見出し画像

自分探しこじらせ母。

ルサンチマンを抱えたまま、母になるということ

2023年1月9日、長い冬休みを実家でダラダラ二人の息子と過ごし、東京に戻ってきた次の日、鳥羽和久さんとおおたとしまささんの出版記念トークショーに参加してきた。

実家で安心しきった2週間、両親に甘え、日常の半分くらいのモチベーションで母業をしていた私は、東京に戻ってまた、フルバージョンの母業を開始しなくてはならないのだなあ、と若干憂鬱気味に戻ってきたのだが、その気持ちに喝を入れる機会になるのでは、と予感しつつ冬休み前にトークショーの予約を完了させていた。

見出しのルサンチマンを抱えたまま母になるということについてだが、このことに長い間、負い目を感じていたように思う。
親になるということは、子どもから脱却して、例えばライブに行くとか自分の興味のものは一旦卒業して、ちゃんと経済的にも安定して、会社員として働いている大人にならないと親になるべきではないという「べき」を強く感じていた。

そうあるべきと、強く思うのは、私という実態がそうなっていない焦りの反動でもあったと思う。ピーターパンナ症候群(ピーターパンにナをつけて女性名詞化してみた)とでも言おうか。

今は子どものため、一度しかない、刹那に過ぎていく子育てに全力を注がなくては、という気概。

いつの頃か、そういう気概は薄れていたことに気づく。

自分探しこじらせ女子、というタイトルで以前文章を書いたことがある。
その文章を書こうと思い立った時、初めてメタで自分を見ることができたように思う。それまでは、大丈夫、大丈夫、自分の人生はよくやっていると誤魔化していたように思う。
自分をメタで見れたのは安冨歩先生の本を読むようになってからだと記憶している。(安冨先生からの影響は今日は置いておいて、またの機会にしたい)

自分探しこじらせ女子。
このワードの発見は大きかった。

でも、まだこの時に鳥羽さんのご著書には出会っていない。
鳥羽和久さんの発信する言葉、その後、坂口恭平さんの発信する言葉などを経てお二人に共通する思想は構造主義、ポスト構造主義であるとわかる。
フランス現代思想の入門書として千葉雅也さんのご著書もとても参考になった。この後は、東浩紀さんを読む予定だし、フーコー、ソシュールも読んでみたい。

目標や夢があって、そこに突き進むやり方に異議があるなんて想像していなかった10代。
社会が、学校が、家庭がそういう言説で喋っていたからだろう。

大学に入り、そこに異議あり、という先輩に出会った。
「私とは考えが違うな」と最初は思ったけれども、その先輩から、なだいなだの「くるいきちがい考」とソシュールの本を譲ってもらった。
卒論を書く前の、教養として現代思想を理解しとけよ、というススメだったのだろう。

なだいなだ氏のこの本は私にとってコペルニクス的転回だった。
それからアンビバレントとか二律背反という言葉を活用するようにはなったけれど、いまいちグレーな状態を受け入れたり、複雑なものをそのままに放置しておけない気持ちは残っていた。

人間関係や仕事、その場の状況など、やはり二者択一で考えることが主流だったように思う。

鳥羽さんのご著書と出会ってから、最初は、むむ、難しいな、実践できるかなという感じで読んでいたけれども、そこから千葉さんや坂口さんのご著書を何冊も読むうちに私の中に定着してきたように思う。

そして、1月9日のトークショーで生で鳥羽さんの言葉を体感したのも大きい。鳥羽さんのおっしゃることがわかる。

スポーツで例えるならば、バスケでドリブル練習やシュート練習を一人でやっていた成果が、試合に出て得点を入れることができた感じというか。いや、シュートが決まる感じではなく、鳥羽さんからナイスパスが来てそれを受け取れたぐらいの感覚か。

親を啓蒙しなきゃという思いがあるとか、子どもの代わりに怒っている鳥羽さんを生で体感して、理解できて、言葉が入ってきた。

期待以上の体験だった。
やっぱ、ライブってすごいな。

ルサンチマンを抱えた母の話に戻ろう。

トークショーでルサンチマンを抱えた母または父が、それを子育ての方で解消しようとすると地獄だよね、という話が出た。

鳥羽さんのご著書では何度も出てくる話題だ。

私の中にルサンチマンは確かにある。
何者かになりたかった。自分探しを常にしている。
自分をアーティストだと勘違いしていた。
映画監督になりたかった。
自分探しが完了しないまま結婚、出産、子育てと流れていった。
高い志はなく、かといって好きでも嫌いでもない介護の仕事をしていた。

仕事でも家でも人のケア、という毎日に身体が先に悲鳴を上げた。
少しでも自分のなりたかった職業に今からでもつけないかと考えた30代後半、インターネット報道メディアに拾ってもらえた。
仕事内容は楽しかったが、会社員に向いていないことに気づき、その後紆余曲折あり、今は自営業に落ち着いている。

会社員は無理。
そのことにもっと早く気づいて選択できてたらなあ、と思うけれども後悔はない。
今、動画編集ができている。興味のある思想の本を読んで仕事として領収証を切れている。

子どもの特性を無視して、何がなんでも中学受験なんて頭にもなっていない。

noteに投稿しても誰が見るんだ、なんて評価はいらない。
目的は必要ない。
書きたいから書いている。
これは坂口さんの影響。
思考したいから言葉を書いている。

ルサンチマンを抱えたまま、母をやっていても子どもにその恨みを反映するなんてことはせず、自分の欲望に正直にやりたいことを自分がやって、その背中を子どもに見せればいいだけだと思う。

これは何も、フランス現代思想から引っ張ってこなくても、日本のことわざにもありますよね。少し意味は違うかな?

こう、思えるようになったのは安冨先生、鳥羽さん、坂口さんの本に夢中になった結果です。

自分探しこじらせ母、という自己紹介はこれぐらいにして、これからはずっといつか、ちゃんと考えなければと思っていたフェミニズムについて書いていきたいと思っています。

よろしくのよろしく。

ぽかり


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?