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母の四十九日法要の席で 姉に遺産分割協議書を突きつけられて



長い話です。どこから始めたらいいのか、迷うところですが、5年かかった相続を巡る話から家のこと、司法のこと、障害のことなどを織り交ぜながら書いていこうと思います。

私は、就職を機に実家を離れ一人暮らしを20年以上していましたが、金銭管理が上手くできず、様々な困難もあり、実家に戻りました。その4年後に父が病気で他界し、統合失調症の母と8年間二人で暮らしていました。その暮らしの様子はまたお伝えしたいと思いますが、まずは、相続問題から始めます。

母が亡くなってから、姉が四十九日の法要まで間に早速、預金を調べ出し、七日毎の法要でお寺さんがお参り来て下さる時に、私に預金残高や使途について追求を始めるようになりました。

姉は、元々、私が金銭管理が苦手なのはを知っています。
一人暮らしが立ち行かなくなり、何度か父から送金してもらっていたことがわかり、公平するようにと、父の口座から姉のへ毎月お金が振り込まれるように姉が設定していました。

母を失ったショックで食事もとれず、眠れない状態、まだ母が亡くなったばかりの時間で金銭についての追求で、精神的に追い込まれた状況でした。

それでも、四十九日の法要の準備もあり、親戚へのお知らせ案内状作成、お寺さんへの連絡、法要のお食事の場所の予約や引出物の注文などをしていました。姉は一切手伝いません。父が亡くなった時も私が一人でやってきました。

そんな折、四十九日の法要の前日に、姉からのメールで法要の前に遺産分割協議書を持っていくから、そこに印をつけと言ってきました。法要の前は、親戚よりもお寺さんに先に行って支度がありますし、そもそも、四十九日の法要に前に出先で話す内容ではありません。

私は、「そんなこと今はとても出来ない」と返すと「買いたい家がある、その家が買えなかったらお前のせいだ」と返事が来ました。このメールのやりとり、今はもう開けないiPhoen  に入っています。そのまま返事をせず、翌日、四十九日法要を迎えました。

姉がどう出るかわからないですが、とにかくお寺に向かわねばなりません。
親戚が集まってくる中、姉が携帯で誰かと「ええ、皆さんに聞いていただいて」と打ち合わせの様な話をしています。

お寺での法要を終え、お食事の場に着いた途端、姉からお手洗いに呼び出され、
遺産分割協議書を突きつけられ、今すぐ署名し判子を押せ、と言うのです。預金以外に不動産や株も含めると何千万という内容を、今見たばかりで、数字の弱い私が理解できるはずありません。もっとも、この時点では、まだ私は発達障害の検査を受けてはいませんでした。ですが、例え、発達障害があろうがなかろうが、その様な大きな金額の決心を今、見てそれも出先ですぐ判子をつけとは土台無理な話です。「そんなこと出来ない」と答えると

「いいわ、じゃあ、親戚みんなに言うから」と怒って出て行きました。何を始める気だろうとヒヤヒヤしてしながら席についていました。姉は向かえに座り、私を睨んできます。
お料理が半分くらい出てきたところで、姉が「預金の使途不明金がある、私は調べた」と、銀行から取り寄せたと思わせる母名義の預金の残高表を取り出し、「遺産分割協議書に判子を押してもらいたい」とまくし立て始めたのです。

親戚全員の箸が止まり、誰も話しません。全員が固まって困っています。

長くなりました。この続きは次回。

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