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無意識に閉じ込めていた心の蓋を無理矢理開けてみると、本音がカオスだった件

noteを定期更新するようになったのは今年。
先日10回書いたので、事前に決めていた通り、2週間の更新を休むこととした。

そこで、気づいたことを以下に書いていこう。
*本音をありのままに書くので、醜い表現もあるかもしれないけどご了承いただけると幸いです。

このnoteにおける火曜の定期更新部分は「社畜新学」と名付けている。
いわゆる、うだつの上がらない会社員の日常で気づいたことを書くnoteだ。
いわゆる、架空の存在である社畜サラリーマンの架空の日常である。

最初の10回はとにかく書いてみる、思い立ったら書いてみることを習慣づけるように心がけた。おかげさまで、今ぐらいのスケジュール感だったら、1週間に1記事書くということはそこまで苦ではなくなった。
(読み手を意識して書けているか、と言われると、単純に自分が書きたいことを書いているだけなので、そこは次のタームの課題にしたい)

定期的に書いてみることの効果としては、日常的に何か記事になりそうなことを探しているので、アンテナの感度が高くなったり、一つ一つの出来事に対して考察を行うようになったりしていること。
これは今後の人生にプラスとなると確信している。

だが、思わぬ副作用があったことに最近気づいている。
書くということは思考整理につながる。言わば、普段考えないような心の奥底の叫びに耳を傾けることになる。
心の奥底で蓋をした叫びを引き出すことは、ウォッカの原液をストレートで飲むようなものだ。
気持ち悪いし、危険極まりない。

それは、過去にこのnoteで書いたような架空の上司様とソリが合わない、

とか、

このnoteで書いたような、テンプレ昭和のおじさん社畜が時代錯誤だ、

といったことを切り取って、指しているわけではない。

本音はそんなもんじゃなかった。
今、ここまで書いて、書き出すべきか迷っている。
書こうとしていることが、そもそも私にとって大いなる現状否定になることは見えているからだ。

先に言っておく。
自分の蓋した本音と向き合いたいけど、迷いがある。
この記事はそんな自分の本音を知った上で供養するために書いた。
ここから先は、有料にして閲覧制限をかけた。
チラシの裏じゃなくて、有料で公開するあたり、私は「誰かの目に触れてもらいたい」という承認欲求があるのだろう。

現実に私と繋がりがある人には、この件について気になれば、全然お話する。
だから会った時やXのDMでさらっと聞いてほしい。

有料にしているのは、あくまで何の制限もなくインターネット上に残しておくことへの抵抗感からだ。
従って、ここから先の部分でも、具体的に固有の組織や人を名指しで何かを書いているわけではないことを予めご了承いただきたい。
(課金してもゴシップが見られるわけではないですよ、念のため)

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