、後ろに退がった。
「あなた方、年はいくつ? 名前は?」
「申し遅れました。フリオニール、十七歳です」
「ガイ、十六歳です」
「マリア、十六歳です」
「わたしも十八歳で、負傷した父に代わり、フィン軍の指揮を執っています。若いから、女だから、というのは言い訳になりません。たとえこの身が滅びようとも、闘い続けるつもりです。しかし、パラメキア皇帝マティウスは、その強大な魔力で、魔物の軍団まで呼び寄せました。その圧倒的な強さを誇る帝国に、われわれは闘いを挑むのです。あなた方に、その覚悟はできて?」
「はい。なにがあろうとも、帝国には屈しません」
 覚悟は決まっていた。パラメキア帝国と闘う。このまま辺境の町で死を待つよりは、ずっとましだ。
「この者たちの勇気は、私が保証いたします」
 ジェイムズが口添えをした。この三日間、いろいろなことを語り合ううちに、フリオニールはこの男に親しみを覚えていた。父のような存在。なんとなく、そんな気もする。
「ジェイムズの推挙とあれば、認めましょう。明朝、広場にお越しください。演説を行います」
 少し考えて、ヒルダが承諾した。ジェイムズは信任が厚いのだろう。
「了解しました。我儘を聞き入れていただき、ありがとうございます」
 深々と頭を下げ、退室した。ジェイムズに、町のはずれにある宿営地に行くように言われた。
 広間に出たところで、声をかけられた。痩せた長身の男で、ぎょろっとした眼つきをしている。
「おまえら、帝国軍とやり合ったんだってな。大したもんじゃねえか。俺の名はポール。世界一の盗賊だ。かつては帝国相手に盗みを働いていたんだがな、潜入の腕を買われ、密偵として雇われることになったんだ」
 密偵のわりにはよく喋るな、とフリオニールは思った。しかし、隙は感じられない。身のこなしも、軽そうだった。
「これから、任務ですか?」
「まあな。詳しいことは言えねえが、北へ行く。それじゃ、また会おうぜ」
 二階から音もなく跳び降りると、ポールはあっという間に外へ消えて行った。おかしな男だと思ったが、嫌な感じはしなかった。
 宿営地には、いくつもの幕舎が張られていた。炊事場で、残り物の雑炊を食べた。粗末ではあったが、塩が効いていてうまかった。
 マリアとはここで別れた。マリアは、侍女たちの部屋で起居することになっていた。ほかに女の兵はいない。
 案内された幕舎には、四人の兵がいた。新兵の倣いとして、彼らの具足を布で磨きあげたあとに就寝した。

 翌朝、起床すると、幕舎の前に整列して点呼を取った。
 朝食を終え、備品の整備をしたあと、広場まで駈け足で進んだ。
 広場には、一千人ほどが集まっていた。そのうち、兵はおよそ三百。帝国の兵力は五万と言われている。さらには、パラメキア皇帝が召喚した魔物の軍団もいる。闘って、勝てるのか。疑問はすぐに打ち消した。闘うしかないのだ。たとえ敗れたとしても、帝国には屈しない。
 ヒルダ王女が姿を現した。広場が、しんと静まりかえる。ゆったりとした動作で壇上にあがり、全体を見渡した。凛とした上品さがある。
「お集まりいただき、ありがとうございます」
 大きくはないが、よく透る澄んだ声で話しはじめた。
「すでにご存知のことと思いますが、われわれフィン王国とカシュオーン王国の連合軍は、パラメキア帝国に敗れました。いまは、まさに危急存亡の ときです」
 民の動揺が伝わってくる。全員が、帝国に対して本気で抵抗する気ではないのだ。ただ、戦に巻きこまれたくない。そう思っている者も多いはずだ。
「破壊と殺戮が、なにを生むというのでしょうか。支配する者と、される者。世の中は、それだけで成り立つものなのでしょうか。帝国の、恐怖による統治のもとで、苦しみと、悲しみにまみれながら生きていく、そんな世界でよいのでしょうか。人々が、心から笑顔で暮らせる世を築くため、われわれは、闘い続けます。まだ、勝利の可能性が、完全になくなったわけではありません。帝国は、すでにわれわれを叛徒として扱っていますが、これよりわれわれは、あえて叛乱軍を名乗り、帝国にたちむかいます」
 司令部の屋上に、白い旗が掲げられた。フィンの国旗。金色の糸で、野ばらの花の刺繍が施されている。青い空に、よく映える旗だ。
「野ばらは、たとえ折れようとも、踏まれようとも、耐え忍び、力強く咲きます。われわれも、決して諦めません。野ばらの旗のもとに、闘い続けます」
 集まった者たちの中から、歓声と拍手が起きた。涙を流す者もいる。王女の演説が巧みなわけではない。なにかが、ここにいる者たちの心を揺さぶったのだ。
 畠を耕し、作物を育てる。あるいは、街道を整備する。そういう闘いも、あるのだ。おのおのが自分の役割を果たすことによって、帝国にたちむかう。いま、この場にいるすべての者が決心したはずだ。自分は、剣しか知らない。剣で、帝国と闘う。そう思い定めている。
 昼前に、大会議室に呼ばれた。
 中央にヒルダ王女、その隣りには異国ふうの男がいた。褐色の肌に、翠色の瞳。頭には白い布が幾重にも巻かれていて、顔の下半分も白い布で覆われている。ほかには、スティーヴと、金髪の若い男がいた。
 拝礼すると、ヒルダが落ち着いた口調で話しはじめた。
「あなた方をお呼びしたのは、ほかでもありません。特別な任務を、受けていただきたいのです」
「特別な任務、ですか?」
「はい。まだごく一部の者しか知らない話ですが、現在、帝国はバフスクの山中で、『大戦艦』と呼ばれる、巨大な飛空船を建造中です。この大戦艦が完成すれば、帝国の総攻撃がはじまると考えられます。われわれはこれを阻止するため、軍を派遣します。諸侯の協力を得られれば、闘えるだけの兵力は集まります。そしてその間、あなた方にはフィンの動向を探ってきて欲しいのです」
「危険な任務ですね。それに、いまフィンを探ることに意味があるのでしょうか?」
「無礼者が。いちいち口ごたえをするな」
 怒鳴ったのはスティーヴだった。どうも自分は、この老臣に嫌われているようだ。平民で、作法も知らない。しかし、不遜と思われようと、思ったことは言いたい。
 ヒルダが手でスティーヴを制して、再び話しはじめた。
「フィンで最後まで奮戦したのが、カシュオーンの王太子、スコットの軍です。彼の軍が闘っている間に、われわれは撤退することができました。正直なところ、生存は絶望的と言えます。それでも、なにか手がかりが欲しいのです」
「私からも頼む。私は、カシュオーン第二王子のゴードンという。兄スコットの軍が孤立した時、恐ろしくて逃げてきた、臆病者だ。あの時、助けに行っていれば」
 肩まである金髪の青年。歳は、フリオニールと同じくらいだろうか。端正な顔立ちではあるが、暗い翳のようなものがある。眼が合うと、すぐに視線をそらした。
 ヒルダを見る。眼が合った。無言で頷くその表情は、優雅さを失ってはいない。しかし、切迫した雰囲気が感じられる。やはり、スコット王太子のことが気がかりなのだろう。
「了解しました。それで、潜入の手筈はどのように?」
「それについては、私が説明しましょう。私は、魔導師のミンウ。叛乱軍の参謀をつとめております」
 やさしげな声で、ミンウと名乗った異国ふうの男が話しだした。
「マリアには、商家の娘に扮してもらいます。戦から帰ってこない父に代わって、商品をフィンに卸しにいく、という設定です。フリオニールとガイは、その護衛ということにします。城郭の中に入ったら、商品を卸してください。この留め飾りを付けていれば、いずれ間諜の者が接触してくるはずです」
 それでうまくいくのか、疑問だった。しかし、やるしかない。手渡された小さな留め飾りは銀でできていて、野ばらのかたちをしている。フリオニールは、それを胸に付けた。ガイとマリアも、同じようにした。
「おぬしらが死んだところで、わしは困らんぞ。しかし、できるかぎりのことはしてやろう」
 スティーヴの指示で、何人かの兵が、武器や具足を持ってきた。フリオニールは剣と短剣、ガイは戦斧、マリアは弓を選んだ。具足は簡素なものだが、商家の護衛が身につけるものとしては、適当だった。
 出立は翌日の朝ということになった。軍の行動は速さを優先するが、それにしても急いでいるように感じた。置かれている状況が、それだけ苦しいとも言える。
 宿営地で馬や荷物の点検をしていると、騎乗したジェイムズがやってきた。まわりにいた兵たちが、直立して威儀を正した。
「いきなりの任務か。もっとも、兵になりきっていない人間の方が適任ではあるが」
「はい。しかしうまくいくかどうか」
「なに、大丈夫だ。帝国のやつらには、鼻薬を効かせておけ。そのための金だ。俺の隊はこれから、バフスクへむかう準備だ」
「それこそ、重大な任務ですね」
「ああ。おまえたちとはしばしの別れとなる。いずれ轡を並べることがあれば、野戦料理を振る舞おう」
「野戦料理、ですか」
「たとえば、牛肉の煮こみ。特に尾の部分は絶品なのだが、手間がかかるので、作るのは滞陣が長引いた時だな。よく作るのは、岩塩をまぶした羊の骨付き肉を鉄板で焼く、簡単なものだ。破損して使えなくなった楯でもいい。仕上げに葡萄酒を振りかけ、香草を添えて食べる」
「どちらもうまそうですね。愉しみにしています」
「いずれ戦場で逢おう。それまでに、もう少し馬に乗れるようになっておけ」
 髭を撫でながら白い歯を見せて笑うと、ジェイムズは駈け去っていった。その後ろ姿を、兵たちが憧憬の目で見ている。勇敢で、面倒見のよい騎馬隊長。とても頼りがいのある男だ。いつの間にか自分も、ジェイムズに惹かれていた。
 何人かの兵が、フリオニールたちに声をかけてきた。いろいろなことを訊かれたが、作戦のことは当然話さない。言葉を選んで、慎重に話した。
 幕舎に戻ると、先輩たちから具足を磨かなくていいと言われたが、構わず磨いた。騎馬隊長と親しいというだけで、特別扱いはされたくない。どうせなら、剣で認められたい。腕に自信はある。
 フィンのこと。レオンハルトのこと。ぼんやりと考えているうちに、眠りに落ちた。   

   三


 兵たちが調練に出て行ったあとに、フリオニールたちは出立した。
 はやる気持ちを抑えて、ゆっくりと荷馬車を走らせた。馬車は、二頭の馬で曳いている。アルテアからガテアまでは、三日の道のりだ。
 積荷は葡萄酒の樽と、野ばらの実、それに布などの日用品だった。
 野ばらは、フィンからアルテアにかけて多く自生しているが、農園では品種改良したものを栽培している。秋に赤い実をつけ、干した実は茶にして飲む。種子から取れる油は、美容によいとされている。このあたりの特産品だった。
 夜は、虫除けの香を焚き、その辺に転がって寝る。ガイと交代で見張りに立った。マリアは、馬車の中で寝る。
 二日目は、森の中での夜営になった。
 ガイと二人で干し肉を齧っていると、なにかの気配を感じた。左手で剣を手繰り寄せた。マリアは、馬車の中で寝ている。
 闇の中に、いくつもの眼が光っている。そのうちのひとつが、暗がりから出てきた。月の明かりが、それを照らし出した。子供の背丈ほどの小鬼。闇の中から、次々と姿を現していく。
 魔物は、大昔から存在していた。人が襲われるという話もたまにあったが、いまほど兇暴ではなかった。パラメキア皇帝の魔力に共鳴したのか、半年ほど前から急激に兇暴になり、行動も活発化した。
 小鬼たちは、黄色い眼をぎらつかせながら、こちらの様子を窺っている。
 ゆっくりと干し肉を噛みほぐしながら、立ちあがった。ガイも、斧を持っている。小鬼が、低い唸り声をあげながら、一歩、二歩と近づいてくる。
 唾と一緒に、干し肉を飲みこんだ。飲みこむ音が、夜の闇に響くような気がした。横眼でガイを見る。眼が合って、かすかに頷いた。
 駈け出した。ほぼ同時に、小鬼が飛びかかってくる。抜きざまに、一体に斬りつけた。のけ反ったところを、刃を返し横に薙いだ。断末魔の叫びをあげ、小鬼が倒れた。左に一体。左足を踏ん張って向きを変えた。腿に痛みが走る。構わず斬り下げた。剣は小鬼の鎖骨の下あたりまで食いこみ、躰から抜けた。刃が抜けたところから大量の血が噴き出る。噴き出る血を避けながら、のどを突きあげた。正面。一体が低い姿勢で駈けてきた。鋭い爪で斬りつけてくる。横にかわしながら、首を狙って剣を振り降ろした。一瞬、小鬼の動きが止まった。首がぐらりと揺れて、噴水のように血が出た。右側から、小鬼が駈けてきた。跳び退きながら薙いだ。手首を飛ばしていた。間合いを詰めて、真正面から斬り下げる。頭蓋を断ち割った。
 まわりにいる小鬼は斬り倒した。フリオニールは、大きく息をついた。付近には、悪臭が立ちこめている。気分が悪くなって、嘔吐した。呼吸を荒げながら、腿に視線をやった。服の生地から血が滲み出ている。軽く舌打ちして、ガイの方を見た。
 ガイは、さらに多くの群れの中に飛びこんでいた。斧を振るうたびに、小鬼の首や腕が飛び散っていく。胴から両断されているものもいる。すさまじい膂力だ。まるで旋風のように、小鬼の群れの中を駈け抜けていく。
 小鬼が二体、こちらにむかってきた。剣を構え直し、呼吸を整えた。二体の小鬼が左右に散って跳躍する。一瞬ためらったが、風を切る音がして、左の小鬼が倒れた。右。腹を薙いだ。はらわたが飛び出し、小鬼が崩れ落ちた。小鬼のまわりに、血溜まりが拡がっていく。
 左側の小鬼の額には、矢が刺さっていた。馬車の方をふり返ると、弓を携えたマリアが、荷台から身を乗り出していた。足首の腫れは、もう引いているようだ。
「余計なお世話だったかしら。音がして起きたら魔物と闘っているから、びっくりしたわ」
「起こして悪かったな。おかげで助かった。しかし、見事なものだな」
 おかしなやり取りだ、と思った。見た目とは裏腹に、マリアは豪胆なところがある。ただ、面とむかって豪胆とは言えないものだ。マリアは怒るとよく口を尖らせる。そして、怒ったと思った次の瞬間には泣いてしまうことがある。女は複雑で、よくわからない。
 小鬼はすっかり退散したようだった。ガイが、茂みの中から出てきた。あたりにはたくさんの屍体が散乱していたが、ガイは返り血をほとんど浴びていなかった。
 剣の手入れをした。布で血脂を拭いきることはできない。砥石を取り出した。砥石にもいろいろと種類があるが、いまは脂の曇りが取れればそれでいい。水をかけながら、仕上げ用の砥石でさっと砥いだ。それほど切れ味は鈍っていないようだ。
 少し移動した。手ごろな場所を見つけ荷馬車を停めたが、なかなか寝つけなかった。魔物との闘いで気持ちが昂ぶったのかもしれない。それにひどく蒸し暑い。躰が血で匂うことに気がついた。布を湿らせ、躰を拭った。
 水をひと口飲んで、草の上に横たわった。見張りに出る、ガイの背中が見えた。

アルテアを出発してから三日目の夕方に、ガテアの村に到着した。二百人ほどが生活する、小さな村だ。村の中央に、小さな川が流れている。
 宿をとった。老婆がひとりで営む、小さな宿だ。戦時ということもあり、ほかに宿泊する者はいなかった。
 風呂に入り、躰を洗った。鏡に映る自分の顔を見た。前髪が濡れて垂れ下がっている。銀色の髪。以前は、この銀色の髪が嫌いだった。いまはなんとも思わない。ガイは焦げ茶色の髪を短く刈っていて、よく似合っている。
 風呂からあがって、食堂でくつろいだ。脚を引き摺りながら、老婆が麺麭パンと汁物を持ってくる。汁物には、野菜と兎の肉が入っていた。表面に浮いた脂が、食欲を刺激する。
「フィンが負けて帝国に占領されるとは、思ってもいなかったよ。この村も、そのうち戦に巻きこまれるのかね」
 話し相手が欲しかったのだろう、老婆は椅子に腰を降ろし、脚をさすった。
「ヒルダ王女率いる叛乱軍が、アルテアで蜂起しました。これから、反撃ですよ」
 麺麭を齧りながら、フリオニールが答えた。素朴で、飽きのこない味だ。
「気丈なお方だね。カシュオーン王太子のスコット様とは、婚約していたそうじゃないか。噂じゃスコット様は討ち死になさったそうだけど、二人が結ばれたら、きっといい世の中になっていただろうに。残念でならないね」
 そんな話があったとは、知らなかった。ヒルダ王女はそういった素ぶりを見せず、毅然と振る舞っていた。叛乱軍の指導者としての責任感で、感情を抑えているのかもしれない。ほんとうは、つらいのだろう。
「いまのフィンの様子について、なにかご存知ですか?」
 野ばらの実を煎じた茶を飲みながら、マリアが訊いた。マリアの母が、よく淹れてくれた。茶の味はよくわからないが、爽やかな酸味があって好きだった。
「残っている人たちは、帝国の厳しい徴発を受けているらしいよ。住み馴れた土地を捨てて、逃げるわけにもいかないからね。ほんとうにかわいそうだよ」
 帝国の占領下で生きるくらいなら、土地など捨てて逃げてしまえばいい。一瞬だけそう思ったが、すぐにその考えをふり払った。両親は、フリオニールたちを逃がそうとして殺されたのだ。フリオニールたちのような若者が捕まれば、奴隷か兵として使われる。それをさせまいとして、両親は躰を張って帝国兵を食い止めてくれたのだ。フィンでは抵抗する者は勿論、逃げる者も容赦なく殺された。
 帝国に占領されたフィンは、どうなっているのだろうか。考えながら、フリオニールは汁物を啜った。口の中で、兎の肉と野菜の旨みが拡がる。木の椀は長く使われているためか、独特の風合いが出ていて、手にしっくり馴染んだ。
 食事をたいらげ、部屋に戻った。寝台に潜りこむと、すぐに眠りに落ちた。やわらかい蒲団が心地よかった。
 翌朝、老婆に見送られ出立した。
 よく晴れていた。ガテアの北には、ステリオンド湖がある。フィンとの間を往復する舟が出ていて、それに乗れば半日でフィンの南に着くが、馬車が乗れるほど大きな船はない。
 湖に沿って進んでいく。ステリオンド湖は、城郭を覆うように大きな三日月のようなかたちをしていて、陸路でフィンまで行けば、四日かかる。
 湖のむこうには、フィンの城郭が見える。遠くから見るかぎり、フィンの様子は以前と変わらないように感じる。ただ、城郭の中がどうなっているかはわからない。
 数日前、フィンから逃げてきた時のことを思い出した。
 少し前に通り過ぎた林のあたりで帝国兵に襲われ、フィン軍の騎馬隊長、ジェイムズに助けられた。ジェイムズの部隊は、もうバフスクへむけて進発しただろうか。いつか、ジェイムズと轡を並べて、ともに戦場を駈けたい。
 それまでに、もう少し馬に乗れるようになっておけ。ジェイムズに言われた言葉を思い出し、口もとで笑った。
 草原が続いた。
 フィンに近づくにつれ、いたるところで、うち棄てられた屍体を眼の当たりにした。夏で、腐敗も激しい。兵よりも、民の方が多かった。荷物を抱えたまま斬られた者。まだ幼い子供。老人。民さえも手にかけるパラメキア帝国のやり方は、あまりにも非道だ。
 レオンハルトを探したりはしなかった。死んでいるはずがない。なにかしらの手がかりを、フィンで掴めるかもしれない。手綱を握る手に、無意識に力が入っていた。
 湖を大きく迂回して、フィンの北側に出た。城郭が見える。空はよく晴れていて、暑い。
 手綱を打った。馬が疾駆し、速度が上がっていく。汗をかいた肌に、風が心地よかった。   

   四


 ガテアを出て四日目の昼に、フィンに着いた。アルテアを出て、七日になる。
 城郭の北側には、門がない。西側にむかった。城郭の中には、西門か南門からしか入れない。フィンは東に山脈、南には大きな湖という天然の要害に囲まれてはいるが、それでも帝国軍に陥された。
 西門が見えてきた。パラメキア帝国の国旗が掲げられている。鷲の刺繍が施された、黒い旗だ。フリオニールの眼には、あまりいい趣味には映らなかった。
 城壁の補修工事も行われていた。激しい攻防だったことが、一瞥しただけでわかる。
 門には番兵がいて、入ってすぐのところに詰所があった。フィン軍のものをそのまま利用している。すぐそばに厩があり、何頭かの馬が繋がれていた。
「商いか。積荷を点検させてもらう」
 番兵が二人近づいてきて、積荷の検分をはじめた。マリアが応対をする。
「よし、いいだろう。しかし、若いな」
「戦から帰ってこない父に代わって、品物を卸しているのです」
「健気なものだな。しかし、父はすでにこの世にはいないかもしれんな」
 事実、マリアの両親は帝国兵に殺されている。斬ってやりたかったが、ここで騒ぎを起こすわけにはいかない。フリオニールは唇を噛んで、怒りをこらえた。
「商売がうまくいかなくなったら、俺が世話をしてやってもいいんだぞ」
 下卑た笑いを浮かべながら、帝国兵のひとりがマリアの顔を覗きこんだ。マリアがうまくあしらって、銀貨の入った袋を手渡す。もう行け、といった感じで番兵の手が振られた。
 フリオニールは、待っていたとばかりに馬車を出した。賄賂しだいで、どうにかなる。帝国の軍規は緩かった。
 馬車を、商店が建ち並ぶ方へ進めていった。 
 城郭の中は、以前ほどの活気はなかった。城外で見たように、逃げる者は容赦なく殺されるのだ。しかし、行き交う人々の表情は暗くない。懸命に生活をしているようだ。
 フリオニールたちは、品物を次々と卸していった。参謀のミンウの話では、間者が接触してくるとのことだったが、まだその気配はない。
 荷台にはまだ、葡萄酒の樽が二つ残っている。町のはずれにある酒場へむかった。
 扉を叩くと、主人と思われる男が、眠そうな顔をして出てきた。無精鬚を生やした、四十過ぎの男だ。樽の中身を確かめ、代金を受け取った。ガイが樽を店の中に運びこむ。
「ごくろうだったな。ところで、野ばらはどうした?」
 一瞬、聞き逃がしそうになった。産物である、野ばらの実のことではない。ミンウから聞いていた、叛乱軍の符牒だ。よく見ると、男の胸もとにも、銀でできた野ばらの飾りが付いていた。
「アルテアで、咲きました」
 マリアが、慎重に答える。男の眠そうな顔が一変した。周囲に気を配り、人気のないことを確かめると、フリオニールたちを店の中に誘った。
 店内には、煙草の匂いが染みついていた。酒場に入るのは、これがはじめてだった。薄暗い店内を見回す。円い卓が四つ。それぞれの卓上に、椅子が三つずつ、逆さにして掛けられている。仕切り台の前にも椅子が並んでいて、奥の棚には、酒瓶や酒杯がいくつもあった。
「まだ子供じゃないか。まさかおまえらが叛乱軍とは、驚いた」
「驚いたのは、こちらも一緒です。酒場の主人が間者とは、思ってもいませんでした」
 子供と言われたことで、少しむっとしながら、フリオニールが答えた。
「いや、悪気はないんだ。俺はヤニック。ここで十五年、酒場をやっている。おまえら、ポールの旦那を知っているか?」
 無精鬚の生えた顎を撫でながら、ヤニックが訊いてきた。
「アルテアで、一度だけ会いました。任務があるとかで、すぐに姿を消しましたが」
「ポールの旦那は、帝国から金を盗んでは民に配っていた、義賊だ。そして旦那は、世界じゅうに顔見知りがいる。俺みたいな民や盗賊仲間、貴族の知り合いだっている。そういった連中がいま、旦那に協力している。勿論、旦那のためだけじゃねえ。どうにかして、帝国の連中にひと泡吹かせてやりたいからな」
「影響力のある人物なのですね、ポール殿は。これは、大きな強みだと思います」
「この酒場は帝国のやつらも利用していて、会話の端々から得られる情報もある。俺たちの情報力は、帝国よりも上だ。やり方によっちゃ、勝てる」
「結束力も、上だと思います。帝国の軍規は、緩いと感じました」
「そうだな。フィンを奪ったことで、帝国軍はやや弛緩しているところがある。ところで、会わせたい人がいるんだ。こっちに来い」
 ヤニックが手招きをして、店の奥にある扉を開けた。三人が中に入ると、ヤニックは急いで扉を閉め、鍵をかけた。
 部屋の奥には寝台があり、男が寝ていた。眠ってはいなかったのか、すぐにこちらに気づき、上体を起こした。鍛え抜かれた躰に、幾重にも繃帯が巻かれている。太い首の上には、屈強な躰にそぐわない、細面の顔があった。金色の長髪を後ろに撫でつけた、二十代前半くらいの若い男だ。端正な顔立ちではあるが、眼の下には隈があり、頬がこけていた。額には汗をかいていて、呼吸が苦しそうだった。傷がひどいのだろうか。
「ヤニックか。この若者たちは?」
 力強い声だ。こちらにむけられた眼にも、光がある。
「アルテアから来た、叛乱軍の者です」
「そうか。私はカシュオーン王太子、スコットだ。余計な気遣いは無用だ、そのままでよい」
 よく見れば、ゴードンに似ている気もする。ただ、ひ弱そうなゴードンに較べ、スコットはいかにも鍛えあげられた戦士だった。実際に、敵の包囲をくぐり抜け、生き延びている。
「私は、フリオニールと申します。あなたが、スコット王太子殿下なのですか。殿下の軍だけが、敵陣の中に残り闘い続けたと聞きましたが、討ち死にされてはいなかったのですね」
「ああ。だが、もう駄目だろう。内臓をやられているからな」
 息を詰まらせたかと思ったら、スコットが突然、血を吐いた。寝具が赤く染まる。スコットの口のまわりを、ヤニックが慌てて拭った。
「君たちに、頼みがある」
 スコットの息遣いが荒くなっていた。確実に、死期が近づいている。それも、すぐそこに。
「私の弟、ゴードンを、知っているか?」
「アルテアで一度、お眼にかかりました。殿下を見捨てたことを恥じて、落ちこんでいます」
「そうか。ゴードンに伝えて欲しい。おまえには、素晴らしい素質がある。自信を持てと」
 スコットの躰が、ふらついた。ヤニックが肩を支える。
「これは、国王陛下に伝えてくれ。カシュオーンの将軍、ボーゲンが裏切ったと。やつが手引きをしたおかげで、フィンはあっさりと陥ちた。いまは、帝国の将軍だろうな」
「承知しました。しかし、帝国に寝返る者がいたとは」
「ボーゲンは軍の指揮はできるが、欲が強く、計算高いところがある。命が惜しくなったか、金に眼が眩んだか、どちらかだろう。ああいった男を重用したのが、間違いだった」
 スコットの呼吸が、いっそう荒くなった。眼に見えて、顔色が悪くなっている。顔に浮かんだ汗の粒を、ヤニックが拭った。
「それから、ヒルダに伝えて欲しい。愛していると。いや、これはやめておこうか」
「よいのですか。ヒルダ王女殿下とは、婚約されていると聞きましたが」
「よいのだ。私はもう死ぬ。願わくは、闘いに勝利したのち、いい男を見つけ、女としての幸せを見つけて欲しいものだが。そうだ、これをゴードンに。カシュオーン王家に伝わる剣だ」
 ひと振りの剣が、フリオニールに手渡された。意外に軽い。鞘と柄には、見事な細工が施されていた。
「レオンハルトという男を、ご存知ありませんか? わたしたちを逃がすために、帝国軍の中へひとりで斬りこんでいったのです」
 隣りにいるマリアが、おそるおそる訊いた。
「あいにくだが、私は敵に囲まれていたからな。役に立てなくて、すまない」
 再び、スコットが血を吐いた。寝具だけでなく、床にも飛び散った。おびただしい量だ。血はヤニックの顔や服にも大量にかかっているが、そんなことには構わず、ヤニックはスコットの躰を拭うのに夢中だった。
「もうよい、ヤニック。世話になったな」
 スコットが、微笑みながらヤニックの腕を掴んだ。顔をあげたヤニックと眼が合って、かすかに頷いた。
 スコットが姿勢を正した。眼の光は、失われていない。全身に、覇気が漲っている。いま眼の前にいる、まさに死のうとしているこの男に斬りかかって、勝てるだろうか。なぜか、フリオニールはそんなことを考えた。
「さらばだ」
 スコットの口もとから、血が流れ出した。少しして、顎が垂れた。スコットの躰から、生気がなくなった。
 しばらくの間、誰も身じろぎひとつせず、その場に立ち尽くしていた。
 ヤニックが、スコットの躰をそっと寝かせた。指先でスコットの目蓋を閉じ、立ちあがった。
「いまは、殿下の死に、心を動かしている時ではない。あとは同志たちでなんとかしよう。おまえたちは、行け」
 涙を拭いながら、ヤニックが言った。
「はい。殿下の最期に立ち会うことができて、よかったと思います」
 扉の手前で立ち止まり、後ろをふり返った。寝台に横たわるスコットの顔を見る。最後まで威容を失うことなく、スコットは死んで行った。スコットの顔と言葉を心に刻み、フリオニールは扉を開けた。
 部屋を出たところで、ヤニックが思い出したように言った。
「ひとつ忘れていた。ここに来る帝国兵の装備を見るかぎり、『ミスリル』が充実している。希少な金属のはずだが、どこかで鉱脈を見つけたのかもしれん」 
「ミスリルとは、なんですか?」
「鉄よりも丈夫で軽く、加工しやすい金属だ。ミスリルの剣は、鉄さえ斬るらしい」
「装備や物量では、帝国の方が上ということですか」
「こちらよりも、ずっとな。さあ、もう行け。夕方になれば、店を開けなければならん。帝国の連中に見つかれば面倒だ。今夜は宿に泊まり、明朝に発て。馬車は売り払い、馬を購うといいだろう」
「いろいろと、ありがとうございました」
「今度来た時には、酒でも飲んでいけ。おまえたちは、叛乱軍の同志だ」
 口の端に笑みを浮かべながら、ヤニックが言った。フリオニールも、笑顔で頷いた。
 ヤニックに言われた通り、その日は宿に泊まった。
 明朝、馬車だけを売り払い馬を買い足して、南門にむかった。
 城外に出るのに、少し手間取った。産業を復興し税収を安定させるためにも、商人の出入りに関しては甘かったが、フィンの民が外に出ることは、厳しく制限されているようだった。フリオニールたちも嫌疑の眼で見られたが、賄賂を多めに渡し、通行の許可を得た。
 ステリオンド湖へむかった。舟着場で馬を売り、舟に乗り湖を渡った。
 ガテアの北に着くと、再び馬を買い、ガテアの村へむかった。心のどこかに索漠としたものを抱えていたが、宿が見えてきたらそれも晴れた。数日前に泊まったばかりだというのに、なぜかとても懐かしい気がした。
 宿の主人である老婆が、水を汲んでいた。こちらに気づき、笑顔で手を振ってきた。     

   五


 ガテアを出て三日後、十二日ぶりにアルテアに帰ってきた。
 司令部の前で馬を降り、大会議室へむかった。
 部屋にはヒルダ王女とミンウ、スティーヴ、ほかには兵や侍女たちがいた。ミンウの顔半分は布で隠れているが、微笑んでいるように見える。ヒルダの前で跪き、報告した。
「ただいま、フィンより帰還しました」
「ご苦労様でした。なにか情報は掴めましたか?」
「はい。スコット王太子殿下は、生き延びて同志に匿われておりました。しかし、少し話をしたあとに、息を引き取られました」
 ヒルダがうつむいて、眼を閉じた。唇を噛んで、なにかを考えているようだったが、すぐに顔をあげた。
「続きを聞きましょう」
「はい。カシュオーンのボーゲン将軍が、寝返ったとのことです。ボーゲン将軍の内応によって、帝国軍はフィンの城内に侵入したと思われます」
「ボーゲンか。以前からどこか信用できないやつではあったが、まさか寝返るとは」
 口を開いたのはスティーヴだった。皺がいっそう深くなった顔に、怒りの表情が見える。フリオニールは話を続けた。
「それから、帝国軍は、ミスリルの装備が充実しているとのことです。同志の話では、鉱脈を見つけたかもしれないと」
「ミスリルについては、われわれも調査していました。間者からの報告によると、北の町サラマンドの近くに、ミスリルの鉱山があるそうです。帝国軍はそこで現地の民を徴用し、昼夜を問わず採掘しています。ヨーゼフという男を派遣していますが、人材が足りません。あなたたちには、ミンウとともにサラマンドへ行き、彼と合流して欲しいと思うのですが」
「承知しました」
「ところで、その剣は、スコットのものですね」
「はい。ゴードン殿下に渡すように頼まれましたが、お姿が見えませんね」
「彼はずっと、居室で塞ぎこんだままです。いつまでああしているつもりなのかしら」
「あとで、私が届けます」
「お願いします。こういう時だからこそ、彼にはしっかりして貰わないといけないのですが。ミンウ、あとは任せました」
「はい」
 ミンウが短く答えると、ヒルダは奥に退がっていった。婚約者の死。心の準備はできていたとはいえ、受け入れ難いだろう。部屋で泣くのかもしれない。それでも彼女は、それを乗り越えて闘うだけの、強さを持っているように見える。だから、ひとり部屋で泣く。ヒルダの後ろ姿を見て、そんなことを思った。
「出立は、明朝。その前に、国王陛下の部屋に行きましょうか」
 重くなりかけた雰囲気を払うかのように、ミンウが口を開いた。
「承知しました。しかし、私たちのような者が、陛下にお会いしてもよいのでしょうか?」
「あなたたちは立派に任務を果たした、叛乱軍の勇士ではありませんか。それに、スコット殿下の最期にも立ち会った。私は、なにか運命のようなものを、あなたたちに感じます」
「運命、ですか」
 フリオニールには、よくわからなかった。両親を殺され、レオンハルトが行方不明になったのも、運命なのか。そんな言葉ではとても納得できないが、叛乱軍に加わったのは、なにかのめぐり合わせかもしれない。ただ、いまはそんなことを考えていても仕方がない。黙って、ミンウについていった。
 扉の両脇には、装備をかためた兵が、二名立っていた。ミンウの姿を見て、直立した。扉を開け、ミンウが中へ入る。フリオニールたちもそれに続いた。
 部屋の中にも、数名の兵がいた。部屋の中央に天蓋の付いた寝台があり、精悍な顔立ちをした初老の男が、上半身を起こしていた。フィン王ロベール。フリオニールはその場に跪こうとした。
「普通にしていて、構いませんよ」
 ミンウは真っ直ぐ寝台の方へ進み、国王になにか耳打ちをした。
「君たちがフリオニール、マリア、ガイだね。話は、ミンウから聞いているよ。こちらへ来なさい」 
 国王の手招きに応じ、前に進んだ。寝台の前で、軽く頭を下げた。ロベール国王の顔には深い皺が刻まれ、髪はほとんど白い色だった。眉は太く、立派な髭もたくわえている。少しやつれてはいるが、威容のある姿だ。
「フィンはどうだった。民は、苦しい思いをしているのではないか?」
「はい。以前ほどの活気はありませんが、必死に以前の生活を取り戻そうとしている、そんな気がしました」
「そうか。スコットにも、会ったそうだな」
「堂々とした、最期でした」
「いい若者だった。ヒルダとは似合いであったが、まことに惜しい者を亡くした。フリオニール、君が持っているその剣は、スコットのものだな。抜いてみなさい、確かミスリルでできているはずだ」
 フリオニールは、剣の鞘を払った。鉄とも銀とも違う、鈍く光る刃。スコットに手渡された時に軽く感じたのは、この剣がミスリルでできているからだった。乱戦をくぐり抜けたにしては、刃こぼれもなく、手入れも行き届いていた。重傷を負いながらも、スコットは剣の手入れを怠らなかったのだろう。しばしの間、鈍い輝きを眺め、剣を鞘に戻した。
「帝国軍は、ミスリルの装備が充実しているそうだな」
「明朝、この者たちとともに、サラマンドへむけて出立することとなっています。ヨーゼフと合流し、鉱山奪取を図ります」
 ロベール国王の耳もとで、ミンウが静かな声音で報告した。
「そうか。フリオニール、君たちはまだ若い。死ぬなよ」
「はい」
「こんな時にこそ、余が陣頭に立つべきなのだが、腰に矢を受けて以来、体調が思わしくない。まったく、不甲斐ないな。みなで、ヒルダを扶けてやってくれ。頼む」
 少しつらそうにして、国王が横になった。フリオニールたちも挨拶をして、退室した。
「これより、あなたたち三人は、私の指揮下に入ってもらいます」
 部屋を出たところで、ミンウが言った。意味を量りかねて、フリオニールは首を傾げた。
「私の下で、独立した小隊として動いてもらいます。ほかの部隊に編入するよりも、その方が私も使いやすいのです。今夜は幕舎には戻らず、この建物で寝なさい。すでに、部屋は用意してあります」
 実力を評価されている、とは思わなかった。あくまで冷静な判断の結果、ミンウは決めているような気がする。しかし、悪い気はしない。
「そういうことですか。承知しました」
「では、明朝」
 ミンウと別れて、ガイと二人で、指示された部屋にむかった。
しばらくして、夕食が運ばれてきた。ガイと話しながら、夕食をとった。ガイと二人だけで話すのは、久しぶりだった。
 夕食のあと、フリオニールは、ひとりでゴードンの居室にむかった。場所は、歩いていた侍女に訊いた。手には、スコットから託されたミスリルの剣を持っている。扉を軽く叩いた。中から返事がしたので、把手を回して室内に入った。
 ゴードンは、寝台の端に腰を降ろしていた。張りついた隈と乱れた髪が、いっそう表情を暗く見せている。
「殿下。この剣を、届けに来ました」
「その剣は、兄のものではないか。フリオニール。兄は、生きていたのか?」
「お会いして間もなく、力尽きました。ゴードン殿下に、スコット王太子殿下から、伝言を預かっています」
「兄が、私に伝言?」
「はい。おまえには、素晴らしい素質がある。自信を持てと」
「私のどこに、素質があるというのだ。孤立する兄を見ても、私は足がふるえて動けなかったのだ。夢中で駈けた時には、逆の方向へ逃げていた」
 ゴードンが立ちあがり、うろうろと室内を歩き出した。
「いまからでも、遅くないと思います。ともに、闘いましょう」
「私にそんな資格が、あるものか」
「闘うのに、資格など必要ありません。必要なのはあなたの意志だと、私は思います」
「私には無理だ。意気地なしと、嗤うがいい。いっそひと思いに、私をその剣で斬ってくれても構わぬ」
 思わずかっとなった。なにかを叫ぼうとしたが言葉が詰まり、代わりに拳が出ていた。左頬のあたりを殴った。ゴードンは部屋の隅まで飛び、壁に躰をぶつけると、その場に崩れ落ちた。
「おまえはそうやって、いつまでも尻尾を垂れて生きていくつもりか。スコット殿下は、死がそこまで迫っていても、笑っていたぞ。男の矜持というものを、最後まで持ち続けていた。ヒルダ王女だって、耐えている。叛乱軍を率いて、圧倒的な強さの帝国軍にたちむかっているのだ。そんな女を見て、なにも感じないのか。兄が愛した女を護る。それぐらいはできるだろう。それさえもできなければ、おまえはほんとうの負け犬だ」
 なにを叫んでいるのか、自分でもよくわからなかった。しかし、理屈ではないのだ。眼の前の男に、腹が立った。だから殴った。それだけのことだ。
「兄以外の人間に殴られたのは、はじめてだ」
 ふらつきながら、ゴードンが立ちあがった。口の端から流れている血を見て、フリオニールは冷静さを取り戻した。しかし、殴ったことを後悔してはいない。
「無礼を働きました。私は処罰を受けても構いません。ただ、王太子殿下の最期の言葉を、忘れないで欲しいのです」
 ゴードンが大きく息をついて、顔をあげた。
「おかげで眼が醒めたよ、フリオニール。処罰など、しないさ。ただ、ひとつだけ頼みがある」
「私にできることなら、なんでもいたします」
「そうかしこまるな。私の、友になって欲しいのだ」
「友、ですか」
「そうだ。これまで私には、友と呼べる者がいなかった。君に、私の友になって欲しい」
 王宮での暮らしは、窮屈だったのかもしれない。そういった意味では、孤児であった自分よりも不幸だと思った。同情するつもりはないが、この男には最後のところで潔さがあって、フリオニールも素直な気持ちになった。
「私のような者でよければ、喜んで」
「友だろう。そのような口調で話すな。ガイや、マリアたちと同じように接してくれ」
「わかったよ、ゴードン」
 少しためらいながらフリオニールが言うと、ゴードンの顔に笑みが浮かんだ。爽やかな青年の表情だった。きっと、これが本来のゴードンなのだろう。フリオニールも、笑った。
「しかし、効いたな」
 笑いながら、ゴードンが口の端の血を拭った。なよなよとした感じは、もうない。
「悪かったな。しかし、男がわかり合うためには、相手を殴ることだってあるのさ」
「そういうことも、あるのかもな」
 ゴードンが、右手を差し出した。
「ともに、闘おう。闘って、生き抜いて、ともに死のう」
 さきほどまで悲嘆に暮れていた男の言葉とは思えなかったが、変わろうと思えば、変わることができる。それも男だ。フリオニールは頷いて、力強くゴードンの手を握った。ゴードンも、力強く握り返してきた。
 夜更けまで、二人で話した。子供のころ、どういった遊びをしたか。フリオニールにとっては大したことのない話でも、ゴードンは興味深げに聞いていた。
 友と呼べる男が、ひとり増えた。
 翌朝、フリオニールたちは司令部の前にいた。九月になっていた。昼間はまだ暑いが、朝は涼しい。 
 フリオニールは腕を回し、朝の新鮮な空気を、躰いっぱいに吸いこんだ。息を吐き、頭の上で腕を組んで、背伸びをする。脇にいるガイは、口を大きく開けて欠伸をしていた。マリアは、束ねた髪を弄んでいる。
 広場には、調練に出る兵たちが整列していた。
 列の中に、槍を携えた金髪で細身の青年がいた。ゴードンだ。腰には、スコットが遣っていたミスリルの剣を佩いている。眼が合って、微笑んだ。フリオニールも笑顔を返した。ひとりの男として、ゴードンは生まれ変わった。
 指揮官がゴードンの方に行き、何事かを話していたが、すぐに所定の位置へ戻り、号令をかけた。兵たちが槍を両手に持ち替え、縦列で町の外へ駈けていった。
「お待たせいたしました。さあ、行きましょうか」
 ミンウが、建物のかげから出てきた。続いて四名の兵が、それぞれ一頭ずつ馬を曳いてきた。馬は鼻を鳴らしている。近づいて、首を撫でた。
 鐙に足をかけながら、フリオニールは空を見あげた。厚く盛りあがった雲が、低い位置に浮かんでいる。空は、澄みわたるほどに青い。
 風が吹いた。 
 フリオニールは、司令部の方をふり返って、屋上を見あげた。
 白い野ばらの旗が、風に翻っていた。


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